『アルフレッド王の生涯』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 08:24 UTC 版)
「アッサー」の記事における「『アルフレッド王の生涯』」の解説
893年、アッサーは『アルフレッド王の生涯』(The Life of King Alfred)と題したアルフレッドの伝記を著した。原典はラテン語で、原題は「アングロサクソン人の王アルフレッドの生涯」(Vita Ælfredi regis Angul Saxonum)である。この書物が成立した年代は、作中に言及されているアルフレッドの年齢から計算されたものである。『アルフレッド王の生涯』は2万語に満たない短い書物であるが、アルフレッドの時代を知るための最重要文献の一つとなっている。 アッサーは伝記を書くにあたり、様々な文献を参考にした。文体は、840年ごろに書かれた作者不明のルートヴィヒ1世の伝記『皇帝ルートヴィヒの生涯』や、トリーアのテガンの『皇帝ルートヴィヒの事績』に似ている。またアッサーは、ベーダ・ヴェネラビリスのイングランド教会史や、ウェールズの歴史書であるブリトン人の歴史、また『アルクィンの生涯』や同時代に編纂されたアングロサクソン年代記についても知っていた。またウェルギリウスのアエネーイスや、カエリウス・セドゥリウスのカルメン・パスカレ、アルドヘルムのDe Virginitate、そしてアインハルトの『カール大帝の生涯』などもよく読んでいたことは明らかである。また『アルフレッド王の生涯』には、グレゴリウス1世の司牧規定書やアウグスティヌスの『信仰・希望・愛について』も引用されている。そもそも『アルフレッド王の生涯』は、半分近くを占めるアングロサクソン年代記の851年から887年の部分のラテン語訳にアッサー自身の意見やアルフレッドのエピソードを挿入して作られた伝記である。またアッサーは、887年以降の関連事項やアッサーの人となり、その治世に関する情報も『アルフレッド王の生涯』に含めている。 アッサーの散文は、構文に力が無く不明瞭であるなどとして批判されることがある。彼は頻繁に古風で難しい言葉を使い、いびつな表現を多用しているが、こうした書き方は当時のブリテン島のラテン語文筆家には珍しくない。またアッサーの文章にはフランク王国のラテン文献に特有の言葉が散見される。このことからアッサーがフランク王国のどこかで教育を受けた可能性もあるが、宮廷でグリムバルドらフランク人学者の影響を受けたためと考えるのが定説である。 『アルフレッド王の生涯』の最後の部分は、結びが無く突然記述が終わっている。そのため、原本とされる原稿は未完の下書きだった可能性が高い。アッサーは伝記執筆から約16年、またアルフレッドも899年まで生きているにもかかわらず、893年以降の事項は『アルフレッド王の生涯』に残されていない。 『アルフレッド王の生涯』はウェールズ人のために書かれた可能性が高い。というのも、アッサーは南西イングランドの関連地域の地理解説に特に労力を割いていることから、この地域外の人々を読者として想定していたようである。さらに、アッサーはイングランドの地名などの後にウェールズ語の名を並べていることがある。その中には、ノッティンガムのようなもともとウェールズ語名が無いことが明らかな地名も含まれる。歴史的にみると、この伝記が書かれた時期はアルフレッドが南ウェールズを支配下におさめた後であり、アッサーはウェールズ人にアルフレッドを紹介することで、両者の間の溝を埋めようとしたものと考えられる。ただ、ウェールズ語の地名表記は単なる語源学的興味によるものか、アッサーの周辺の人々のためのものであって、ウェールズ人全般に向けたものではないという反論がある。また地理解説に重点が置かれているのはアルフレッドの要塞整備計画を助けるためであるとして、イングランド人の読者を想定した書物であるという説もある。 『アルフレッド王の生涯』には、アルフレッド在位中のウェセックス王国の内紛やアルフレッドに対する反抗は一切記述されていない。ただ、アルフレッドの要塞整備方針になかなか従わない人々に対して、アルフレッドが厳しく服従を強制したことはアッサーも明確に記録している。執筆時にアルフレッドが存命だったこともあり、『アルフレッド王の生涯』はアルフレッド側に偏った記述になっているものの、大きな虚偽や事実誤認はないとされている。 またアッサーはアングロサクソン年代記を翻訳していく中で、アルフレッド時代以外の部分にも貴重な一次史料となる挿話を入れている。例えば、マーシア王オファの娘エアドブルフがウェセックス王ベオルトリッチと結婚したという記録はアッサーによるものである。アッサーによれば、エアドブルフは暴君のようにふるまい、他の誰かを殺そうとして誤ってベオルトリッチを毒殺してしまい、のちにパヴィーアで乞食として死んだという。なおここで語られているエアドブルフは、先述のように『アルフレッド王の生涯』に頻出するアルフレッドの義母エアドブルフとは別人である。
※この「『アルフレッド王の生涯』」の解説は、「アッサー」の解説の一部です。
「『アルフレッド王の生涯』」を含む「アッサー」の記事については、「アッサー」の概要を参照ください。
- 『アルフレッド王の生涯』のページへのリンク