偽書の可能性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 08:24 UTC 版)
19世紀から20世紀にかけて、何人かの学者がアッサーによるアルフレッドの伝記を偽作だと主張している。歴史家ヴィヴィアン・ハンター・ガルブレイスは、1964年に著作の中で「誰が『アッサーのアルフレッドの生涯』を書いたのか?」と述べている。ガルブレイスは、『生涯』の中には時代錯誤的な内容があり、アッサーの時代に書かれたものとは思われないと主張している。例えば、作中ではアルフレッドを「アングロサクソン人の王」(rex Angul Saxonum)と呼んでいるが、ガルブレイスによればこの呼称は10世紀後半以降に使われるようになったものである。またアルフレッドがアッサーにエクセターの「パロキア」(parochia)を与えたという記述について、ガルブレイスはこれを「司教区」と訳したうえで、エクセター司教区は1050年以前には存在しなかったことを指摘している。ガルブレイスは、『アルフレッドの生涯』は1046年にデヴォン・コーンウォール司教となったレオフリックが、彼のエクセターの司教座を復活させるために先例を示し自身を正当化するために制作した偽書であるとした。 実際には、「アングロサクソン人の王」という称号は892年以前の憲章でも用いられているし、パロキアは必ずしも司教区を意味せず、単に教会や修道院の管轄権を指すこともある。またレオフリックがアッサーについてよく知っていたという可能性は低いし、何よりもコットン文庫版写本が1000年ごろの日付を制作年代として記していたこと、またレオフリック以前の文献に『アルフレッド王の生涯』が引用されていることがゆるぎない反証となっている。こうした反論は、1967年にドロシー・ホワイトロックの「Genuine Asser」の中で行われた。 2002年、アルフレッド・スミスはバートファース(1020年没)とアッサーのラテン語語彙を比較して、『アルフレッド王の生涯』はバートファースによる偽書であるとする説を出した。スミスによれば、バートスミスは10世紀後半のベネディクト修道会による改革期に高かったアッサーの名声を借りようとしたのだという。ただこの説は説得力に欠け、定説に挑むほどの影響力は持っていない。
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