DAF (自動車メーカー)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/13 14:20 UTC 版)
種類 | 子会社(N.V.) |
---|---|
略称 | DAF |
本社所在地 |
オランダ アイントホーフェン |
設立 | 1928年4月1日[1] |
業種 | 輸送機械 |
事業内容 | 貨物自動車の製造開発 |
代表者 | CEO:フランス・ナグティーガル(Frans Nagtegaal) |
売上高 | 1.7億ドル |
所有者 | パッカー(1996年以降) |
主要子会社 |
タトラ(19%) DAF Trucks オーストラリア |
関係する人物 |
創業者: フップ・ファン・ドールネおよび 社長: ハリー・ウォルタース(Harry Wolters) |
外部リンク | www.daf.com |
いくつかのモデルはイギリスの貨物自動車メーカーであるレイランド・トラックで開発された車両であり、レイランドDAFブランドとしての販売が行われた。
かつては乗用車も手がけた。特にCVT車を初めて商業的に成功させ、1959年からボルボに部門を売却する1970年代半ばまであらゆる乗用車に搭載し量産し続けていたことで知られる[2]。
概要
1928年、フーベルト・"フップ"・ファン・ドールネが自動車修理工場「Commanditaire Vennootschap Hub van Doorne's Machinefabriek(フップ・ファン・ドールネの機械工場合資会社)」として創業した。共同創業者で投資家のA. H. Huengesは醸造所の最高経営責任者だった。ファン・ドールネがHuengesの車を何度か修理したことがあり、ファン・ドールネの仕事に満足したHuengesは事業への資金提供を申し出た。フップは醸造所の敷地の小さな作業場で仕事を開始した。
1932年、それまでにフップと弟のヴィム・ファン・ドールネによって経営されていた会社は社名を「Van Doorne's Aanhangwagen Fabriek(ファン・ドールネのトレーラー工場)」、略称「DAF」へと変更した。Huengesは1936年に会社を離れ、DAF社は完全にファン・ドールネ兄弟が所有することになった。
DAFは4×2駆動のフォード製トラックをオフロード用6×4駆動に改造したトラドを開発した。DAFの数少ない装甲車両の1つであるM39パンサーワーゲンはこのトラドのドライブトレインの発展形を使用している。M39の生産は第二次世界大戦には遅過ぎであり、オランダ侵攻(1940年)でわずか3台が戦場に出ただけに終わった。
第二次世界大戦後、高級車とトラックが非常に不足していた。これはDAGによって大きなチャンスを意味した。1949年、貨物自動車、トレーラー、バスの製造を始め、社名を「Van Doorne's Automobiel Fabriek(ファンドールネの自動車工場)」に変更した。初の貨物自動車モデルがDAF A30である。
1950年代を通して、DAFはオランダ軍の非装甲車輛の再装備の主要な供給業者だった(DAF YA-126およびDAF YA-328 'Dikke Daf' など)。これらはトラドから発展した全輪駆動Hドライブを使用した。
1954年末、フップ・ファン・ドールネは工場にたくさんあるベルト駆動機械のように、道路車両を駆動するためにベルト駆動式無段変速機を使うことを思い付いた。1955年、DAFは自動車のベルト駆動システムの原案を作成した。その後数年をかけて、この設計を進化、洗練させていった。1958年2月、DAFはオランダの自動車ショー(AutoRAI)で小型ベルト駆動式4シーター車を展示した。
世間の反応は非常に良く、4千台の注文があった。1959年、DAFは無段変速機を搭載した世界初の自動車、小型4シーターのDAF・600の販売を開始した。その後、この革新的なヴァリオマチックトランスミッションシステムを使ったDAF・33、DAF・44、DAF・55、DAF・66が発売されていった。
1967年、DAFはボルンに自動車生産のための新工場を開いた。DAF 44がここで生産された初めてのモデルである[3]。
1972年、シカゴのインターナショナル・ハーベスターがDAFの株式の33%を取得し(オランダ政府が25%、ファン・ドールネ家が残りの42%を保有)、共同事業を作った。この合意は1981年まで続いた。1975年、DAFは乗用車部門とボルンの工場(現在はネッドカーの工場)をスウェーデンのボルボ・カーズに売却し、成功していたトラック部門に注力することになった。
1987年、DAFはローバー・グループのレイランド・トラックス[注釈 1]と合併し、1989年6月にオランダとロンドンの証券取引所にDAF NVとして上場した[4]。この新会社はイギリスではレイランドDAF、それ以外ではDAFとして事業を展開した。
1990年にDAFバスが分離して、ユナイテッド・バス[注釈 2]の一部となった[5]。分社化する等経営の合理化を図ったが、イギリス市場での苦境を受けて、DAF NVが1993年2月に行政管理下に置かれた後、マネジメント・バイアウトによって、英国内のトラック事業部はレイランド・トラック、バン事業部はLDVリミテッドとなり、オランダ国内の事業部は新会社ダフ・トラックス(DAF Trucks NV)として再出発した。
1996年10月、アメリカ合衆国のパッカーがDAFトラックスを買収した[6]。パッカーがレイランドトラックスも買収したため、DAFトラックスとレイランド・トラックスは1998年6月に再合併した[7][8][9]。
2012年1月9日、パッカーはブラジル、パラナ州、ポンタ・グロッサに新工場の隅石を設置した。
乗用車部門
1958年-1975年の主な車種
- 600 - DAF最初の乗用車。変速機に後輪1輪に対しひとつずつのベルト式無段階変速機(ヴァリオマチック)[10]を採用。現代のCVTの基礎ともなったこの変速システムは以後のDAF製乗用車へ活用される。その後33へラインチェンジ。
- 30/31/32/33 - 2気筒小型車。
- 44/46 - 30の上級版である2気筒小型車。
- 55/66 - 4気筒小型車。WRC制定前からの世界ラリー[11][12]やレースで活躍。66はルノー製エンジンを奢られたスポーツモデル「1300マラソン」から2ドアセダン、クーペ、3ドアハッチバックや軍用車の派生版も存在し、ボルボ傘下となってもクーペ以外は生産を継続された。
-
30
-
46
-
66マラソンクーペ
-
66軍用車
注釈
出典
- ^ “History”. DAF Trucks. 2020年9月18日閲覧。
- ^ The four weirdest motorsport series you’ve never seen – Axon's Automotive Anorak
- ^ Between Initiation and Innovation: Transfer and Hybridization of Productive Models in the International Automobile Industry. Oxford University Press. (1998). ISBN 0-19-829368-2
- ^ "Daf shares offer". Commercial Motor, 20 April 1989
- ^ "Stop press: Daf Bus/Bova merger". Commercial Motor, 23 November 1989
- ^ "Paccar set to take over Daf Trucks". Commercial Motor, 10 October 1996
- ^ "Paccar aims to cut queue". Commercial Motor, 7 May 1998
- ^ "Paccar acquires Leyland Trucks". Automotive News Europe, 11 May 1998
- ^ "20 Years with Paccar". Leyland Trucks, 27 June 2018.
- ^ “DAF Variomatics” (英語). 2013年4月24日閲覧。
- ^ “38ème Rallye Automobile de Monte-Carlo”. rallybase.nl. 2013年4月24日閲覧。
- ^ “42ème Rallye Automobile de Monte-Carlo”. rallybase.nl. 2013年4月24日閲覧。
- ^ DAF's In Autosport Fotoboek van C.M.Blankestijn
- ^ Racing and rallying DAFs
- ^ Interview with Rob Koch (Daf & Volvo car B.V.)
- ^ F3 History
- ^ DAF 55 Marathon
- ^ 【Red Bull Reverse】:マックス・フェルスタッペンと角田裕毅がバック走行対決!
- 1 DAF (自動車メーカー)とは
- 2 DAF (自動車メーカー)の概要
- 3 モータースポーツ
- 4 製品
- 5 関連項目
- DAF (自動車メーカー)のページへのリンク