921大地震 本震

921大地震

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/23 23:02 UTC 版)

本震

各地の震度

地震により、台湾島の全域で揺れを感じた。当時の台湾では1996年以前の気象庁震度階級のうち、震度7がない階級(震度5と震度6が強弱に分かれておらず、震度7は存在しない)を採用していた。各地の震度は名間郷台中市で震度6、台北市高雄市など主要都市でも震度4で、全域で少なくとも震度3以上、集集鎮では震度7相当だったと推定される。国外でも、日本の与那国町祖納、竹富町西表で気象庁震度階級で震度2を観測した。

震度 観測地域
震度7 集集鎮
震度6 名間郷 台中市
震度4 台北市 高雄市 など

メカニズム

この地震は、台湾のほぼ中央部で起きた。台湾はユーラシアプレートフィリピン海プレートの衝突によって東西方向に圧縮され、そのおかげで南北に長い台湾山脈が形成されているが、台湾で起こる地震はこの運動に起因する。

台湾の地下では、海洋プレートであるフィリピン海プレートの下にユーラシアプレートが沈み込んでいる。ユーラシアプレートは日本付近を含む大部分で、厚く比重の小さい大陸プレートであるが、南シナ海では薄く比重の大きい海洋プレートに変質している。このため、日本の南海トラフ琉球海溝などとは沈み込み方が逆になっている。

プレートテクトニクスに基づく研究によれば、台湾はもともと、現在フィリピン西部にあるマニラ海溝の一部であった。マニラ海溝は数千万年前には現在よりも東にあり、フィリピン海プレートの下にユーラシアプレートの薄い部分が沈み込んでいた。沈み込みによってフィリピン海プレートと海溝は次第に西に移動し、約400万年前ごろに北端部分が中国大陸の厚い地殻にぶつかり始めた。これによって、浅瀬の大陸棚であった所に付加体が付いて隆起し、次第に台湾島ができたと考えられている。

2つのプレートの境界面は、台湾を東に行くほど深くなっている。台湾西部では、地殻がユーラシアプレートに張り付いているため、実質的には台湾東部の台東地溝が2つのプレートの境界であり、最も活動が活発である。しかし、台湾西部のプレート境界面にも圧縮力がかかるため、これを解消しようとする断層が地表にまで伸び、時々地震を起こしている。今回の地震はこの地表にまで伸びた断層で起きた。

断層の名前はチェルンプ断層(車籠埔、Chelungpu)で、今回の地震でずれた方向(北西)は、2つのプレートの移動方向とほぼ同じ(5°違い)であった。これは、この断層が2つのプレートの境界のずれる運動を忠実に再現していることを意味する。つまり、今回の地震は2つのプレートの境界で起きたプレート境界型地震の性質が強い。しかし、内陸地殻内地震の性質も多少帯びており、純粋にどれかに分類できるものではないと考えられる。地下部分でプレート境界型地震、地表付近では内陸地殻内地震の性質が強い。

台湾は過去にも大きな地震が発生しているが、特に1935年新竹・台中地震(M7.1)、1941年の嘉義地震(M7.0〜7.1)、1964年の台南白河地震(M7.0)が知られている[2][3]




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