921大地震
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/23 23:02 UTC 版)
余震
台湾時間9月22日の8時14分、9月26日の7時52分に、それぞれマグニチュード6.8の余震が生じた。
- M6.0以上の余震:
- 9月21日の1時57分M6.4、2時3分M6.6、2時16分M6.7、5時46分M6.6。
- 9月22日の8時49分M6.2、午後8時17分M6.0。
- 2000年6月11日の2時23分M6.7。
被害
- 死者:2,415人
- 負傷者:11,305人
- 行方不明者:29人(台湾行政当局の発表)
特に被害が甚大だったのは震源の南投県と、南投県に隣接する台中県だが、震源から比較的離れた台北市と台北県でもビルが倒壊し多くの死傷者が出た。台湾鉄路の集集駅駅舎は倒壊(2001年に修復再建された)。台湾の成長の原動力であるハイテク産業の中心、新竹も被害を受け、この年の経済成長を下方修正せねばならなかった。
地震の原因となった断層付近は、比較的新しい時代にできた堆積層であった。しかも、断層の傾きが(特に地下部分で)緩やかな衝上断層で、断層の東側の地面が突き上げるように隆起した。そのため、地表地震断層に近いところ、特に斜面沿いでは、隆起した軟弱な地面が低い方に崩れ、地滑りが多発して多くの建物や道路などが被害を受けた。地面のスリップ方向調査で、南西から東北東までさまざまな方向の移動が観測されたことなどはこれを裏付けている。
救援
大地震が発生した夜、日本の国際緊急援助隊が最初に台湾入りし、災害現場に急行した。世界各地より災害救助犬も派遣された。
- 各国から派遣された緊急救助隊の規模
また日本では、1999年10月21日、東京都大手町にて「加油台湾チャリティシンポジウム」が開催され、深田祐介、小林よしのり、金美齢らがパネリストとして参加した。
記念
- 2000年から毎年9月21日は防災日となった。
- 九二一地震教育園区(台中市霧峰区)
- 台湾で郵便事業を行っている中華郵政は、2000年9月21日に地震1周年記念切手3種(5元、12元、25元)を発行しているが、そのうち12元切手には日本から派遣された救助隊員が描かれている[4]。
固有名詞の分類
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