宮原眼科医院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 10:23 UTC 版)
地図 宮原は1927年に緑川に架かる新盛橋付近(現在の中山路と緑川東街交差点にある中山緑橋(中国語版))角地の煉瓦建て洋館に眼科専門の宮原醫院を開業。1933年(昭和8)時点では収容人員100人、24の病室を構え、私立病院としては市内平均の46人の倍以上となる、公立を含めても総督府台中医院でも146人だったことから、市内最大級の医療機関の一つともいえる(p319)。宮原眼科は戦前の宮原眼科医院をリノベーションした飲食店の総称。 1945年に建物は中華民国政府が接収、台中市政府民政科衛生股(のちの台中市衛生院、現台中市政府衛生局(中国語版))が使用した(pp326-328)。 1956年、台中市政府は張瑞楨(女優張鈞甯の祖父)と土地を交換し、新庁舎への移転を決定した(pp326-328)。 1959年、衛生院は新庁舎に移転、建物は張に譲渡された(pp326-328)。 1999年9月21日、921大地震で被災(pp326-328)。 2008年、台風カルマエギによる市内の豪雨で再度被災(pp326-328)。
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