日ソ国境紛争 日ソ国境紛争の概要

日ソ国境紛争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/29 09:41 UTC 版)

日ソ国境紛争

ソ連と日本の間の対立
戦争:満蒙国境紛争・満ソ国境紛争とも呼ぶ。
年月日:1932年3月1日-1939年9月16日
場所満洲国ソ連モンゴル国境
結果日ソ中立条約により鎮静化
交戦勢力
枢軸国 連合国
指導者・指揮官
植田謙吉
梅津美治郎
荻洲立兵
尾高亀蔵
小松原道太郎
ヴァシーリー・ブリュヘル
グリゴリー・シュテルン
ゲオルギー・ジューコフ
ホルローギーン・チョイバルサン
戦力
張鼓峰:9,000
ノモンハン:20,000以上
23,000
57,000以上
損害
張鼓峰:死傷1,400
ノモンハン:死傷18,000
死傷3,500
死傷26,000
日ソ国境紛争

  1. ^ a b c d e 「満州国建国(昭和七年)以降満ソ国境紛争に関する概見表」戦史叢書 関東軍 (1) 310~311頁。
  2. ^ 戦史叢書 関東軍 (1) 329~331頁。
  3. ^ マクシム・コロミーエツ『ノモンハン戦車戦』大日本絵画〈独ソ戦車戦シリーズ〉2005年、31~32頁。
  4. ^ 戦史叢書 関東軍 (1) 311~312頁。
  5. ^ 戦史叢書 関東軍 (1) 314頁。
  6. ^ 戦史叢書 関東軍 (1) 320、328~329頁。
  7. ^ 戦史叢書 関東軍(1)、320頁。
  8. ^ 戦史叢書 関東軍 (1) 323~324頁。
  9. ^ 戦史叢書 関東軍 (1) 327頁。
  10. ^ 戦史叢書 関東軍 (1) 314~315頁。
  11. ^ a b 「国境紛争に関する日満抗議提出件数等概見表」戦史叢書 関東軍 (1) 313頁。
  12. ^ ただし、戦史叢書によれば、実質的には日ソ交渉であったという。戦史叢書 関東軍 (1) 313頁。
  13. ^ 鎌倉 267~268頁。
  14. ^ 鎌倉 269頁。
  15. ^ 戦史叢書 関東軍 (1) 421頁。
  16. ^ 鎌倉 83~85頁。
  17. ^ 戦史叢書 関東軍 (1) 423頁。
  18. ^ 戦史叢書 関東軍 (1) 329、332頁。
  19. ^ 戦史叢書 関東軍 (1) 334頁。
  20. ^ コロミーエツ 101、125頁。ただし、日本軍の動員兵力の約半数は停戦間際の到着。また、日本軍の損害に満洲国軍の損害は含まれていない。






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