小規模紛争期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 17:23 UTC 版)
満州事変以後、1934年(昭和9年)頃までは、多少の紛争はあったものの、ごく小規模なものだった。1932年~1934年の3年間に発生した日ソ関係の満州国境紛争は合計で152件あったが、少数の偵察員が潜入したり、住民を拉致したり、航空機が領空侵犯するといった偵察活動や、国境標識を密かに移動するといった程度にとどまっていた。個別の事件名を付するほどの紛争は起きていない。 国境問題が意識されていなかったわけではなく、1933年(昭和8年)1月には、日本からソ連に対して国境紛争処理に関する委員会設置が提案されていた。しかし、日本が国境画定を委員会の目的の一つに挙げたのに対して、ソ連は、すでにアイグン条約などで国境は確定済みであるとの立場で、両者は前提からすれ違っていた。日本が同時期に不可侵条約提案を拒絶していたことや、北満鉄路売却問題が優先事項であったことなども影響し、委員会設置は実現しなかった。
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