黒川春村 黒川春村の概要

黒川春村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/21 15:44 UTC 版)

黒川 春村(くろかわ はるむら、寛政11年6月9日1799年7月11日) - 慶応2年12月26日1867年1月31日))は、江戸時代末期の江戸の国学者考証学者にして歌人[1]

略歴

通称は勘吉、治平、次郎左衛門、名は主水。薄斎、芳蘭、葵園など、多数の号を用いた。

江戸・浅草田原町の陶器商の子として生まれるが、家業を継がず2世浅草庵に狂歌を学び、3世浅草庵を継いだ[1]。後に和歌に転じて国学へと発展した。狩谷棭斎に国学や考証学を学び、また本居宣長からも影響を受けた[1]

博識で特に音韻、考証学に優れており古美術にも通じていた。伴信友清水浜臣岸本由豆流内藤広前などと交流が深かった。また、信州高井郡須坂藩堀直格とも知己の間柄であり、共に学問の考究を補助した。春村は直格の著作に序文を寄せている。慶応2年(1866年)没、68歳。四人の実子がいたが、そのいずれも嫁いだり、他家に養子に入ったため、弟子の黒川真頼(旧姓金子)を養子に迎えて黒川家を継がせた。夥しい量の著作を書き上げた[2]が、その内出版されたものはごく僅かであった。主な著書に『音韻考証』等がある。墓所は浅草の永見寺。

学問

律令学者で『古事類苑』全355冊の編纂に携わり、後に編纂長を務めた佐藤誠実は、春村に国学を学んでいる[3][4][5]

著書

参考文献

関連項目

脚注

  1. ^ a b c 黒川春村 - コトバンク
  2. ^ 中根 編『慶長以来諸家著述目録 和学家之部 小説家之部』、184 - 187頁https://dl.ndl.go.jp/pid/991395/1/115 
  3. ^ 佐藤誠実『日本教育史 修訂』、著者小伝頁https://dl.ndl.go.jp/pid/1461357/1/5 
  4. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『佐藤誠実』- コトバンク
  5. ^ 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版)『佐藤誠実』- コトバンク
  6. ^ 関隆治・編『國学者著述綜覧』森北書店、1943年、88p頁。 




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