鴎 (隼型水雷艇) 鴎 (隼型水雷艇)の概要

鴎 (隼型水雷艇)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/13 00:23 UTC 版)

本来の表記は「鷗 (隼型水雷艇)」です。この記事に付けられた題名は、技術的な制限により、記事名の制約から不正確なものとなっています。
艦歴
計画 明治30年度計画[1]
起工 1903年2月24日[1]
進水 1904年4月30日[1]
就役 1904年6月4日[1]
除籍 1923年12月15日[1]
その後 1923年12月15日雑役船編入、曳船兼交通船指定[1]
廃船 1926年9月18日[1]
売却 1926年10月29日[1]
性能諸元
排水量 常備:152トン
全長 垂線間長:45.00m (147ft 7in 11/16)
全幅 4.91m (16ft 1in 7/16)[2]
吃水 1.45m (4ft 9in 3/32)
機関 ノルマン式2基
直立式3気筒3段膨張レシプロ2基
2軸 4,200馬力
速力 28.5ノット[3]
航続距離 10ノットで2,000海里
燃料 石炭:28.5トン(満載)
乗員 30名
兵装 4.7cm保式単装軽速射砲3基(推定)
45cm水上旋回式発射管3基

艦歴

発注時の艇名は第十四号百二十噸水雷艇[4]1901年明治34年)12月18日、と命名[4]1902年(明治35年)10月31日、水雷艇に編入され等級一等となる[5]1903年(明治36年)2月24日、呉海軍造船廠で起工[1]1904年(明治37年)4月30日に進水し、同年6月4日に竣工。

日露戦争では旅順口攻撃に参戦し、日本海海戦では第十九艇隊司令艇として夜戦に参加した[1][6]

1923年大正12年)12月15日に除籍され[7]、同日、雑役船に編入となり、曳船兼交通船に指定され海軍水雷学校所属となる[1][6]1926年(大正15年)9月18日に廃船となり、同年10月29日に売却[1][6]

艇長

参考文献

世界の艦船 増刊第47集』海人社、1997年3月号増刊、第522集。
  • 福井静夫『福井静夫著作集第5巻 日本駆逐艦物語』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0611-6
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』朝雲新聞社、1969年。
  • 堀元美『駆逐艦 その技術的回顧』原書房、1969年。ISBN 4-562-01873-9
  • 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料篇、KKベストセラーズ、1994年。





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