飯塚伊賀七
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/26 12:08 UTC 版)
親族
飯塚家の初代は山田衡算という人物で、京都の儒学者であった[9]。2代と3代は本郷姓を名乗り、4代から飯塚姓となった[9]。伊賀七の子孫は明治初期まで寺子屋を開いて地元の子供らにそろばんを教授するなど、先祖代々学問に通じた家系であった[9]。飯塚家は谷田部陣屋の大手門付近にあった[55]。
伊賀七の娘婿・丁卯司が第17代を継ぎ、広瀬周度に依頼して伊賀七の肖像画を描いてもらっている[22]。飯塚家では伊賀七亡き後数代に渡り、「伊賀七」の名を襲名し、今なお当主は地元の人から「伊賀七さん」と呼ばれている[23]。
現代に生きる伊賀七
伊賀七の生きた時代から数世紀が過ぎた頃、つくばの地に筑波研究学園都市が建設され、2009年(平成21年)には「ロボットの街つくば」が提唱された[56]。「ロボットの街つくば」の提言の中で伊賀七は、からくり=ロボットの開発者として、「ロボットの街つくば」の原点として紹介された[57]。そして2012年(平成24年)には生誕250周年を迎え[7]、つくばサイエンス・インフォメーションセンターにて「飯塚伊賀七生誕250周年記念展」が開催された[58]。また同年につくば市役所にて「からくり伊賀 つくばが生んだ奇才のエンジニア」と題して約50点の展示が行われ、和時計の実演と解説が行われた[59]。
伊賀七の登場する作品
- 『朔風の鐘』三一書房
- 一色次郎による1970年(昭和45年)の小説[60]。伊賀七の娘が語るという体裁を採っており、事実上伊賀七が主人公となっている[60]。ほかに、伊能忠敬と間宮林蔵が登場する[60]。
- 『Rise of the Ronin』
- ソニー・インタラクティブ・エンタテインメントによる2024年(令和6年)のPlayStation 5用ゲームソフト。本作の伊賀七は正確には実在した伊賀七の孫弟子という設定であり、主人公に「阿鼻機流(アビキル)」や写真機などの発明品を提供する。
伊賀七と谷田部の街づくり
2019年(令和元年)につくば市役所主催で行われたつくばR8地域活性化プランコンペティション2019において、わわわやたべや町民会議が提案した「わわわやたべや-からくり伊賀七と進める市街地活性化運動-」が4つの採択プランのひとつに選定され、伊賀七をテーマとした演劇による谷田部の街づくりが実施された。実施されたのは、朗読劇「にんげん伊賀七」(2019年9月15日)、伊賀七にんげんまつり(2019年11月3日)、クリスマス伊賀七(2019年12月15日)、伊賀七BRAND DAY(2020年2月16日)。
脚注
注釈
- ^ 原文では数え年になっているが、本稿ではすべて満年齢で統一する。
- ^ これは伊賀七の発明品に記載された年代が40歳代後半以降の物が多いからである[19]。
- ^ ただし、記録に残る「飯塚伊賀七」とは71歳の伊賀七本人ではなく、飯塚家の17代・丁卯司が伊賀七の名を襲名したとも考えられる[21]。
- ^ ただし、二宮尊徳が谷田部に来たことはなく、藩の重役が下野国桜町(現在の栃木県真岡市物井)へ赴いて指導を受けたという説もある[26]。
- ^ 言い換えれば、伊賀七の発明したそろばん1面で、通常のそろばん9面分に相当することになる[30]。なお、「面」はそろばんを数える単位である。
- ^ 買い手は母屋を解体して移転・復元するつもりであったが、都合により復元されることはなかった[49]。
- ^ これは耐震のための構造だったと考えられる[50]。
出典
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- ^ つくばサイエンス・インフォメーションセンター"つくば市|飯塚伊賀七生誕250周年記念展開催中"<ウェブ魚拓>つくば市、平成24年6月19日(2012年8月6日閲覧。)
- ^ 安味伸一"企画展 発明家・飯塚伊賀七展 つくばで来月12日まで"毎日新聞2012年9月19日茨城南27ページ
- ^ a b c 小島(1997):8ページ
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