隠元隆琦 国師号・大師号

隠元隆琦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/18 01:19 UTC 版)

国師号・大師号

寛文13年(1673年)に後水尾法皇から「大光普照国師」号の特諡を賜った後、50年ごとの遠忌に皇室より諡号を賜わることが慣例となった[4]

語録・著作

  • 『隠元禅師語録』16巻
  • 『普照国師広録』30巻
  • 『黄檗隠元禅師雲涛集』1巻
  • 『弘戒法儀』1巻[2]
  • 『黄檗山寺志』1巻
  • 『黄檗清規』
  • 『普照国師語録』3巻[2]
  • 『普照国師法語』2巻[2]
  • 『松堂集』2巻[2]
  • 『太和集』2巻[2]

弟子

嗣法者は23名で、うち3人が日本人である。

隠元豆

隠元が来日した際に日本に持ち込んだためにその名が付いたとされるインゲンマメ[6]中南米原産のマメ科の作物。ヨーロッパに伝わった後、ユーラシア大陸を横断して中国から日本に伝来した。ただし、隠元が持ち込んだのは、現在のフジマメ藤豆)だという説もあり、関西ではフジマメのことをインゲンマメと呼ぶ[7]


注釈

  1. ^ 隠元に随行した弟子のうち、良静ら十弟子は翌年に帰国したが十弟子が日本に留まり、大眉・南源・独吼は日本に帰化した。
  2. ^ 渡日当時、中国は明末清初の騒乱期であったことから、この騒乱を避けて来日したとされているが、残されている書簡や記録等からは、そのように判断する根拠は乏しい。
  3. ^ 以後、中国福清の黄檗山萬福寺は「古黄檗」と呼ばれる。

出典

  1. ^ 隠元隆琦』 - コトバンク
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 総合仏教大辞典編集委員会(編)『総合仏教大辞典』法蔵館、1988年1月、67頁。 
  3. ^ a b c 【グローバルウオッチ】中国 インゲン豆の禅僧に脚光日本経済新聞』夕刊2022年7月27日ニュースぷらす面(2022年7月31日閲覧)
  4. ^ a b c d e f 林(2017), p. 20.
  5. ^ 隠元禅師が大師号を賜りました。”. 宝善院 (2022年2月25日). 2022年3月3日閲覧。
  6. ^ 日本にインゲン豆と木魚を伝えた隠元さん WEB歴史街道
  7. ^ フジマメとは コトバンク


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