阪急2800系電車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/15 13:37 UTC 版)
運用
特急時代
京都線の看板車両として特急や急行を中心とした運用に充当された。当初は6編成分が製造されたが、1966年に追加で1編成が製造された。2800系の評判は良く、当初5両編成であった京都線特急は8両編成にまで増結された。鉄道ファンの間では、特急の標識板を左右に掲げた2枚看板も好評であった[11]。
1971年11月28日、梅田駅の京都線ホーム移設完成に合わせて京都線特急は再びスピードアップを行い、梅田 - 河原町間38分運転となった[12]。1972年10月には8両編成運転を開始、1972年8月には全車が冷房車となり、1973年3月には全編成が8両編成となった[12]。最盛期には1日900kmを超える運用もあった[15]。
1971年に京阪が冷房・カラーテレビ付きの3000系(初代)を導入し日中以降15分ヘッド化、国鉄も1972年より急行列車用の153系を新快速に転用、日中15分間隔のパターンダイヤと京阪間最速(新幹線を除く)の29分運転を実現したこともあり、鉄道による京阪間移動需要は更に拡大し、1975年から1978年にかけての6300系の増備に伴い、2800系は3扉ロングシート化されて急行・各駅停車用に格下げされた。2扉クロスシート車としての2800系の運用は、1978年9月25日が最後となった[14]。2800系の京都線特急車としての運用は長いものでも15年、短いものだと5年に満たない短期間で終了することとなった。
格下げ後
特急運用からの撤退後も、8両編成で急行を中心に運用された。特急の代走に入ることもあり、その際は空気ばね台車の2814Fが優先して充当されている[16]。2817Fは1981年に6両編成となり普通を中心に使用されたが、翌1982年に8両編成に復帰している[16]。
1982年からの7300系の増備により、2800系は急行運用からも外れ、2880形2880番台車を抜いて7両編成化された。1985年の2816Fを最後に8両編成での運用は消滅し、その後は京都本線の普通・準急、梅田‐北千里間の普通が中心となった。編成から外された2880形は2両が2300系の7両編成化に、5両が神戸線5000系・5200系の増結に転用されている[16]。
2300系への組込車には客用ドアの張り出しステップを取り付ける改造も実施され、最大幅が2,808mmに拡大した[17]。5000系・5200系への組込車は、搭載されていたコンプレッサー、バッテリー等および屋根上の高圧母線が撤去され、さらに2両単位で5200系編成に組み込まれた車両については、一方の車両に組み込み先の編成と同一の60 kVAのCLG326M形MGが新たに設置された。その後、5000系に編入されていた2880形は、5000系種別・行先表示幕設置改造の際に5200系、2000系2071形との交換が実施された。
また唯一の空気ばね台車装備の2814Fより外された2884は、同じく空気ばね台車装備の2300系2311F編成に組み込まれたが、のちに同編成の台車振替に際してコイルばね台車のFS45に換装された(電機子チョッパ試験車の2311は空気ばね台車で存置)。
1991年5月に2815F、1992年6月に2811FがいずれもMc-Tc+Mc-Tcの4両編成で嵐山線運用となり[15]、2300系の2303F・2309Fが本線へ一時転用された[18]。この2800系も1995年8月16日に定期運用を終了し、残存2編成を併結した8両編成でさよなら運転が実施された[19]。さよなら運転は複数回行われており、8月の運転では阪神・淡路大震災復旧後の神戸本線へ乗り入れ[20]、10月15日・22日には京都本線梅田 - 桂を2往復し[21]、最後となった10月29日の運転では宝塚本線、今津線に入線し[21]、これをもって2800系は編成としての営業運転を終了した[11]。
注釈
- ^ 運用上特に区別されなかったため、1300系や710系のロングシート車編成も使用された。特に1307編成は2300系に先んじて3扉だった。また710系では、2両ずつクロス・ロングの混成となる場合と4両すべてロングシート(716編成と717編成の組み合わせ)となる場合もあった。さらに車両が不足した時には、当時すべてロングシート化されていた100形(P-6)までもが使われることもあった。
- ^ 日中の特急運用にロングシート車が使用される場合は、車内に折りたたみ式のパイプ椅子が積み込まれていた。
- ^ 所要時分では京都線特急が梅田 - 河原町間38分、京阪特急が淀屋橋 - 京阪三条間49分であるが、大阪のミナミと京都の繁華街の間を移動する場合、梅田での乗り換えを考慮するとほぼ京阪一択となった。
- ^ 大阪環状線~大阪~(阪急)梅田~河原町…(京阪)三条・四条~京橋~大阪環状線、大阪市営地下鉄~(京阪)淀屋橋~四条…(阪急)河原町~梅田~大阪市営地下鉄など。
- ^ ナニワ工機は1970年10月1日付で社名をアルナ工機に変更した。このため本系列では1971年12月20日以降竣工の2880形2891 - 2897がアルナ工機名義での製造となる。
- ^ のちに嵐山線に転用され4両編成化されたと同時に、2851・2855には再度D3NHA形コンプレッサーを搭載した。
- ^ 最末期の嵐山線運用時に組成。
- ^ この改造により、本系列と2300系の相互互換性は喪われた。
- ^ そのため、この差し替えが実施された場合は1両単位での車両入れ替えは行われず、必ず編成中間で2800形と2350形、あるいは2850形と2300形が運転台寄り妻面を突き合わせて連結されることになる。
- ^ これは編成全部をロングシート車で代走することを避け、クロスシート車サービスを少しでも多く乗客に提供することを目的として実施されたものである。
- ^ 2840番台の車両を製造する際、これを2820番台として製造する計画もあったが、形式(2830形)より若い番号を付けるのはどうかとの異論があり、結局2840番台として製造された。なお、組み込まれる編成に番号を合わせた例としては、2300系の2380形(2391 - 2396)が挙げられる
- ^ 上述のとおり編成中6両がシンドラー式空気ばね台車装着車であったため最後まで格下げされず、特急運用に充当されていた。
- ^ 神宝線は車体側に標識板を差し込む方式。京都線は引掛ける方式であった。
- ^ 編成の中に封じ込まれた2801~2807及び2861~2867は未改造のままだった。また先頭車のうち2816・2856はL字金具の先端に袋状のアダプタを取り付けた神宝線・旧京都線仕様の両用型が使われていた。
- ^ 早期の廃車を想定して応急処置的な内装更新が施工され、退色したアルミデコラを交換せずマホガニー木目調の壁紙を貼り付けた。同時期に嵐山線の2301F・2303F・2309Fにも施工されている。屋根肩部は白塗装の焼き付けを行った。
出典
- ^ a b c d e f g 山口益生『阪急電車』137頁。
- ^ 寺本光照『国鉄・JR 関西圏 近郊電車発達史』JTBパブリッシング、2014年、74頁。
- ^ 藤井信夫「京都線特急車両の記録」『鉄道ピクトリアル』2010年8月臨時増刊号、197頁。
- ^ 『日本の私鉄7 阪急』1990年、104頁。
- ^ a b c 篠原丞「阪急電鉄 現有車両プロフィール2010」『鉄道ピクトリアル』2010年8月臨時増刊号、241頁。
- ^ 鉄道ピクトリアル編集部「京都線特急車2800系の生涯」『鉄道ピクトリアル』2019年10月号、53頁。
- ^ a b c d e f g h i j k 山口益生『阪急電車』138頁。
- ^ a b c d e f g h i j 山口益生『阪急電車』140頁。
- ^ a b c 篠原丞「阪急クロスシート車の系譜3」『鉄道ファン』2004年3月号、131頁。
- ^ a b c d 山口益生『阪急電車』139頁。
- ^ a b c d e f g h i 山口益生『阪急電車』141頁。
- ^ a b c 篠原丞「阪急クロスシート車の系譜3」『鉄道ファン』2004年3月号、132頁。
- ^ 鉄道ピクトリアル編集部「京都線特急車2800系の生涯」『鉄道ピクトリアル』2019年10月号、54頁。
- ^ a b 篠原丞「阪急京都線特急史」『鉄道ピクトリアル』2019年10月号、29頁。
- ^ a b 篠原丞「阪急クロスシート車の系譜3」『鉄道ファン』2004年3月号、133頁。
- ^ a b c 鉄道ピクトリアル編集部「京都線特急車2800系の生涯」『鉄道ピクトリアル』2019年10月号、55頁。
- ^ 『日本の私鉄7 阪急』1990年、135頁。
- ^ 篠原丞「阪急2300系の55年」『鉄道ファン』2015年5月号、107頁。
- ^ “阪急電鉄 2800系、来月引退 26、27日に「さよなら運転」”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 3. (1995年7月26日)
- ^ 『日本の私鉄 阪急』1998年、25頁。
- ^ a b 交友社『鉄道ファン』1996年1月号 通巻417号 p.128
- ^ a b 篠原丞「阪急電鉄 現有車両プロフィール2010」『鉄道ピクトリアル』2010年8月臨時増刊号、242頁。
- ^ a b 阪急電鉄同好会「私鉄車両めぐり (161) 阪急電鉄」『鉄道ピクトリアル』1998年12月臨時増刊号、216頁。
- ^ 雲原の山中に阪急電車が- 尼崎の男性のセカンドハウス 両丹日日新聞、2007年1月2日
- ^ 1996年春の阪急レールウェイフェスティバルで、カットした前頭部を搬出する様子が紹介されていた。
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