鎖国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/22 02:20 UTC 版)
概要
一般的には1639年(寛永16年)の南蛮(ポルトガル)船入港禁止から、1854年3月31日(嘉永7年3月3日)の日米和親条約締結までにわたる215年間を「鎖国」 (英: closed country) と呼ぶ。
幕末に「開国」を主導した井伊直弼は、「鎖国」のことを閉洋之御法とも呼んでおり、籠城と同じようなものだと見做していた[1]。
なお海外との交流・貿易を制限する政策は江戸時代の日本だけにみられた政策ではなく、同時代の東北アジア諸国でも「海禁政策」が採られていた[注 1]。
対外関係は朝鮮王朝(朝鮮国)及び琉球王国との「通信」(正規の外交)、中国(明朝と清朝)[注 2]及びオランダ[注 3](オランダ東インド会社[注 4])との間の通商関係に限定されていた。鎖国というとオランダとの貿易が取り上げられるが、実際には幕府が認めていたオランダとの貿易額は中国の半分であった。
ただし、本来鎖国とは、外国との交際がなく、国際的に孤立した状態をいう[要出典]が、江戸時代の鎖国とは、日本人の海外渡航と在外日本人の帰国を禁止し、対外貿易を長崎でのオランダ商館と中国船との貿易だけに制限した状態をいい、完全な国際的孤立状態を意味していない[2]。
また、鎖国という名が使われたのは、長崎のオランダ通詞志筑忠雄がエンゲルベルト・ケンペルの著作『日本誌』の一部分を翻訳して、それに「鎖国論」と名づけたころ、すなわち幕末に開国ということが問題にされるようになってから、開国という言葉に対して使われだした[2]。詳しくは、次項で述べる。
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