鎖国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/22 02:20 UTC 版)
評価
評価は論者によって分かれている。そもそも「鎖国」では無いとする評価 については下記の#「鎖国」概念の見直しを参照。
肯定的評価
- 日本独自の文化を形成し、自給自足の経済体制を構築できた[64](ビル・トッテン)。
- スペイン・ポルトガルの侵攻を防いだ(占部賢志)[65]。
- 「国内には不断の平和が続き、かくて世界でもまれに見るほどの幸福な国民である。海外の世界との交流は一切断ち切られて完全な閉鎖状態に置かれている現在の日本ほどに、国民の幸福がより良く実現している時代はない」(鎖国論作者エンゲルベルト・ケンペル[66])。
否定的評価
- 世界の動きから断絶したため海外の事情に疎くなった(戦前の歴史教科書に共通した評価)[67]。
- 南方進出のチャンスを逃した(菊池寛)[68]。
- 最終的に太平洋戦争の敗北にまでつながった。すでに日本は内戦状態(戦国時代)であったのだから、宣教が征服目的であったならとっくに征服していた(和辻哲郎)[69]。
「鎖国」概念の見直し
上記の通り、「鎖国」は外国との交流を制限するものと解釈されてきた。
しかし、1980年代になると、従来の「鎖国」概念を廃し、一連の政策は徳川幕府が中世の対外関係秩序を再編したものとする考え方が提唱された[70]。さらに2000年代に入って、〈鎖されていなかった徳川日本を「鎖国」と呼んできた歴史〉を歴史化し、それを日本人のアイデンティティと密接に関係する言説として捉え、その形成史を解明する研究が登場した[71]。また、その延長で、「鎖国」だけではなく「開国」も言説として捉え、その形成史を追究する試みも展開されている[72]。
このような背景から、2017年2月には2020年度から使用される中学校の次期学習指導要領改定案から「鎖国」という表現が削除され[73]、小学校では「幕府の対外政策」、中学では「江戸幕府の対外政策」とされる予定であるとの発表があった。しかし、パブリックコメント(意見公募)での批判が多かったことから、幕末の「開国」との関係に配慮し「鎖国などの幕府の対外政策」といった表記がなされることとなった[74][75]
なお、海外との交流・貿易を制限する政策は徳川日本だけにみられた政策ではなく、同時代の東北アジア諸国でも「海禁政策」が採られていたこともあり、現代の歴史学においては、「鎖国」ではなく、東北アジア史を視野に入れてこの「海禁」という用語を使う傾向がみられる。その理由としては、1)「鎖す」という語感が強すぎる、2)対欧米諸国の視点に基づきすぎている、3)否定的なイメージがある、があげられている。しかし、「海禁」自体の研究が十分ではないとの指摘もあり[76]、従来の用語を変えることへの批判もある[77][78]。
関連項目
- 長崎貿易
- 山丹交易
- 琉球貿易
- 日朝貿易
- 詐取
- 利権
- 保守主義
- パラダイス鎖国
- ガラパゴス化
- 非武装中立
- 歴史の終わり(アレクサンドル・コジェーヴ/モーリス・パンゲ)
- 侍政
- 明治維新以前に日本に入国した欧米人の一覧
- 外国の鎖国政策
- 孤立主義
- チベット旅行記 - 河口慧海が外国人立ち入り禁止時代のチベットに潜入した記録。河口は当時のチベットの状況を鎖国と表現している。
- アルバニア社会主義人民共和国 - エンヴェル・ホッジャが築いた、1978年から1990年における同国の強い「孤立主義」政策を「鎖国」と呼ぶ場合がある[79]。
- 海禁
- en:Xenelasia - 古代ギリシャの一部に見られた鎖国政策
品詞の分類
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