鉄剣・鉄刀銘文 鉄剣・鉄刀銘文の概要

鉄剣・鉄刀銘文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/05 15:40 UTC 版)

稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣

埼玉県立さきたま史跡の博物館展示。左は表面、右は裏面。

1968年昭和43年)、埼玉県行田市稲荷山古墳から出土した「金錯銘鉄剣」である。全文115字からなる象嵌の銘文が記されている[注釈 1]。全長73.5センチメートル、中央の身幅3.15センチメートル、鉄剣の表に57字、裏に58字の計115字の銘文が記されている。タガネで鉄剣の表裏に文字を刻み、そこに金線を埋め込んでいる。優れた技術者がいたと推測される[1]

辛亥年七月中記乎獲居臣上祖名意富比垝其児多加利足尼其児名弖已加利獲居其児名多加披次獲居其児名多沙鬼獲居其児名半弖比

<訓読>

辛亥の年七月中、記す。ヲワケの臣。上祖、名はオホヒコ。其の児、(名は)タカリのスクネ。其の児、名はテヨカリワケ。其の児、名はタカヒ(ハ)シワケ。其の児、名はタサキワケ。其の児、名はハテヒ。
  • 表の銘文
  • 裏の銘文
其児名加差披余其児名乎獲居臣世々為杖刀人首奉事来至今獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時吾左治天下令作此百練利刀記吾奉事根原也

<訓読>

其の児、名はカサヒ(ハ)ヨ。其の児、名はヲワケの臣。世々、杖刀人の首と為り、奉事し来り今に至る。ワカタケル(クヮクカタキル)の大王の寺、シキの宮に在る時、吾、天下を左治し、此の百練の利刀を作らしめ、吾が奉事の根原を記す也。

解釈

115文字という字数は日本のみならず朝鮮・中国の例と比較しても多い。日本で作られたと考えられる古墳時代の他の銘文について字数が多い例は、熊本県江田船山古墳出土の大刀銘75字、和歌山県橋本市隅田八幡神社所蔵の銘48字などがある。

辛亥年は471年が定説であるが一部に531年説もある。通説通り辛亥年が471年とするとヲワケが仕えた獲加多支鹵大王とは、大長谷若建(おおはつせわかたける)命・大泊瀬幼武(おおはつせわかたける)・雄略天皇であり、あるいは『宋書』倭国伝にみえる倭王であると比定される。大王という称号が5世紀から使われたことの確実な証拠となる。ヲワケが地方豪族であるか中央豪族であるかの判断など研究者で意見が分かれる。加多支鹵大王とはヤマトと異なる関東の大王だとの説も有り、それによるとヤマトの支配権は関東に及んでいなかったことになる(古田武彦説)。

銘文「意冨比垝」の「意」・「比垝」は百済の用字法にもある[2]。 『三国史記』百済本紀 513 年の条に、日本人 穂積臣押山おしやま穂積押山)の名が「斯移麻岐彌おしやまきみ」と記されている。また、『日本書紀』神功皇后 47 年 4 月の条に「百濟記に職麻那那加比跪ちくまなながひこ千熊長彦)と云へるは、蓋し是か」、同 62 年の条に「百濟記に云はく……貴國沙至比跪さちひこ葛城襲津彦)を遣はして之を討たしむ」とある。「垝」と「跪」とは同音である。

また「辛亥年七月中記」の「中」は、朝鮮古漢文でも758年頃に用法としてある[注釈 2][2]

「多沙鬼獲居」の「多沙鬼」は、『日本書紀』神功皇后 50 年 5 月の条に見える「多沙城」に由来する名と推定される。「多沙」は任那の地名である[2](→城 (き))。

ほか、「百練」以外の常套句・吉祥句がない。「辛亥年七月中記」中国的要素が強い。ヲワケの祖先八代の系譜を記している。ヲワケ一族の伝統とこの鉄剣を作った理由を記している。ヲワケの臣の父(カサハヨ)と祖父(ハテヒ)には、ヒコ・スクネ・ワケなどのカバネ的尊称がつかない。部民制の用例がみられない。ヲワケの臣。すでにウジ(氏)とトモ(伴・部)の成立がみられる。当時の倭国の人名・地名を漢字音で表記している。獲加多支鹵大王のもとに中国語に精通した記録者の存在を示している。

宮崎市定は「記す」の繰り返しは漢文として稚拙であるから最初の「記」は氏族名であり「記のヲワケ臣」が人名であるとした。また『古事記』中巻・崇神天皇のオホタタネコの系譜の最後に一人称「僕」が現れる例を挙げ、ヲワケの父の名はカサヒヨでなくカサヒであり、「余」は「われ」の意味だとして「余は其の児にして名はヲワケ臣」と読んだ。また「寺」(政庁)と「宮」の重複も不自然で、「寺」は「侍」(サムライ、貴人に仕えること)の略であるとして「奉事し来たりて今のワカタケル大王に至る。(私ヲワケ臣が)侍してシキの宮に在りし時」と読んだ。さらに「吾」の繰り返しも稚拙であり、「吾左治天下」の「吾」は本来は「為」の字で「天下を治むるを佐けんが為に」と読むべきとした。宮崎は著書の中で、最初に発表されたレントゲン写真では「為」に近い形であった文字に補修者が手を加え、「吾」という文字を創作したと述べ、写真を載せて非難した[3]

稲荷台1号墳出土の「王賜」銘鉄剣

「王賜」銘鉄剣 (複製)
市原市埋蔵文化財調査センター展示。

千葉県市原市稲荷台1号墳から出土した鉄剣である。同古墳には2基の木棺が納置され(中央木棺と北木棺)、鉄剣は中央木棺から検出された[注釈 3]

鉄剣には、象嵌で、表面に「王賜□□敬□(安)」、裏面に「此廷□□□□」と記されている[4]。鉄剣に紀年が記されていないが、木棺に収められていた鋲留短甲と鉄鏃の形式から5世紀中葉と見られている。

銘文を読み下すと、「王、□□を賜う。敬(つつし)んで安ぜよ。此の廷(刀)は、□□□」となる。内容は、王への奉仕に対して下賜するという類型的な文章で、「王から賜った剣をつつしんで取るように」ということである[4]。被葬者は2人の武人であり、房総半島の一角に本拠をもつ武人が畿内の「王」のもとに出仕して奉仕し、その功績によって銀象嵌の銘文を持つ鉄剣を下賜されたものと考え、銘文中の「王」を倭の五王のうちの「済」(允恭天皇)とする説が有力である。しかし和歌山県隅田八幡神社所蔵の鏡銘に「大王」の記述が見られ、この鏡の銘の癸未年を443年とすると允恭天皇は「大王」を名乗っていたと推測されることから、「王」を上海上の首長である対岸の姉崎二子塚古墳の被葬者とみる説もある[5]

ほか、銘文の特徴としては、「王賜」の画線が他の文字よりも太く、文字間隔が大きい。また「王賜」の二字が裏面の文字より上位に配置されている。こうした書き方は、貴人に敬意を表す時に用いる擡頭法(たいとうほう)という書法である。


注釈

  1. ^ 1978年9月の保存修理の結果。
  2. ^ 例:「二塔天寳十七年戊戌立在之」(『葛項寺造塔記』758 年)
  3. ^ なお、中央木棺からは他に鉄剣3口、鋲留短甲(びょうどめたんこう)1、鉄鏃3、刀子1が検出され、北木棺からは大刀1口、鉄鏃一種、胡簶(ころく)金具1組が検出されている。
  4. ^ 千年以上もその存在が忘れられていたが、菅政友(かんまさすけ[6]、1824年 - 1897年)によって見出され、金象嵌の文字が研ぎ出された。
  5. ^ 表に34字、裏に27字、表裏併せて61字あり、読めるもの49字、全く読めないもの4字、後の8字はわずかに残る線画によって推測。
  6. ^ 倭王とは九州の倭国の王で、後に倭国からヤマトに七支刀が奪われたとの説も有る(古田武彦説)。
  7. ^ 5文字目は「令」「今」「㐱」、6文字目は「河」「珂」「阿」、7文字目は門構えの文字、9文字目は「伊」または「得」、12文字目は「刀」または「也」の可能性がある。
  8. ^ 一方、この「大王」を、ヤマトとは別の九州の大王と見る説も有る(古田武彦説)。それによると、この頃ヤマトの勢力は九州に及んでいなかったことになる。

出典

  1. ^ 推定銘文及び訓読は(埼玉県教委 1979)による。
  2. ^ a b c 村山・国分 1979.
  3. ^ 宮崎 1983, p. 145.
  4. ^ a b 東野 2010, pp. 12–13.
  5. ^ 原島 1993, pp. 11–14.
  6. ^ コラム古代からのメッセージ > 倭の五王の時代 > 七支刀の銘文 (№151)”. 藤井寺市 (2009年6月4日). 2013年11月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月4日閲覧。
  7. ^ 宮崎 1992.
  8. ^ 『日本書紀』神功皇后摂政五十二年九月の条
  9. ^ a b 加藤ほか編 2005.
  10. ^ 池田 1984.
  11. ^ 勝部 1984, pp. 76–77.
  12. ^ 鬼頭 1987, pp. 73–74.
  13. ^ 鬼頭 1987, p. 74.
  14. ^ 岸 1987, pp. 122–123.
  15. ^ 令和元年7月23日文部科学省告示第26号
  16. ^ 文化審議会答申 ~国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定及び登録有形文化財(美術工芸品)の登録について~(文化庁サイト、2019年3月18日発表)
  17. ^ 青木・犬竹 1995.
  18. ^ a b 江田船山国宝展実行委員会 2001.
  19. ^ 国宝がやってきた「江田船国宝展」 ~熊本の技と美の1500年~”. 熊本県教育委員会文化課. 2005年2月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月4日閲覧。
  20. ^ a b c 林田・三好 2023, p. 28.
  21. ^ a b 林田・三好 2023, p. 29.





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