鉄剣・鉄刀銘文 箕谷2号墳出土の「戊辰年」銘鉄刀

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鉄剣・鉄刀銘文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/05 15:40 UTC 版)

箕谷2号墳出土の「戊辰年」銘鉄刀

1984年(昭和59年)兵庫県養父市八鹿町(ようかちょう)小山の箕谷2号墳から出土した鉄刀である。

現存長68センチメートルほどの鉄刀の佩裏(はきうら)に「戊辰年五月□」の銅象嵌で記されている文字が見つかった。おそらくこの刀が造られた年紀と考えられる。この「戊辰(ぼしん)年」は、608年と推定されている。

東大寺山古墳出土の「中平」銘大刀

金錯銘花形飾環頭大刀
先端部(画像下側)に「中平」銘(逆向き)。東京国立博物館展示。

1962年昭和37年)奈良県天理市東大寺山古墳から出土した鉄刀である。鉄刀は長さ110センチメートルで、金象嵌が検出された。推定銘文は、次の通りである。

中平□□ 五月丙午 造作支刀 百練清剛 上応星宿 □□□□

解釈

文の内容は、「中平□年五月丙午の日に、この銘文を入れた刀を造った。よく鍛えた鋼の刀であるから、天上では神の御意にかない、下界では災いを避けることができる。」という意味である。

中平とは、霊帝の治世の184年から189年の期間の年号である。この頃は、『魏志』倭人伝には、倭国乱れ互いに攻伐し合い、長い間盟主なく、のち卑弥呼が王となる、とある。 「五月丙午(へいご、ひのえうま)」とは、盛夏を意味し、刀剣や鏡などの金属器を造る時、太陽から火を採る最適の日と考えられている。実際の日の干支とは関係なく刻まれる吉祥句(常套句)である。箕谷2号墳出土の鉄刀にも五月と刻まれている。

東大寺山古墳は全長140メートルの前方後円墳で、4世紀後半頃に築造された。刀には環状の柄頭(つかがしら)が新しくつけられていた。この柄頭は、三葉環頭と称されるもので、埋葬の直前に付け替えられたと考えられる。約200年も経て埋葬された。下賜された人物とその子孫が権威の象徴として「伝世」したともみられる。

石上神宮伝世の七支刀

七支刀は、神功皇后の時代に百済の国から奉られたと伝えられ、奈良県天理市石上神宮に保存されていた[注釈 4]。七支刀の名は、鉾に似た主身の左右から三本ずつの枝刃を出して計て七本の刃を持つ形に由来すると考えられる。主身に金象嵌の文字が表裏計61字記されている[注釈 5]

銘文

泰□四年□月十六日丙午正陽造百錬□七支刀□辟百兵宜供供(異体字、尸二大)王□□□□作

また

泰□四年□月十六日丙午正陽造百錬□七支刀□辟百兵宜供供王□□□□作
先世(異体字、ロ人)来未有此刀百済□世□奇生聖(異体字、音又は晋の上に点)故為(異体字、尸二大)王旨造□□□世

また

先世来未有此刀百濟□世□奇生聖故為王旨造□□□世

解釈

表面にある年紀の解釈に関しては未だ定説はないが、「泰和四年」として369年とする説、泰□四年を「泰始四年」として468年を当てる説がある。

宮崎市定は「泰□四年□月」を「泰始四年五月」として解釈し、次のように読解した[7]

  • 〔表面〕
泰始四年五月十六日丙午正陽 造百練鋼七支刀 呂辟百兵 宜供供侯王永年大吉祥

<解読>

泰始四年(468年)夏の中月なる5月、夏のうち最も夏なる日の16目、火徳の旺んなる丙午の日の正牛の刻に、百度鍛えたる鋼の七支刀を造る。これを以てあらゆる兵器の害を免れるであろう。恭謹の徳ある侯王に栄えあれ、寿命を長くし、大吉の福祥あらんことを。
  • 〔裏面〕
先世以来未有此刀 百□王世子奇生聖徳 故為倭王旨造 伝示後世

<解読>

先代以来未だ此(かく、七支刀)のごとき刀はなかった。百済王世子は奇しくも生れながらにして聖徳があった。そこで倭王の為に嘗(はじ)めて造った。後世に伝示せんかな。


表面は、製作の年月、鋳造に関する決まり文句(慣用的な吉祥句)。裏面は、倭王[注釈 6]に贈るために百済において製作したと書いている。百済王の近肖王(太子の近仇首王=貴須王)から倭王の「旨」のために造った、との解釈もある。

また、『日本書紀』によれば、神功皇后52年(252年?)九月丙子の条に、百済の肖古王が日本の使者、千熊長彦に会い、七支刀一口、七子鏡一面、及び種々の重宝を献じて、友好を願ったと書かれている。

五十二年秋九月丁卯朔丙子、久氐等從千熊長彥詣之、則獻七枝刀一口、七子鏡一面及種種重寶、仍啓曰:「臣國以西有水、源出自谷那鐵山、其邈七日行之不及。當飲是水、便取是山鐵以永奉聖朝。」乃謂孫枕流王曰:「今我所通東海貴國、是天所啓、是以垂天恩、割海西而賜我、由是國基永固。汝當善脩和好、聚斂土物、奉貢不絕、雖死何恨!」自是後、每年相續朝貢焉。[8]

この頃の書紀の記述は丁度干支二巡分(120年)年代が繰り上げられているとされており、訂正すると372年となって制作年の太和(泰和)四年(369年)と符合する。

千熊長彦は『百済記』によれば、「職麻那那加比跪」と表記され[9]、367年に新羅が百済の貢ぎ物を奪ったため、千熊長彦が新羅を責めたとあり、またその二年後の369年に千熊長彦が新羅を伐ち、比自火本、南加羅、安羅、多羅、卓淳、加羅などの七カ国を平定し、また比利、布弥支、半古などの四つの村を平定したとある[9]。倭国によるこれらの事蹟に対して百済肖古王が、久氐らを派遣した。

なお、石上神宮は、朝廷の武器庫であり、多くの武器を宝蔵したともされる。七支刀もその一つ。


注釈

  1. ^ 1978年9月の保存修理の結果。
  2. ^ 例:「二塔天寳十七年戊戌立在之」(『葛項寺造塔記』758 年)
  3. ^ なお、中央木棺からは他に鉄剣3口、鋲留短甲(びょうどめたんこう)1、鉄鏃3、刀子1が検出され、北木棺からは大刀1口、鉄鏃一種、胡簶(ころく)金具1組が検出されている。
  4. ^ 千年以上もその存在が忘れられていたが、菅政友(かんまさすけ[6]、1824年 - 1897年)によって見出され、金象嵌の文字が研ぎ出された。
  5. ^ 表に34字、裏に27字、表裏併せて61字あり、読めるもの49字、全く読めないもの4字、後の8字はわずかに残る線画によって推測。
  6. ^ 倭王とは九州の倭国の王で、後に倭国からヤマトに七支刀が奪われたとの説も有る(古田武彦説)。
  7. ^ 5文字目は「令」「今」「㐱」、6文字目は「河」「珂」「阿」、7文字目は門構えの文字、9文字目は「伊」または「得」、12文字目は「刀」または「也」の可能性がある。
  8. ^ 一方、この「大王」を、ヤマトとは別の九州の大王と見る説も有る(古田武彦説)。それによると、この頃ヤマトの勢力は九州に及んでいなかったことになる。

出典

  1. ^ 推定銘文及び訓読は(埼玉県教委 1979)による。
  2. ^ a b c 村山・国分 1979.
  3. ^ 宮崎 1983, p. 145.
  4. ^ a b 東野 2010, pp. 12–13.
  5. ^ 原島 1993, pp. 11–14.
  6. ^ コラム古代からのメッセージ > 倭の五王の時代 > 七支刀の銘文 (№151)”. 藤井寺市 (2009年6月4日). 2013年11月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月4日閲覧。
  7. ^ 宮崎 1992.
  8. ^ 『日本書紀』神功皇后摂政五十二年九月の条
  9. ^ a b 加藤ほか編 2005.
  10. ^ 池田 1984.
  11. ^ 勝部 1984, pp. 76–77.
  12. ^ 鬼頭 1987, pp. 73–74.
  13. ^ 鬼頭 1987, p. 74.
  14. ^ 岸 1987, pp. 122–123.
  15. ^ 令和元年7月23日文部科学省告示第26号
  16. ^ 文化審議会答申 ~国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定及び登録有形文化財(美術工芸品)の登録について~(文化庁サイト、2019年3月18日発表)
  17. ^ 青木・犬竹 1995.
  18. ^ a b 江田船山国宝展実行委員会 2001.
  19. ^ 国宝がやってきた「江田船国宝展」 ~熊本の技と美の1500年~”. 熊本県教育委員会文化課. 2005年2月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月4日閲覧。
  20. ^ a b c 林田・三好 2023, p. 28.
  21. ^ a b 林田・三好 2023, p. 29.


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