野村謙二郎 監督としての采配

野村謙二郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/28 17:55 UTC 版)

監督としての采配

野村は選手時代の経験を生かした広島伝統の「走る赤ヘル野球」を標榜し、俊足の選手を積極的に上位打線に起用してチーム盗塁数を大幅に増加させ、ブラッド・エルドレッドら外国人との積極的なコミュニケーション[86]の評価は高い。その一方で左右病と揶揄される、相手投手の利き腕によって打順を大幅に変える采配が指摘されることも多かった[87]。この傾向は、予告先発制度が導入された2012年度以降で顕著である。野村のこの采配は、相手投手との相性や自軍の選手の状態に関係なく、積極的に行っているため打順が固定出来ないという批判が目立った[87]

バント嫌い

野村が2022年8月に古田敦也の冠番組である『フルタの方程式』で語ったところによると、「初回からバントするのって何でだろうなと思う」とバント(特に送りバント)が嫌いであるという。投手心理を考えるとプレイボール直後に先頭打者を出したのに2番打者で1アウトを自ら献上するのは理解できないとのこと。野村の主張によると、ある程度プロ野球のエンターテインメント性は考えてバントを嫌っているという。同放送内で、このようなバント嫌いは高校時代までバントばかりの非力な打者であったことによるトラウマではないかと指摘されている。ただし監督時代においては、自軍の先発投手の質次第では先手を取って攻めようと送りバントを行うこともあったため、当時完全に否定しているわけではなく終盤に決勝点を取るためのバントもある程度肯定していた[88]

人物

愛称はノムケン。小学校からプロまで主将を務め、常にチーム全体や他の選手を気にかけていた[34]。1994年からは主将やチームリーダーとしての素質を認められ[21]フリーエージェント権の取得時には球団事務所も指導者としての期待をかけて、チームの残留を望んだ[34]

球場外でのトレーニングの時も他の選手に目を配り、若手だった東出や新井が不振に苦しんだ時期には励ましを送っていた。新井は野村について「心から頼れて、とても信用できるんです」と語っている[34]。また、金本知憲トリプルスリーを記録した際には、経験者としてアドバイスを送り、落ち着きを取り戻させた[34]

外国人選手と定期的に食事会を催し、常に英語でコミュニケーションをとっている。英語は2006年から2008年にカンザスシティ・ロイヤルズで臨時コーチを務めた際、独学で学んだ。野村は「単語だけで文法はむちゃくちゃ。恥ずかしがらない勇気で通じますよ」と語っており、心をオープンにして外国人選手から信頼を集めており[89]、2014年の本塁打王エルドレッドは「ケニー(野村監督)のアドバイスのおかげ」と野村に感謝している[90]

姉に元宝塚歌劇団70期生の秋月志保、弟に元社会人野球選手(投手)で日本石油駒澤大学環太平洋大学でコーチや監督を務め、2019年の日米大学野球選手権大会日本代表コーチの野村昭彦がいる[91][92]

広島市出身で幼少時からカープファンであった柳田悠岐ソフトバンク)も、憧れの選手に野村の名前を挙げている。

実際に現役を引退したのは2005年だが、2年前の2003年に1度現役引退を申し出ていた。しかし、当時監督だった山本浩二に2000安打まで約150本と迫っていたことを理由に引き止められ、2005年に2000安打を達成し、引退した[93]

サッカー日本代表監督森保一とは、広島市南区内の同じ団地[注 1]に住み、自宅は歩いて2分のところにありそこから30年来の友人[95][96][97]

2022年11月23日の47NEWSインタビューで、『僕が小学校から高校まで投手をしたことがあると一部のインターネット上で紹介されているようですが、それは弟のことじゃないですか。僕は野球を始めてから、ずっとショートですよ。』と語った[98]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1989 広島 88 164 151 29 39 4 5 0 53 12 21 5 2 1 7 0 3 21 1 .258 .299 .351 .650
1990 125 576 519 84 149 28 8 16 241 44 33 23 2 1 45 3 9 83 1 .287 .352 .464 .817
1991 132 573 524 75 170 22 7 10 236 66 31 5 5 6 29 0 9 62 7 .324 .363 .450 .813
1992 130 611 545 89 157 22 5 14 231 63 21 6 2 3 56 5 5 73 5 .288 .357 .424 .781
1993 130 602 556 67 148 21 1 14 213 48 12 9 1 1 39 4 5 83 6 .266 .319 .383 .702
1994 130 614 558 77 169 20 4 10 227 61 37 14 4 3 45 5 4 75 7 .303 .355 .407 .762
1995 131 611 550 109 173 29 5 32 308 75 30 8 0 2 53 7 6 60 4 .315 .380 .560 .940
1996 124 562 514 77 150 30 3 12 222 68 8 7 0 5 38 1 5 63 5 .292 .343 .432 .775
1997 131 601 540 81 151 25 0 13 215 52 26 5 0 2 54 3 5 68 10 .280 .349 .398 .748
1998 135 607 561 75 158 26 4 14 234 49 15 9 0 2 41 6 3 63 8 .282 .333 .417 .750
1999 101 387 350 37 102 20 1 6 142 42 2 4 1 1 33 3 2 34 11 .291 .354 .406 .760
2000 61 228 208 15 50 4 1 2 62 17 1 1 0 2 13 1 5 22 6 .240 .298 .298 .596
2001 117 435 403 35 110 18 1 9 157 53 7 4 0 1 31 2 0 59 13 .273 .324 .390 .714
2002 85 187 175 14 37 4 0 3 50 11 1 1 2 1 9 0 0 33 5 .211 .246 .286 .532
2003 94 340 310 25 85 8 0 5 108 32 3 1 1 1 27 1 1 49 10 .274 .332 .348 .681
2004 107 392 359 27 97 18 2 5 134 43 1 2 3 3 24 5 3 48 8 .270 .316 .373 .690
2005 106 297 272 19 75 14 0 4 101 29 1 0 4 2 18 2 1 42 7 .276 .316 .371 .688
通算:17年 1927 7787 7095 935 2020 313 47 169 2934 765 250 104 27 37 562 48 66 938 114 .285 .340 .414 .754
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別監督成績

レギュラーシーズン



























2010 広島 5位 144 58 84 2 .408 21.5 104 .263 4.80 44歳
2011 5位 144 60 76 8 .441 16.0 52 .245 3.22 45歳
2012 4位 144 61 71 12 .462 26.5 76 .233 2.72 46歳
2013 3位 144 69 72 3 .489 17.0 110 .248 3.46 47歳
2014 3位 144 74 68 2 .521 7.5 153 .272 3.79 48歳
通算:5年 718 322 371 27 .465 Aクラス2回、Bクラス3回
  • 2011年、出場停止2試合(6月28日と6月29日の対阪神タイガース戦=1勝1敗)は通算成績に含まない。その期間の代理監督は高信二
ポストシーズン
年度 球団 大会名 対戦相手 勝敗
2013 広島 セントラル・リーグ
クライマックスシリーズ

第1ステージ
阪神タイガースセントラル・リーグ2位) 2勝0敗=第2ステージ進出
セントラル・リーグ
クライマックスシリーズ
第2ステージ
読売ジャイアンツ(セントラル・リーグ1位) 0勝4敗=敗退
(※1)
2014 セントラル・リーグ
クライマックスシリーズ

第1ステージ
阪神タイガース(セントラル・リーグ2位) 0勝1敗1分=敗退
(※2)
※ 勝敗の太字は勝利したシリーズ
※1 第2ステージは相手チームのアドバンテージ1勝を含め、0勝4敗で敗退。
※2 第2戦は前年制定された12回表終了時点でのステージ勝者確定による打ち切り規定が初めて適用され[99]、1敗1分で敗退。

タイトル

  • 盗塁王:3回(1990年、1991年、1994年)
  • 最多安打:3回(1991年、1994年、1995年)※正式タイトル制定は1994年。

表彰

記録

初記録
節目の記録
  • 1000安打:1995年9月22日、対横浜ベイスターズ23回戦(横浜スタジアム)、5回表にデニー友利から右越え2点本塁打を放ち達成 ※史上181人目(857試合での達成は歴代9位)
  • 100本塁打:1996年5月28日、対中日ドラゴンズ7回戦(ナゴヤ球場)、8回表に山本昌から右越えソロ本塁打 ※史上187人目
  • 1000試合出場:1997年4月16日、対読売ジャイアンツ2回戦(広島市民球場)、1番・遊撃手として先発出場 ※史上340人目
  • 1500安打:1999年5月19日、対阪神タイガース8回戦(米子市民球場)、5回裏に井川慶から左前安打 ※史上77人目(1289試合での達成は歴代5位)
  • 1500試合出場:2001年8月26日、対阪神タイガース24回戦(阪神甲子園球場)、6番・三塁手として先発出場 ※史上133人目
  • 150本塁打:2001年10月6日、対中日ドラゴンズ28回戦(広島市民球場)、4回裏に小笠原孝から中越えソロ本塁打 ※史上119人目
  • 300二塁打:2005年4月1日、対読売ジャイアンツ1回戦(東京ドーム)、9回表に佐藤宏志から右中間へ二塁打 ※史上42人目
  • 2000安打:2005年6月23日、対ヤクルトスワローズ8回戦(広島市民球場)、4回裏に川島亮から左前安打 ※史上33人目
  • 250盗塁:2005年7月1日、対読売ジャイアンツ7回戦(東京ドーム)、8回表に二盗(投手:高橋尚成、捕手:阿部慎之助) ※史上37人目
その他の記録
  • トリプルスリー:1回(1995年)
  • シーズン150安打以上:7回(1991年、1992年、1994年 - 1998年) ※歴代4位タイ。
  • 5年連続シーズン150安打以上(1994年 - 1998年) ※歴代5位タイ。
  • 4年連続リーグ最多内野安打(1991年 - 1994年)
  • 通算初回先頭打者本塁打:21本 ※歴代10位。
  • 通算初回先頭打者初球本塁打:7本 ※歴代1位。
  • シーズン初回先頭打者初球本塁打:3本 ※歴代2位。
  • 2試合連続初回先頭打者本塁打(1997年8月21日 - 8月22日)
  • 1試合3犠飛(1996年6月30日) ※日本タイ記録。
  • 3試合連続三塁打(1990年4月8日 - 4月11日)
  • 20試合連続安打(1994年8月3日 - 8月25日)
  • 10試合連続得点(1995年5月13日 - 5月26日)
  • オールスターゲーム出場:8回(1990年、1991年、1993年 - 1998年)

背番号

  • 7(1989年 - 2005年)
  • 77(2010年 - 2014年)

注釈

  1. ^ 広島市でいう団地は、山を切り崩して造成された一戸建て住宅が建ち並ぶ区域のことを指す[94]

出典

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  98. ^ トリプルスリー達成も「バットに何か細工してる?」と怪しまれた、広島一筋17年プレーの野村謙二郎さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(9)”. 47NEWS (2022年11月23日). 2022年11月23日閲覧。
  99. ^ “阪神 史上初!引き分けコールド CSファーストS球団初突破”. スポーツニッポン. (2014年10月13日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/10/13/kiji/K20141013009092870.html 2022年3月25日閲覧。 


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