近藤勇
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辞世
辞世の句は漢詩(七言律詩)で作られており、この句が刻まれた句碑が龍源寺境内の墓所にある。
- 孤軍援絶作囚俘 顧念君恩涙更流
- 一片丹衷能殉節 睢陽千古是吾儔
- (書き下し文)
- 孤軍援(たす)け絶えて俘囚となる 顧みて君恩を思へば涙更に流る
- 一片の丹衷能(よ)く節に殉ず 睢陽は千古是れ吾が儔(ともがら)
- 靡他今日復何言 取義捨生吾所尊
- 快受電光三尺劔 只將一死報君恩
- (書き下し文)
- 他に靡き今日復(ま)た何をか言はん 義を取り生を捨つるは吾が尊ぶ所
- 快く受けん電光三尺の剣 只に一死をもって君恩に報いん
子孫
近藤の刑死後である1876年(明治9年)に近藤の長兄である宮川音五郎の次男・勇五郎が近藤家の養子に迎えられる[6]。近藤と妻・つねとの間に生まれた娘・たまは勇五郎に嫁し[6]、のちに長男・久太郎を産み、25歳で亡くなっている。その久太郎も明治38年(1905年)に日露戦争で戦死したため、近藤の嫡流子孫は絶えている。
しかしながら子はたまのほか、妾の駒野との間に男子(のちに僧籍)、同じく妾のお考との間に娘のお勇、同じく妾のおよしとの間に男子がいる。孫は久太郎のほかに勇が朝鮮人貿易商との間にもうけた男子3人がいる。
宮川家は代々農家を続けており、現在の末裔も都内で農家を営んでいる。一族の宮川清蔵は天然理心流9代宗家となっている(近藤勇は4代宗家)。
逸話
- 愛刀は長曽禰虎徹興里(長曽祢虎徹とも)。
- 近藤の虎徹については真贋を含めて所持は不明であり、複数の説がある。子母沢寛の『新撰組始末記』では「江戸で買い求めた」「鴻池善右衛門に貰った」「斎藤一が掘り出した」の三説を挙げている。
- 研師の犬塚徳太郎は、本作は源清麿作であったとし[67]、関東大震災の折に焼失したとしている[68]。
- 令和2年(2020年)6月、近藤の愛刀であった可能性の高い刀(以下「本作」)が現存する旨が報道された[69]。本作は金子堅太郎が所蔵していたものと考えられる[69]。本作には「長曽祢虎徹興正」の銘がある[69]。本作の鞘には、金子のものとみられる筆跡で「近藤から神奈川宿の中村家に渡され、同家から金子が入手した」旨が記されている[69]。
- 源義経、楠木正成などの武将が登場する軍談を読み聞かせられて育った。特に三国志演義の関羽に憧れていたと伝わる。
- 加藤清正を尊敬し、同じく口から拳骨を出し入れできた加藤清正の真似をして「清正公のように出世したいものだ」と語ったという。
- 近藤の生家(現野川公園入口付近)は明治以降も現存していたが、太平洋戦争中の調布飛行場延長工事により取り壊され、井戸と近藤勇を祀った小さな神社がある。
- たまごふわふわと呼ばれる、静岡県袋井市の郷土料理を好んだとされる。
- 平成23年(2011年)10月、頼山陽流の漢詩掛け軸が見つかり報道された。その句は「只應晦迹寓牆東、喋喋何隨世俗同。果識英雄心上事、不英雄處是英雄」である(画像)。
- 書き下せば「只だ應に迹を晦まして牆東に寓すべし、喋喋何ぞ世俗に隨って同じからん。果たして英雄の心の上の事を識らば、英雄ならざる處ぞ是れ英雄。」、現代語訳は、「ひたすら隠者生活を送るべきであり、喋喋と政治を議論する俗人と同じではない。もし英雄の心が理解されるならば、英雄らしからぬことこそ英雄(なのである)」となる[70]。
評価
- 江川太郎左衛門 「武勇と豪胆とは、麾下九万の士人中、勇ぞその第一位を占めたりける。されば、まだうら若き身をもって、新撰組の頭領として、海内同様の中心たりし京城鎮護の命を受け、一時その独力をもて、驚悍狂躁の浮浪ばらを打鎮め、幕廷鎮護の干将莫邪とは成りたりけり。勇は容貌魁偉にして、音吐さながら洪鐘の如く、紅顔あたかも棗を重ね、気躁あたりを沸ひしとぞ。去れども、その人寡黙にして能く辞譲の道をば守り、和気自ずから四筳に薫て、彼の武人一通りの弱点たる、峻厲人と犯すが如き事は絶えて無かりしとぞ。さればこそ、若冠にして多数の虎豹を引纏め、儼然として一敵国をば構えたりけれ」[72]
- 渋沢栄一 「会って見ると存外穏当な人物で、毫(いささか)も暴虎馮河の趣などは無く、よく事理の解る人であった。しかし近藤は飽くまで薩摩を嫌いな人で、薩州人とは俱に天を戴かざる概を示しておったものだから、薩州人に対してのみは過激な態度を取ったりなぞしたので、一見暴虎馮河の士の如くに世間から誤解せらるようにもなったのである」[73]
- 中西君尾 「近藤は実に剛胆な男らしい男でありました」[74]
- 西村捨三 「背高く色黒く中肉にて痘痕あり。中々落ち着き払いたる天晴の武士なりき」[75]
- 千葉彌一郎 「近藤の剣術はさまでのものぢゃない」[76]
注釈
出典
- ^ (33歳没)近藤勇 | 近代日本人の肖像
- ^ a b 大石 2004, p.21
- ^ a b c d e 大石 2004, p.22
- ^ 大石 2004, pp.21-22
- ^ 大石 2004, p.6
- ^ a b c d e 大石 2004, p.24
- ^ 大石 2004, pp.34-35
- ^ 大石 2004, pp.42-44
- ^ 大石 2004, p.41
- ^ a b c d 大石 2004, p.42
- ^ a b 大石 2004, p.65
- ^ a b c d e f g 大石 2004, p.66
- ^ 大石 2004, p.72
- ^ 大石 2004, p.73
- ^ 大石 2004, p.74
- ^ a b 大石 2004, p.77
- ^ 大石 2004, p.78
- ^ a b 大石 2004, p.80
- ^ 大石 2004, p.81
- ^ 松村巌『近藤勇』、内外出版協会 p32
- ^ 『京都新聞』、2015年2月19日 「壬生浪士幹部?の借用証発見 同一人物説の新家粂太郎連署」
- ^ 西村兼文「新撰組始末記」、維新史料野史台30
- ^ 『風説都の錦 八』、早稲田大学図書館蔵
- ^ 大石 2004, p.91
- ^ 大石 2004, p.90
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- ^ a b 大石 2004, p.94
- ^ 大石 2004, pp.96-97
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- ^ 大石 2004, pp.196-199
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- ^ a b c d 大石 2004, p.202
- ^ 大石 2004, pp.201-202
- ^ 大石 2004, p.203
- ^ a b “新選組局長・近藤勇を慰霊 若松・天寧寺、幕末に思いはせ焼香”. 福島民友新聞(2022年4月26日). 2022年5月4日閲覧。
- ^ 犬塚 1968, p. 9.
- ^ 犬塚 1968, p. 10.
- ^ a b c d 「『近藤勇の虎徹』ネットオークション 95万円で落札」『産経新聞』(東京本社)2020年6月8日付朝刊、12版、14面、文化。
- ^ 新発見!初公開の近藤勇詩書
- ^ http://www.shinchosha.co.jp/books/html/610104.html
- ^ 『活文字』明26.1
- ^ 渋沢栄一『処世の大道』P644
- ^ 『勤王芸者 維新情史』
- ^ 『維新雑史考』P58
- ^ 『江戸の実話』P139
近藤勇と同じ種類の言葉
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