警視流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/27 07:24 UTC 版)
木太刀形(撃剣形)、立居合、捕縄術や活法をも含む柔術(「警視拳法(けいしけんぽう)」とも云う)からなっていたが、現在の警視庁では木太刀形と立居合のみが伝承されている。
制定の経緯
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明治10年(1877年)に起きた西南戦争での警視隊抜刀隊の活躍によって、剣術の有用性が再認識され、大警視川路利良は『撃剣再興論』を著し警察において剣術を奨励する意向を明らかにした。
明治12年(1879年)、巡査教習所に道場が設けられ、桃井春蔵と榊原鍵吉の審査を経て、撃剣世話掛として梶川義正、上田馬之助、逸見宗助が最初に登用された。その後も真貝忠篤、下江秀太郎、得能関四郎、三橋鑑一郎、坂部大作、柴田衛守など剣客が続々と採用された。
この世話掛たちの出身流派がまちまちな状況であったことから、指導方法を統一するために、各流派の技を選り抜き「警視庁流」が制定された。明治19年(1886年)の弥生祭武術大会の席上で発表されたという。
洋装帯剣の警察官の進退に適するように制定されたためか、各流派の宗家が伝える形とは動作が異なる部分もある。
警視流木太刀形
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剣術10流派から1本ずつ技を採用して構成されている。諸流派を統合した形という点で日本剣道形の先駆けといえる[注釈 1]。太平洋戦争前には剣道の教本に掲載されることもあり、中山博道のように積極的に修練する剣道家もいた。現在も警視庁の剣道家によって伝承されている。
脛斬りに対する応じ方(八相)や肘打ち(阿吽)など、日本剣道形には見られない技法も含まれている。礼法や木太刀も日本剣道形とは異なり、古式の形態を残している。木太刀は全長3尺3寸(約1m)で刃長2尺4寸(約73cm)、柄9寸(約27cm)、刀身部の断面の形状は蛤刃と定められており、写しが市販されている。
(流派名は警視流の表記に従う)
- 一本目 八相(はっそう)-直心影流
- 二本目 変化(へんか)-鞍馬流
- 三本目 八天切(はってんぎり)-堤宝山流
- 四本目 巻落(まきおとし)-立身流
- 五本目 下段の突(げだんのつき)-北辰一刀流
- 六本目 阿吽(あうん)-浅山一伝流
- 七本目 一二の太刀(いちにのたち)-示現流
- 八本目 打落(うちおとし)-神道無念流
- 九本目 破折(はおれ)-柳生流
- 十本目 位詰(くらいづめ)-鏡心明智流
撃剣級位
注釈
出典
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