西山事件 概要

西山事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/23 17:13 UTC 版)

概要

1971年、第3次佐藤内閣リチャード・ニクソンアメリカ合衆国大統領との沖縄返還協定に際し、公式発表では地権者に対する土地原状回復費400万米ドルアメリカ合衆国連邦政府が支払うとしていたが、実際には日本国政府が肩代わりしてアメリカ合衆国に支払うという密約をしていた。この外交交渉を取材していた毎日新聞社政治部記者西山太吉は、外務省の女性事務官[注釈 1]から複数の秘密電文を入手し、「アメリカ政府が払ったように見せかけて、実は日本政府が肩代わりする」などとする秘密電文があることを把握。取材源の保護のため新聞では明確な形で密約を報じなかったが、日本社会党議員に情報を提供した。1972年に議員が国会で問題を追及し、佐藤内閣の責任が問われる事態となった[3]

日本国政府は密約を否定。東京地検特捜部は同年、情報源の事務官を国家公務員法(機密漏洩の罪)、西山を国家公務員法(教唆の罪)で逮捕した。

記者が取材活動によって逮捕された事態に対し、報道の自由知る権利の観点から、「国家機密とは何か」「国家公務員法を記者に適用することの正当性」「取材活動の限界」などが国会や言論界などを通じて大論争となった[4]。一方で東京地検が出した起訴状で「(女性事務官と)ひそかに情を通じ、これを利用して」と書かれたことから、世論の関心は男女関係のスキャンダルという面に転換[3]。週刊誌を中心としたスキャンダル報道が過熱して密約自体の追及は色褪せた。毎日新聞倫理的非難を浴びた。

起訴理由が「国家機密の漏洩行為」であるため、審理は機密資料の入手方法に終始し、密約の真相究明は東京地検側からは行われなかった。女性事務官は一審の東京地裁での有罪判決が確定。西山は一審では無罪となったが、二審の東京高裁で逆転有罪判決となり、最高裁で有罪が確定した。これらの判決はメディアの取材に関する重要判例となっている。メディア側では、女性事務官取材で得た情報を自社の報道媒体で報道する前に、国会議員に当該情報を提供し国会における政府追及材料とさせたこと、情報源の秘匿が不完全だったため、情報提供者の逮捕を招いたこともジャーナリズムの報道倫理上の問題として議論された。

政府が否定した密約の存在については、2000年代にアメリカ合衆国で存在を裏付ける公文書が相次いで見つかり、当時の日米交渉の日本側責任者だった外務省元アメリカ局長の吉野文六も密約があったことを証言している[5]


注釈

  1. ^ 現在は女性事務官の名前を秘匿する者も散見されるが、当時は本人が自ら各種マスメディアに登壇して多くの発言を重ねており[2]、澤地久枝は著書『密約 外務省機密漏洩事件』に実名で記している。
  2. ^ アメリカが負担する義務があったが、アメリカ合衆国議会は反対していた。
  3. ^ 専務取締役の編集主幹と東京本社編集局長を解任した。当時の西山の直属上司である政治部デスクは、のちにフリージャーナリスト政治評論家として活動する三宅久之である。
  4. ^ 前述の川端の自殺と絡めたもの。
  5. ^ しかし、西山の弁護人の反対尋問で、「(個人的な間柄が切れたのは)九月十四、五日ごろだということですが、それに間違いないでしょうか」と聞かれると、「もっと早い時期ではなかったかと記憶しているんですけれども、わたくしの記憶違いかも知れません」と答えている。
  6. ^ 『週刊新潮』1974年2月7日号、女性事務官「私の告白」。他、『週刊ポスト』2月15日号、『女性セブン』2月20日号、『女性自身』3月22日号でも女性事務官の夫が同様の主張をした。
  7. ^ 例外として、西山側の証人となった渡邉恒雄による「「西山事件」の証人として…渡辺恒雄/××さん「聖女」説にみる論理的矛盾」(『週刊読売』1974年2月16日号)がある。記事原文は実名
  8. ^ 2010年12月には、外交文書公開により、原本か写しかは不明だが密約関係の機密扱い訓電3通が焼却処分されていた事が判明した[28]
  9. ^ 預金は6000万ドルまたは現に通貨交換した額のいずれか大きいほうの金額。1億1200万ドル相当の供与にあたる。
  10. ^ Summation of Discussion 1971年6月12日 スナイダー公使の発言「沖縄返還協定第4条3項に基づく土地の原状回復補償費の「自発的支払い」に関するこれまでの議論を参照し、最終的金額は不明であるが、現在の我々の理解では、400万ドルになるだろうことに留意する」
    佐藤栄作がアメリカ側に補償を求めていたところ交渉が難航したため、国民に説明しやすいように「自発的に支払う」と書くことで妥協に至ったもの。実際は肩代わりであるし、アメリカ側ではそのように説明されなくてはならなかったので、協定とは別に秘密文書が作成された。

出典

  1. ^ 沖縄返還密約事件を追って――封印を解く歴史ドキュメンタリー
  2. ^ 週刊新潮広告
  3. ^ a b 土江真樹子 著「沖縄返還密約事件を追って 封印を解く歴史ドキュメンタリー」、筑紫哲也佐野眞一野中章弘徳山喜雄 編『職業としてのジャーナリスト』岩波書店、2005年、58-67頁。ISBN 4-00-026397-8 
  4. ^ 春原昭彦『日本新聞通史 1861年−2000年』新泉社、2003年、300-301頁。ISBN 4-7877-0308-0 
  5. ^ 沖縄密約認め、「捨て得」不問にした司法 みせかけの民主主義の下で:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2022年5月13日). 2023年2月27日閲覧。
  6. ^ a b c 最高裁判所第1小法廷判決 1978年5月31日 、昭和51(あ)1581、『国家公務員法違反被告事件』。
  7. ^ 福田赳夫『回顧九十年』岩波書店(原著1995年3月)、pp. 182-185頁。ISBN 9784000028165 
  8. ^ 岩垂, 弘 (2006年11月15日). “第2部 社会部記者の現場から 第98回 外務省公電漏洩事件”. もの書きを目指す人びとへ ――わが体験的マスコミ論――. E'con FutureNetworks. 2023年6月14日閲覧。
  9. ^ 沖縄返還35年目の真実 〜政府が今もひた隠す"密約"の正体〜”. ザ・スクープスペシャル. テレビ朝日 (2006年12月10日). 2010年1月24日閲覧。
  10. ^ 河内孝『新聞社 破綻したビジネスモデル』新潮社、2007年、22-23頁。ISBN 9784106102059 
  11. ^ 亀井 週刊新潮「50年」と沖縄密約報道
  12. ^ ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊); 共同著作者 (2008年8月23日). “沖縄返還秘密合意を裏付ける文書を9月早々、公開請求!”. 情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊). 2008年8月23日閲覧。
  13. ^ “元毎日記者の敗訴確定=「西山事件」賠償訴訟-最高裁”. 時事通信社. (2008年9月2日). http://www.jiji.com/jc/zc?k=200809/2008090200761 2008年9月6日閲覧。 
  14. ^ “「密約」文書の公開請求/県内外記者ら63人/沖縄返還3通指定”. 沖縄タイムス. (2008年9月3日). http://www.okinawatimes.co.jp/news/2008-09-03-M_1-027-1_001.html?PSID=73ce6f983400fe9f1ec375245581fdfb 2008年9月3日閲覧。 
  15. ^ “沖縄密約文書「不存在」外務・財務省”. 琉球新報. (2008年10月4日). http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-136813-storytopic-3.html 2010年1月24日閲覧。 
  16. ^ 沖縄密約文書の開示請求を棄却」『ビデオニュース・ドットコム』、2014年7月14日。2023年6月14日閲覧。
  17. ^ a b シリーズ「言論は大丈夫か」第13弾“国のウソ、回避する司法””. サンデー・プロジェクト. テレビ朝日 (2008年8月24日). 2010年1月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年1月24日閲覧。
  18. ^ 内閣府 森内閣府特命担当大臣記者会見要旨 平成25年10月22日
  19. ^ 『毎日新聞』内田久光 秘密保護法案:森担当相「処罰対象は西山事件に匹敵」 2013年10月22日 23時20分(最終更新 10月23日 12時21分)
  20. ^ Lucy Craft (2013年12月31日). “Japan's State Secrets Law: Hailed By U.S., Denounced By Japanese” (英語). ナショナル・パブリック・ラジオ. http://www.npr.org/blogs/parallels/2013/12/31/258655342/japans-state-secrets-law-hailed-by-u-s-denounced-by-japanese 2016年10月8日閲覧。 
  21. ^ FRIDAY(フライデー) 12/13号 (発売日2013年11月29日)”. 富士山マガジンサービス. 2023年6月14日閲覧。
  22. ^ 元記者の西山太吉さんが死去 91歳 沖縄返還めぐる「密約」報じる - 朝日新聞デジタル 2023年2月25日
  23. ^ a b c 最高裁・高裁判決理由文による。
  24. ^ 「岡田・民主副代表:沖縄返還時密約、政権取れば公開」毎日新聞2009年3月15日
  25. ^ “沖縄密約開示訴訟:吉野文六氏出廷へ、12月に証人尋問”. 毎日新聞. (2009年8月26日). オリジナルの2009年8月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090829231500/mainichi.jp/area/okinawa/news/20090826rky00m040005000c.html 
  26. ^ “機密文書、溶かして固めてトイレットペーパーに 外務省”. 朝日新聞: p. 1. (2009年7月11日). http://www.asahi.com/politics/update/0711/TKY200907100424.html 
  27. ^ “機密文書、溶かして固めてトイレットペーパーに 外務省”. 朝日新聞: p. 2. (2009年7月11日). http://www.asahi.com/politics/update/0711/TKY200907100424_01.html 
  28. ^ 沖縄返還密約の文書焼却か 痕跡示すメモ発見」『朝日新聞』、2010年12月23日。2023年6月13日閲覧。オリジナルの2011年10月1日時点におけるアーカイブ。
  29. ^ “岡田外相、「核密約」調査を命令 日米会談でも説明へ”. 朝日新聞. (2009年9月17日). http://www.asahi.com/politics/update/0917/TKY200909160442.html 2010年1月24日閲覧。 
  30. ^ 遠藤誠二; 坂口明 (2009年9月18日). “日米核密約 新局面へ”. しんぶん赤旗 (日本共産党). http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-09-18/2009091803_01_1.html 2010年1月24日閲覧。 (外務大臣命令「いわゆる『密約』問題に関する調査命令について」の全文あり)
  31. ^ “日米密約:「歴史歪曲は国民の損失」吉野さん声詰まらせ”. 毎日新聞. (2009年12月2日). オリジナルの2009年12月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20091204124900/mainichi.jp/select/world/news/20091202k0000m010098000c.html 
  32. ^ “沖縄密約「文書に署名した」 元外務省局長、法廷で証言”. 朝日新聞. (2009年12月1日). http://www.asahi.com/politics/update/1202/TKY200912010530.html 2009年12月1日閲覧。 
  33. ^ 池田龍夫 (2009年12月27日). “大詰めの「沖縄返還密約文書開示訴訟」”. マスコミ9条の会ブログ. 2010年1月24日閲覧。
  34. ^ “核密約文書、佐藤元首相邸に……”. 読売新聞. (2009年12月22日). オリジナルの2009年12月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20091225111627/www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091222-OYT1T00775.htm 2009年12月22日閲覧。 
  35. ^ 沖縄密約訴訟:東京地裁で結審…判決は4月9日 毎日.jp
  36. ^ 核密約調査:岡田外相「3月に結果」 毎日.jp
  37. ^ 沖縄返還、最大密約は施設工事費 講演で西山太吉氏 共同通信2010年2月27日
  38. ^ 沖縄返還「密約」文書、東京地裁が開示命じる 読売新聞2010年4月9日
  39. ^ 沖縄返還文書 日米密約の存在認め開示命令 東京地裁 朝日新聞2010年4月9日
  40. ^ 密約開示判決 「歴史に残る」 西山さん改めて講演で強調(毎日新聞 4月10日21時6分配信)
  41. ^ 読売新聞 (2010年4月22日). “沖縄密約訴訟、判決不服として国が控訴”. 2010年4月23日閲覧。
  42. ^ 沖縄返還・安保改定などの外交文書公開へ 外務省22日 朝日新聞2010年12月7日
  43. ^ 密約暴いた西山元記者「やっと出たか…」 外交文書公開 朝日新聞2010年12月22日
  44. ^ 西山事件「手際よく処理」 米が日本の対応評価 東京新聞2011年2月18日
  45. ^ 貴省に対する公開質問書の提出及び回答要請に関する件―密約情報公開訴訟原告共同代表より玄葉光一郎外務大臣宛 News for the People in Japan
  46. ^ Listening:時流・底流 秘密保護法、有識者会議 評価の一方、懸念の声も 毎日新聞
  47. ^ 西山太吉『機密を開示せよ―裁かれる沖縄密約』(2010年、岩波書店)ISBN 978-4000225809 pp.15-16. pp.30-40.
  48. ^ 密約 外務省機密漏洩事件 - MOVIE WALKER PRESS
  49. ^ Mitsuyaku: Gaimushô kimitsu rôei jiken - IMDb(英語)






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