蛇塚古墳 遺跡歴

蛇塚古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 22:38 UTC 版)

遺跡歴

  • 1936年昭和11年)、墳丘・石室実測調査(濱田耕作京都帝国大学考古学研究室、19371938年に報告)。
  • 1977年(昭和52年)5月4日、国の史跡に指定[3]
  • 1988年度(昭和63年度)、公共下水道工事に伴う古墳周辺の立会調査。石室基底部より下位の遺物包含層から6世紀第4四半期の遺物出土(古墳築造時期の上限を規定)(京都市埋蔵文化財調査研究所、1989年に報告)[5]

墳丘

墳丘の推定規模は次の通り[6]

  • 墳丘長:約75メートル
  • 後円部 直径:約45メートル
  • 前方部 幅:約30メートル

墳丘封土は失われているが、現在でも墳形の名残りは周辺の宅地区画に認められる[3]

蛇塚古墳周辺の宅地区画

埋葬施設

石室俯瞰図(外観)
石室俯瞰図(内部)
石室展開図

埋葬施設としては、後円部において両袖式横穴式石室が構築されており、南東方向に開口する。石室の規模は次の通り[6]

  • 石室全長:17.8メートル
  • 玄室:長さ6.8メートル、幅3.8メートル、高さ5.2メートル
  • 羨道:長さ約11メートル、幅2.6メートル、高さ3.4メートル

玄室は、側壁・奥壁とも巨石を2・3段に積んで形成されるが、天井石は一石を遺存するのみである[3]。玄室内には家形石棺が存在したと伝わる[4]

石室の規模は、玄室の幅の点では石舞台古墳奈良県高市郡明日香村)を超える。また玄室の床面積は25.8平方メートルを測り[2]高倉山古墳三重県伊勢市)、こうもり塚古墳岡山県総社市)、石舞台古墳に次ぐ全国第4位に位置づけられる[2]

なお、石舞台古墳の石室は花崗岩(火成岩、深成岩)であるが、蛇塚古墳の石室はチャート(堆積岩)である。京都盆地北縁は、丹波層群(ペルム紀からジュラ紀(約2億9,900万年前-約1億4,550万年前)に海底でできた地層)に属するチャート・砂岩・頁岩などが山地を構成しており、チャートは京都市北部に多く見られるが、産出地は明らかでない。

文化財

国の史跡

  • 蛇塚古墳 - 1977年(昭和52年)5月4日指定[3]







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