羅生門 (1950年の映画) 羅生門 (1950年の映画)の概要

羅生門 (1950年の映画)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/10 15:22 UTC 版)

羅生門
Rashomon
昭和25年の劇場公開時のポスター
監督 黒澤明
脚本 黒澤明
橋本忍
原作 芥川龍之介
藪の中
製作 箕浦甚吾
出演者 三船敏郎
森雅之
京マチ子
志村喬
千秋実
音楽 早坂文雄
撮影 宮川一夫
編集 西田重雄
製作会社 大映京都撮影所
配給 大映
公開 1950年8月25日
上映時間 88分
製作国 日本
言語 日本語
製作費 約3500万円
次作 複数リメイク作品あり
テンプレートを表示

同じ出来事を複数の登場人物の視点から描く手法は、本作により映画の物語手法の1つとなり、国内外の映画で何度も用いられた[1]。海外では羅生門効果などの学術用語も成立した[1]。撮影担当の宮川一夫による、サイレント映画の美しさを意識した視覚的な映像表現が特徴的で、光と影の強いコントラストによる映像美、太陽に直接カメラを向けるという当時タブーだった手法など、斬新な撮影テクニックでモノクロ映像の美しさを引き出している。

第12回ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞第24回アカデミー賞名誉賞(現在の国際長編映画賞)を受賞し、これまで国際的にほとんど知られていなかった日本映画の存在を、世界に知らしめることになった[2]。また、本作の受賞は日本映画産業が国際市場に進出する契機となった[3]

あらすじ

三船敏郎、京マチ子

プロローグ

平安時代京の都。羅生門[注釈 1]で3人の男たちが雨宿りしていた。そのうちの2人、杣売り(そまうり、焚き木の販売業者)と旅法師はある事件の参考人として出頭した検非違使からの帰途だった。実に奇妙な話を見聞きしたと、もう1人の下人に語り始める。

3日前、薪を取りに山に分け入った杣売りは、武士・金沢武弘の死体を発見し、検非違使に届け出る。そして今日、取り調べの場に出廷した杣売りは、当時の状況を思い出しながら、遺体のそばに市女笠、踏みにじられた侍烏帽子、切られた縄、そして赤地織の守袋が落ちており、そこにあるはずの金沢の太刀、女性用の短刀は見当たらなかったと証言する。また、道中で金沢と会った旅法師も出廷し、金沢は妻の真砂と一緒に行動していたと証言する。

盗賊・多襄丸の証言

まず、金沢を殺した下手人として盗賊の多襄丸が連行されてくる。多襄丸は、山で侍夫婦を見かけた際に真砂の顔を見て欲情し、金沢を騙して捕縛した上で、真砂を手篭めにしたことを語る。その後、凛とした真砂が両者の決闘を要求し、勝った方の妻になると申し出たことから、多襄丸は金沢と正々堂々と戦い、激闘の末に金沢を倒したという。ところが、その間に真砂は逃げており、短刀の行方も知らないと証言する。

妻・真砂の証言

次に真砂の証言が始まる。手篭めにされた後、多襄丸は金沢を殺さずに逃げたという。真砂は夫を助けようとするが、眼前で男に身体を許した妻を金沢は軽蔑の眼差しで見据え、その目についに耐えられなくなった真砂は自らを殺すように懇願した。そのまま気絶してしまい目が覚めると、夫には短刀が刺さって死んでおり、自分は後を追って死のうとしたが死ねなかった、と証言した。語り口は悲嘆に暮れ、多襄丸の証言とはあまりにかけ離れていた。

金沢の証言

最後に巫女が呼ばれ、金沢の霊を呼び出して証言を得る。金沢の霊曰く、真砂は多襄丸に辱められた後、彼に情を移し、一緒に行く代わりに自分の夫を殺すように求めた。しかし、その浅ましい態度に流石の多襄丸も呆れ果て、女を生かすか殺すか夫のお前が決めて良いと金沢に申し出た。それを聞いた真砂は逃亡し、多襄丸も姿を消し、一人残された自分は無念のあまり、妻の短刀で自害した。そして自分が死んだ後に何者かが現れ、短刀を引き抜いたが、それは誰かわからないと答える。

杣売りの証言

それぞれ食い違う三人の言い分を話し終えた杣売りは、下人に「三人とも嘘をついている」と言う。杣売りは実は事件の一部始終を目撃していたが巻き込まれるのを恐れ、黙っていたという。杣売りによれば、多襄丸は強姦の後、真砂に惚れてしまい夫婦となることを懇願したが、彼女は断り金沢の縄を解いた。ところが金沢は辱めを受けた彼女に対し、武士の妻として自害するように迫った。すると真砂は笑いだして男たちの自分勝手な言い分を誹り、金沢と多襄丸を殺し合わせる。戦に慣れない2人はへっぴり腰で無様に斬り合い、ようやく多襄丸が金沢を殺すに至ったが、自らが仕向けた事の成り行きに真砂は動揺し逃げだした。人を殺めたばかりで動転している多襄丸は真砂を追うことができなかった。

エピローグ

3人の告白はそれぞれの見栄のための虚偽であり、情けない真実を知った旅法師は世を儚む。すると、そこに羅生門の一角から赤子の泣き声がする。3人が確認すると着物にくるまれた捨て子がいる。下人は迷わず、その着物を剥ぎ取ると赤ん坊は放置する。あまりの所業に杣売りは咎めるが、下人はこの世の中において手前勝手でない人間は生きていけないと自らの理を説き、さらに現場から無くなっていた真砂の短刀を盗んだのが杣売りだったと指摘し、お前に非難する資格はないと罵りながら去って行く。

旅法師は思わぬ事の成り行きに絶望してしまう。そこでおもむろに杣売りが赤子に手を伸ばし、旅法師は彼が赤子の肌着まで奪うのではと疑い、その手を払いのける。しかし、杣売りは自分の子として育てると言い、赤子を大事そうに抱えて去っていく。旅法師は己の不明を恥じながらも、人間の良心に希望を見出すのだった。

キャスト

多襄丸:三船敏郎
都の内外に悪名が轟く盗賊。女好きとしても有名。真砂の美貌や気性の激しさに惹かれ、金沢夫婦を襲う。捕縛されても豪放磊落に振る舞い、自らの金沢殺しを誇るように語る。
実際には女々しく真砂に言い寄り、無理やり金沢武弘と決闘した。
金沢武弘:森雅之
死体で発見された旅をしている武士。言葉巧みに多襄丸に山奥まで連れて行かれ、木に縛られ、妻を手籠めにされる。巫女による降霊という形で証言を行なう。
実際には武士の癖に武芸が下手で盗賊一人倒すのもやっとで、妻に愛想をつかされた。
真砂:京マチ子
金沢の妻。大人しく貞淑。夫と山中を行動していたところを多襄丸に襲われ犯される。多襄丸によれば凛としていたというが出廷した姿とその証言はか弱さを見せる。
実際には健気な妻ではなく、身勝手な男達を戦わせた。
杣売り:志村喬
金沢の遺体の発見者で、参考人として検非違使に出廷する。そこで矛盾した3人の証言を聞き、下人に話す。
旅法師:千秋実
生前の金沢夫妻の目撃者で、参考人として検非違使に出廷する。
下人:上田吉二郎[注釈 2]
雨宿りの際に暇つぶしに杣売りと旅法師の話を聞く。
巫女:本間文子
巫女というより霊媒師。金沢の霊を呼び込み、証言をおこなう。
放免:加東大介
河原で倒れていた多襄丸を発見し、検非違使に連行する。

注釈

  1. ^ 門ではない。
  2. ^ 上田は、本作のグランプリ受賞後、葉書半分大の大きな名刺を作り、「グランプリ受賞の羅生門出演、上田吉二郎」と印刷して話題をまいた[4]
  3. ^ オープニングのタイトルにも使用された羅生門の扁額は、高さ120センチ、幅215センチあり、字は大映や東映作品で題字などを手がけた宇野正太郎が書いた[16]
  4. ^ 本物の金獅子像は大映倒産後に紛失しており[42][46]国立映画アーカイブの常設展にはレプリカの金獅子像が展示されている。
  5. ^ 授賞式(第24回)ではプレゼンターが「Japanese Government's Overseas Office will accept the award.(日本政府在外事務所が賞を受け取ります)」、続くアナウンスで「Mr. Yoshida is coming on stage now…(ミスター吉田がステージに登壇します)」と説明[53]。 - 在ロサンゼルス日本政府在外事務所日本国総領事館となるのは、授賞式翌月の4月からであり、吉田健一郎はその初代総領事[54]

出典

  1. ^ a b c d e f 浜野保樹「解説・黒澤明の形成―グランプリ」(大系1 2009, pp. 712–714)
  2. ^ 佐藤忠男. “日本大百科全書「羅生門」”. コトバンク. 2020年8月17日閲覧。
  3. ^ a b c 田中純一郎日本映画発達史Ⅳ 史上最高の映画時代』中央公論社〈中公文庫〉、1976年、13-15頁。ISBN 9784122003156 
  4. ^ 稲垣浩『日本映画の若き日々』中央公論社〈中公文庫〉、1983年6月、150頁。ISBN 9784122010376 
  5. ^ a b c 「第1章 『羅生門』の生誕―生涯の恩師・伊丹万作先生」(橋本 2006, p. 18-42)
  6. ^ a b c d e f g h 浜野保樹「解説・黒澤明の形成―『羅生門』の脚本」(大系1 2009, pp. 707–708)
  7. ^ a b 西村 2005, pp. 571–573.
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n 黒澤 1990, pp. 330–343.
  9. ^ a b c d e f g 都築 2010, pp. 173–177.
  10. ^ 鈴木 2016, pp. 126–128.
  11. ^ a b c d e f g h i j 都築 1995, pp. 279–286.
  12. ^ a b 西村 2005, pp. 575–576.
  13. ^ a b c d e f g h 浜野保樹「解説・黒澤明の形成―『羅生門』の制作」(大系1 2009, pp. 709–711)
  14. ^ 小津が黒澤に抱いた対抗意識生誕100年・原節子を巡る神話と真実:小津映画に不満、生涯の「代表作」を求め続けて2020.06.05(2021.1.3Lastaccess)
  15. ^ a b c 「“羅生門”が出来上がるまで」「火事と『羅生門』」(『大映十年史』大映、1951年)。大系1 2009, pp. 593–596に所収
  16. ^ フィルムセンター・ニュース”. 東京国立近代美術館フィルムセンター (2005年6月7日). 2020年7月26日閲覧。
  17. ^ a b c d e 野上 2014, pp. 174–177.
  18. ^ a b c 西村 2005, pp. 591–594.
  19. ^ a b c d 「製作メモランダ」『全集黒澤明』第3巻、岩波書店、1988年1月、368-369頁、ISBN 9784000913232 
  20. ^ a b c 都築 1995, pp. 293–294.
  21. ^ a b 都築 1995, pp. 296–298.
  22. ^ a b c d e 野上 2014, pp. 181–186.
  23. ^ a b c フィルムアーカイブ物語 第二章 映画フィルム”. 映画保存協会. 2020年7月31日閲覧。
  24. ^ 田中徳三『映画が幸福だった頃』JDC、1994年5月、37頁。ISBN 9784890081516 
  25. ^ a b c ガルブレイス4世 2015, pp. 169–170.
  26. ^ a b 黒澤明、淀川長治「人間を信ずるのが一番大切なこと」(『映画の友』1952年4月号)。大系1 2009, pp. 577–585に所収
  27. ^ a b c d e 宮川一夫『キャメラマン一代 私の映画人生60年』PHP研究所、1985年7月、58-61頁。ISBN 9784569215716 
  28. ^ a b 佐藤 2002, pp. 134–135.
  29. ^ 都築 1995, pp. 289–290.
  30. ^ a b c d 「黒澤明、自作を語る―羅生門」『キネマ旬報セレクション 黒澤明』、キネマ旬報社、2010年4月、41-42頁、ISBN 9784873763293 
  31. ^ a b 佐藤 2002, pp. 138–142.
  32. ^ 西村 2005, pp. 580–581.
  33. ^ 西村 2005, p. 659.
  34. ^ a b 『映画年鑑 1951年版』、時事通信社、1951年、27頁。 
  35. ^ 「『宗方姉妹』『羅生門』ヒット」『映画新報』1950年9月下旬号、映画新報社、42頁。
  36. ^ 都築 2010, pp. 186–187.
  37. ^ a b c d e f g h 鈴木 2016, pp. 116–120.
  38. ^ 今村金衛『映画産業』有斐閣〈日本の産業シリーズ〉、1960年11月、170頁。ISBN 4641055122 
  39. ^ 「ストラミジョリさんは語る」『キネマ旬報』1953年7月下旬号、キネマ旬報社、79頁。
  40. ^ 「座談会 日本映画・輸出産業のホープとなる」『キネマ旬報』1953年7月下旬号、キネマ旬報社、79頁。
  41. ^ a b c d e f g h i j k ガルブレイス4世 2015, pp. 177–184.
  42. ^ a b c 大系1 2009, 口絵
  43. ^ 遠藤周作「パリで実感した愛国心」『アサヒグラフ増刊 戦後20年・人と事件』、朝日新聞社、1965年、55頁。 
  44. ^ a b 浜野保樹「解説・世界のクロサワと挫折―東宝復帰」(大系2 2009, pp. 668–669)
  45. ^ 黒澤明研究会 編『黒澤明を語る人々』朝日ソノラマ、2004年9月、30頁。ISBN 9784257037033 
  46. ^ a b 鈴木 2016, p. 135.
  47. ^ 鈴木 2016, p. 131.
  48. ^ a b 「日本映画『羅生門』にヴェニス大賞輝く」『キネマ旬報』1951年10月上旬号、キネマ旬報社、59頁。
  49. ^ 淀川長治『淀川長治映画塾』講談社〈講談社文庫〉、1995年、590-591頁。ISBN 9784061858954 
  50. ^ 蓮實重彦山根貞男 編『成瀬巳喜男の世界へ』筑摩書房〈リュミエール叢書〉、2005年、184頁。ISBN 9784480873170 
  51. ^ 三島由紀夫アポロの杯』新潮社〈新潮文庫〉、1982年9月、31頁。ISBN 9784101050324 
  52. ^ ジャック岩田「アカデミー賞とジャック」(『ONE MORE SHOT』文藝春秋、1991年)。大系1 2009, p. 609に所収
  53. ^ Ken Yoshida(吉田健一郎) (22 April 2014). Rashomon Receives an Honorary Foreign Language Film Award: 1952 Oscars (YouTubeチャンネル). AMPAS. 該当時間: 1分3秒後. 2022年5月24日閲覧
  54. ^ 在ロサンゼルス日本国領事館の100年”. 在ロサンゼルス日本国領事館 (2015年8月15日). 2022年5月24日閲覧。
  55. ^ a b THE 25TH ACADEMY AWARDS / 1953” (英語). Oscars.org. 2020年8月11日閲覧。
  56. ^ 岡田喜一郎『淀川長治の映画人生』中央公論新社〈中公新書ラクレ〉、2008年、174頁。ISBN 9784121502803 
  57. ^ 相原斎 (2023年5月13日). “時代を予見 淀川長治さんが残した言葉「映画は偏見とか、つまらんものを取っ払ってくれる」”. 日刊スポーツ (日刊スポーツNEWS): p. 2. https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202305130000068.html?Page=2 2024年4月21日閲覧。 
  58. ^ Review:Rashomon” (英語). rogerebert.com. 2020年8月11日閲覧。
  59. ^ Rashomon” (英語). Rotten Tomatoes. 2020年8月11日閲覧。
  60. ^ Rashomon Reviews” (英語). Metacritic. 2020年8月11日閲覧。
  61. ^ Votes for Rashomon (1950)” (英語). BFI. 2020年8月11日閲覧。
  62. ^ サタジット・レイ「黒澤明」(『わが映画 インドに始まる』第三文明社、1993年)。『大系 黒澤明 第3巻』講談社、2010年2月、pp. 602-606に所収
  63. ^ 85回史 2012, p. 80.
  64. ^ ブルーリボン賞ヒストリー 第1回(1951年3月22日)”. シネマ報知. 2013年10月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月11日閲覧。
  65. ^ 毎日映画コンクール 第5回(1950年)”. 毎日新聞. 2020年8月11日閲覧。
  66. ^ a b Awards – Rashomon” (英語). IMDb. 2020年8月11日閲覧。
  67. ^ THE 25TH ACADEMY AWARDS” (英語). oscar.org. 2020年8月11日閲覧。
  68. ^ 1951 Award Winners” (英語). National Board of Review. 2020年8月11日閲覧。
  69. ^ Film in 1953” (英語). BAFTA Awards. 2020年8月11日閲覧。
  70. ^ DGA AWARDS 1952” (英語). dga.org. 2020年8月11日閲覧。
  71. ^ キネマ旬報日本映画60年を代表する最高作品ベストテン”. 2020年8月8日閲覧。
  72. ^ キネマ旬報』1979年11月下旬号
  73. ^ キネマ旬報』1989年1月上旬号
  74. ^ 85回史 2012, p. 588.
  75. ^ 「オールタイム・ベスト 映画遺産200」全ランキング公開”. キネマ旬報映画データベース. 2009年12月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月18日閲覧。
  76. ^ Sight and Sound Poll 1992: Directors” (英語). 2020年8月8日閲覧。
  77. ^ Sight and Sound Critics Top Ten Poll 2002” (英語). Sight & Sound. BFI. 2004年2月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月8日閲覧。
  78. ^ Sight and Sound Directors' Top Ten Poll 2002” (英語). Sight & Sound. BFI. 2002年8月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月8日閲覧。
  79. ^ The 100 Greatest Films of All Time” (英語). BFI.org. 2020年8月8日閲覧。
  80. ^ Directors' top 100” (英語). BFI.org. 2020年8月8日閲覧。
  81. ^ Top 100 Films (part 3, ranked)” (英語). Filmsite.org. 2020年8月8日閲覧。
  82. ^ 100 Best Films of the 20th Century” (英語). Filmsite.org. 2020年8月17日閲覧。
  83. ^ 英エンパイア誌の「史上最高の外国語映画100本」 第1位に「七人の侍」”. 映画.com. 2017年3月18日閲覧。
  84. ^ The Toronto Film Festival’s Essential 100 Movies” (英語). Film. 2017年3月18日閲覧。
  85. ^ Asian Cinema 100” (英語). BIFF. 2015年10月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月3日閲覧。
  86. ^ The 100 greatest foreign-language films” (英語). BBC. 2020年1月31日閲覧。
  87. ^ THE 1,000 GREATEST FILMS (FULL LIST)” (英語). TSPDT. 2020年8月17日閲覧。
  88. ^ 古山敏幸『黒澤明の作劇術』フィルムアート社、2008年5月、159頁。ISBN 9784845908189 
  89. ^ a b 佐藤 2002, p. 412.
  90. ^ 『ユージュアル・サスペクツ』策士クリストファー・マッカリーが創り上げた、サスペンス映画の傑作”. CINEMORE (2020年6月5日). 2020年8月17日閲覧。
  91. ^ 立田敦子「リドリー・スコット ジョディ・カマー ハリウッドの雄が中世を舞台に撮った女性映画」『キネマ旬報 2021年11月上旬特別号』第1878号、キネマ旬報社、2021年11月1日、40頁、ASIN B09HG6KDDX 
  92. ^ Bergman on Bergman: Interviews with Ingmar Bergman. Simon & Schuster. (1973). p. 120 
  93. ^ a b 『羅生門』デジタル復元 全米映画批評家協会章受賞”. 東京国立近代美術館フィルムセンター. 2017年3月18日閲覧。
  94. ^ a b 『羅生門』 角川映画と米アカデミーの共同デジタル復元”. 角川映画 (2008年8月21日). 2020年8月17日閲覧。
  95. ^ 『羅生門』デジタル復元版 第21回東京国際映画祭 上映日決定&前売券発売!”. 角川映画 (2008年10月1日). 2020年8月17日閲覧。
  96. ^ 第21回東京国際映画祭特別招待作品 「羅生門デジタル完全版」舞台挨拶レポート!”. 角川映画 (2008年10月25日). 2020年8月17日閲覧。
  97. ^ 「羅生門復元プロジェクト」が“全米映画批評家協会遺産賞”を受賞しました!”. 角川映画 (2020年1月6日). 2017年3月18日閲覧。


「羅生門 (1950年の映画)」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「羅生門 (1950年の映画)」の関連用語

羅生門 (1950年の映画)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



羅生門 (1950年の映画)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの羅生門 (1950年の映画) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS