羅生門 (1950年の映画)
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羅生門 | |
---|---|
Rashomon | |
昭和25年の劇場公開時のポスター | |
監督 | 黒澤明 |
脚本 |
黒澤明 橋本忍 |
原作 |
芥川龍之介 『藪の中』 |
製作 | 箕浦甚吾 |
出演者 |
三船敏郎 森雅之 京マチ子 志村喬 千秋実 |
音楽 | 早坂文雄 |
撮影 | 宮川一夫 |
編集 | 西田重雄 |
製作会社 | 大映京都撮影所 |
配給 | 大映 |
公開 | 1950年8月25日 |
上映時間 | 88分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
製作費 | 約3500万円 |
次作 | 複数リメイク作品あり |
同じ出来事を複数の登場人物の視点から描く手法は、本作により映画の物語手法の1つとなり、国内外の映画で何度も用いられた[1]。海外では羅生門効果などの学術用語も成立した[1]。撮影担当の宮川一夫による、サイレント映画の美しさを意識した視覚的な映像表現が特徴的で、光と影の強いコントラストによる映像美、太陽に直接カメラを向けるという当時タブーだった手法など、斬新な撮影テクニックでモノクロ映像の美しさを引き出している。
第12回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞、第24回アカデミー賞で名誉賞(現在の国際長編映画賞)を受賞し、これまで国際的にほとんど知られていなかった日本映画の存在を、世界に知らしめることになった[2]。また、本作の受賞は日本映画産業が国際市場に進出する契機となった[3]。
あらすじ
プロローグ
平安時代の京の都。羅生門[注釈 1]で3人の男たちが雨宿りしていた。そのうちの2人、杣売り(そまうり、焚き木の販売業者)と旅法師はある事件の参考人として出頭した検非違使からの帰途だった。実に奇妙な話を見聞きしたと、もう1人の下人に語り始める。
3日前、薪を取りに山に分け入った杣売りは、武士・金沢武弘の死体を発見し、検非違使に届け出る。そして今日、取り調べの場に出廷した杣売りは、当時の状況を思い出しながら、遺体のそばに市女笠、踏みにじられた侍烏帽子、切られた縄、そして赤地織の守袋が落ちており、そこにあるはずの金沢の太刀、女性用の短刀は見当たらなかったと証言する。また、道中で金沢と会った旅法師も出廷し、金沢は妻の真砂と一緒に行動していたと証言する。
盗賊・多襄丸の証言
まず、金沢を殺した下手人として盗賊の多襄丸が連行されてくる。多襄丸は、山で侍夫婦を見かけた際に真砂の顔を見て欲情し、金沢を騙して捕縛した上で、真砂を手篭めにしたことを語る。その後、凛とした真砂が両者の決闘を要求し、勝った方の妻になると申し出たことから、多襄丸は金沢と正々堂々と戦い、激闘の末に金沢を倒したという。ところが、その間に真砂は逃げており、短刀の行方も知らないと証言する。
妻・真砂の証言
次に真砂の証言が始まる。手篭めにされた後、多襄丸は金沢を殺さずに逃げたという。真砂は夫を助けようとするが、眼前で男に身体を許した妻を金沢は軽蔑の眼差しで見据え、その目についに耐えられなくなった真砂は自らを殺すように懇願した。そのまま気絶してしまい目が覚めると、夫には短刀が刺さって死んでおり、自分は後を追って死のうとしたが死ねなかった、と証言した。語り口は悲嘆に暮れ、多襄丸の証言とはあまりにかけ離れていた。
金沢の証言
最後に巫女が呼ばれ、金沢の霊を呼び出して証言を得る。金沢の霊曰く、真砂は多襄丸に辱められた後、彼に情を移し、一緒に行く代わりに自分の夫を殺すように求めた。しかし、その浅ましい態度に流石の多襄丸も呆れ果て、女を生かすか殺すか夫のお前が決めて良いと金沢に申し出た。それを聞いた真砂は逃亡し、多襄丸も姿を消し、一人残された自分は無念のあまり、妻の短刀で自害した。そして自分が死んだ後に何者かが現れ、短刀を引き抜いたが、それは誰かわからないと答える。
杣売りの証言
それぞれ食い違う三人の言い分を話し終えた杣売りは、下人に「三人とも嘘をついている」と言う。杣売りは実は事件の一部始終を目撃していたが巻き込まれるのを恐れ、黙っていたという。杣売りによれば、多襄丸は強姦の後、真砂に惚れてしまい夫婦となることを懇願したが、彼女は断り金沢の縄を解いた。ところが金沢は辱めを受けた彼女に対し、武士の妻として自害するように迫った。すると真砂は笑いだして男たちの自分勝手な言い分を誹り、金沢と多襄丸を殺し合わせる。戦に慣れない2人はへっぴり腰で無様に斬り合い、ようやく多襄丸が金沢を殺すに至ったが、自らが仕向けた事の成り行きに真砂は動揺し逃げだした。人を殺めたばかりで動転している多襄丸は真砂を追うことができなかった。
エピローグ
3人の告白はそれぞれの見栄のための虚偽であり、情けない真実を知った旅法師は世を儚む。すると、そこに羅生門の一角から赤子の泣き声がする。3人が確認すると着物にくるまれた捨て子がいる。下人は迷わず、その着物を剥ぎ取ると赤ん坊は放置する。あまりの所業に杣売りは咎めるが、下人はこの世の中において手前勝手でない人間は生きていけないと自らの理を説き、さらに現場から無くなっていた真砂の短刀を盗んだのが杣売りだったと指摘し、お前に非難する資格はないと罵りながら去って行く。
旅法師は思わぬ事の成り行きに絶望してしまう。そこでおもむろに杣売りが赤子に手を伸ばし、旅法師は彼が赤子の肌着まで奪うのではと疑い、その手を払いのける。しかし、杣売りは自分の子として育てると言い、赤子を大事そうに抱えて去っていく。旅法師は己の不明を恥じながらも、人間の良心に希望を見出すのだった。
キャスト
- 多襄丸:三船敏郎
- 都の内外に悪名が轟く盗賊。女好きとしても有名。真砂の美貌や気性の激しさに惹かれ、金沢夫婦を襲う。捕縛されても豪放磊落に振る舞い、自らの金沢殺しを誇るように語る。
- 実際には女々しく真砂に言い寄り、無理やり金沢武弘と決闘した。
- 金沢武弘:森雅之
- 死体で発見された旅をしている武士。言葉巧みに多襄丸に山奥まで連れて行かれ、木に縛られ、妻を手籠めにされる。巫女による降霊という形で証言を行なう。
- 実際には武士の癖に武芸が下手で盗賊一人倒すのもやっとで、妻に愛想をつかされた。
- 真砂:京マチ子
- 金沢の妻。大人しく貞淑。夫と山中を行動していたところを多襄丸に襲われ犯される。多襄丸によれば凛としていたというが出廷した姿とその証言はか弱さを見せる。
- 実際には健気な妻ではなく、身勝手な男達を戦わせた。
- 杣売り:志村喬
- 金沢の遺体の発見者で、参考人として検非違使に出廷する。そこで矛盾した3人の証言を聞き、下人に話す。
- 旅法師:千秋実
- 生前の金沢夫妻の目撃者で、参考人として検非違使に出廷する。
- 下人:上田吉二郎[注釈 2]
- 雨宿りの際に暇つぶしに杣売りと旅法師の話を聞く。
- 巫女:本間文子
- 巫女というより霊媒師。金沢の霊を呼び込み、証言をおこなう。
- 放免:加東大介
- 河原で倒れていた多襄丸を発見し、検非違使に連行する。
注釈
- ^ 羅城門ではない。
- ^ 上田は、本作のグランプリ受賞後、葉書半分大の大きな名刺を作り、「グランプリ受賞の羅生門出演、上田吉二郎」と印刷して話題をまいた[4]。
- ^ オープニングのタイトルにも使用された羅生門の扁額は、高さ120センチ、幅215センチあり、字は大映や東映作品で題字などを手がけた宇野正太郎が書いた[16]。
- ^ 本物の金獅子像は大映倒産後に紛失しており[42][46]、国立映画アーカイブの常設展にはレプリカの金獅子像が展示されている。
- ^ 授賞式(第24回)ではプレゼンターが「Japanese Government's Overseas Office will accept the award.(日本政府在外事務所が賞を受け取ります)」、続くアナウンスで「Mr. Yoshida is coming on stage now…(ミスター吉田がステージに登壇します)」と説明[53]。 - 在ロサンゼルス日本政府在外事務所が日本国総領事館となるのは、授賞式翌月の4月からであり、吉田健一郎はその初代総領事[54]。
出典
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