筑波研究学園都市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/06 09:14 UTC 版)
住民
先住の「旧住民」と「新住民」[注釈 2](筑波研究学園都市の建設に伴って移り住んできた研究者やその家族)との間には生活習慣や知的活動、学歴や消費行動の違いなどもあり、最初は互いに疎遠であった。さらに両者間では言語などのハビトゥスの違いから一目して階層差が認識されたほどであった[8][9]。
しかし、やがて公務員住宅が集中的に建設された地域などで、地元の農作物を扱う朝市や各種催し物も開催されるようになり、少しずつ交流が始まった[10][11]。新旧住民の主体的努力により当初見られたような対立は解消の方向へ向かいつつある[12]。
女性に対する男性の比率は全国平均に比べ高い(国勢調査によると1980年(昭和55年)は108.3%、2005年(平成17年)は105.8%)。
外国人研究者
2012(平成24)年度に筑波研究学園都市にある試験研究機関等で、2週間以上滞在した外国人研究者[13]
- 研究者数:5291人
- 研究者等(教育者含む):1936人
- 留学生:2294人
- 研修者:1061人
- 出身国数:200ヶ国
田園都市
高度に整備されたセンター地区や大学・研究機関など知的な環境と、筑波山を含む昔からある豊かな自然や田園が調和・共生する。これは日本国内では他にあまり見られない地域形態となっている。
海外経験のある研究者など一部の層では、計画的な街並みや広大な施設などの環境に違和感を覚えていない人もいるようであるが、一般に他の都市から来た研究者などはこの環境に少なからず戸惑うことが多く、特に人工的な娯楽や商店、また美術館などの知的好奇心を刺激する要素が、都心に比べ少ないことに不満を抱く人もいる。
そのため、単身赴任や電車通勤する人も少なくない。しかしつくばエクスプレス開通前後のセンター地区での分譲マンション建設ラッシュ時の購入者層などに見られるように、公務員住宅や民間賃貸住宅に住む人がマンションや一軒家などを購入して市内に永住することも多い。
注釈
出典
- ^ a b c d e f 『茨城県大百科事典』茨城新聞社、(1981)
- ^ a b “つくば市FactBook2011”. p. 10. 2012年2月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月6日閲覧。
- ^ 内閣 (1961年(昭和36年)9月1日). “官庁の移転について”. 2011年7月18日閲覧。
- ^ 内閣 (1963年(昭和38年)9月10日). “研究・学園都市の建設について”. 2011年7月18日閲覧。
- ^ オーラル地域史「土浦と霞ヶ浦の自然を守る」奥井登美子(土浦の自然を守る会代表)、2009年8月8日
- ^ a b 「現在地、ひと目で - 学園都市主要道路にゲート設置」『いはらき』茨城新聞社、1985年3月19日付日刊、15面
- ^ “筑波研究学園都市建設法”. e-Gov法令検索. 総務省行政管理局. 2020年1月28日閲覧。
- ^ 堀口純子 1980「筑波研究学園都市における新旧住民の交流とアクセント(1)」 『文藝言語研究. 言語篇』
- ^ 堀口純子 2006「筑波研究学園都市における新旧住民の交流とアクセント(2)」 『文藝言語研究. 言語篇』
- ^ 筑波研究学園都市の生活を記録する会編 1981年(昭和56年) 『長ぐつと星空:筑波研究学園都市の十年 1, 2, 3』 筑波書林
- ^ 筑波研究学園都市の生活を記録する会編 1985年(昭和60年) 『続・長ぐつと星空:筑波研究学園都市のその後 上, 中, 下』 筑波書林(ふるさと文庫)
- ^ 国土交通省・筑波研究学園都市の歴史にみる都市づくりのあり方
- ^ 筑波研究学園都市研究機関等連絡協議会『平成25年度筑波研究学園都市外国人研究者等調査結果』
- ^ 筑波研究所移転の件(2006年2月2日)ダイセル化学工業
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