筑波研究学園都市
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今後の発展
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建設から30年余りを経て顕在化した課題に対処し、今後の方向性を明確にするため、1998年(平成10年)4月に本都市の総合的な計画書である「研究学園地区建設計画」と「周辺開発地区整備計画」が全面改訂された。要点は以下の通りである。
- 科学技術中枢拠点都市
- 多くの研究機関が集積する本都市において、その集積効果が十分に発揮されているとはいえない状況である。そのため「つくばWAN」に代表されるような公的研究機関同士や産官学の連携、「つくば研究支援センター」などが推進している最先端の研究成果を社会に還元するためのベンチャー企業の創設・支援、「つくばサイエンスツアー」のような科学技術に対する理解を深める取り組みなどを行っている。また国際的な研究拠点として外国人宿舎の整備やインターナショナルスクールの誘致による外国人研究者の受け入れ強化、つくば国際会議場などのような国際コンペション開催能力の強化も進めている。
- 広域自立都市圏中核都市
- 2005年(平成17年)に開通したつくばエクスプレスにより東京都心との交通アクセスが向上した事に関連し、都心地区(センター地区)周辺の道路や駐車場などの再整備を進めている。また圏央道の整備により成田空港までの所要時間が約30分に短縮され、国際交流拠点としての利便性向上が図れる。
- エコ・ライフ・モデル都市
- 本都市の建設にあたって、豊かな自然環境の中に科学技術と生活が調和した田園都市を理想に掲げた。今後この理念をさらに推進し循環型社会の形成や緑豊かな住環境を育むと共に国際色に豊み、かつ地域の伝統文化を生かした都市づくりを進めている。
注釈
出典
- ^ a b c d e f 『茨城県大百科事典』茨城新聞社、(1981)
- ^ a b “つくば市FactBook2011”. p. 10. 2012年2月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月6日閲覧。
- ^ 内閣 (1961年(昭和36年)9月1日). “官庁の移転について”. 2011年7月18日閲覧。
- ^ 内閣 (1963年(昭和38年)9月10日). “研究・学園都市の建設について”. 2011年7月18日閲覧。
- ^ オーラル地域史「土浦と霞ヶ浦の自然を守る」奥井登美子(土浦の自然を守る会代表)、2009年8月8日
- ^ a b 「現在地、ひと目で - 学園都市主要道路にゲート設置」『いはらき』茨城新聞社、1985年3月19日付日刊、15面
- ^ “筑波研究学園都市建設法”. e-Gov法令検索. 総務省行政管理局. 2020年1月28日閲覧。
- ^ 堀口純子 1980「筑波研究学園都市における新旧住民の交流とアクセント(1)」 『文藝言語研究. 言語篇』
- ^ 堀口純子 2006「筑波研究学園都市における新旧住民の交流とアクセント(2)」 『文藝言語研究. 言語篇』
- ^ 筑波研究学園都市の生活を記録する会編 1981年(昭和56年) 『長ぐつと星空:筑波研究学園都市の十年 1, 2, 3』 筑波書林
- ^ 筑波研究学園都市の生活を記録する会編 1985年(昭和60年) 『続・長ぐつと星空:筑波研究学園都市のその後 上, 中, 下』 筑波書林(ふるさと文庫)
- ^ 国土交通省・筑波研究学園都市の歴史にみる都市づくりのあり方
- ^ 筑波研究学園都市研究機関等連絡協議会『平成25年度筑波研究学園都市外国人研究者等調査結果』
- ^ 筑波研究所移転の件(2006年2月2日)ダイセル化学工業
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