笠間城 沿革

笠間城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/30 02:52 UTC 版)

沿革

構造

佐白山山頂の天守曲輪を中心に、東から北に掛けての山腹に郭を重ねる。天守曲輪および大手道には、関東の城郭には珍しく、石垣が多用されている。天守曲輪には天守台が設けられ、2重の天守が建てられた。

主郭部は、天守曲輪から本丸、二の丸、大手門に掛けての郭群により構成されるが、北方の谷に面した尾根上にも、横堀を伴う複数の郭が存在する。また、本丸南方にも横堀が存在し、東端は竪堀となって山麓に向けて下る。居館は、佐白山の北東山麓に置かれた。

天守

天守は2重で、「常盤国笠間之城絵図」(正保城絵図)では天守曲輪にその姿が描かれているが、具体的な外観や構造はわかっていない。笠間城の明治廃城後、解体を受けた天守の用材は佐志能神社(笠間城天守台に所在)の拝殿に使用されている。中井均は、転用材を使用したという拝殿の状態から、天守をそのまま改築して造ったものと推測している[4]。また、田中嘉彦(笠間史談会会長)は調査によって、天守は移築現存する八幡台櫓とほぼ同一の構造であったと推測している[1]

遺構

山上の遺構は良く旧態を留めており、一部に後世の手が加えられているものの、石垣、堀などが残る。山麓居館部の保存状態は必ずしも良くないが、現在佐白山麓公園として整備され公開されている。

建造物の遺構としては、本丸八幡台上にあった八幡台櫓が真浄寺に移築され現存し、「笠間城櫓」として茨城県の文化財に指定されている。また、薬医門形式の城門2棟が、市内の民家に移築され現存する。


  1. ^ a b 田中『笠間城のはなし』筑波書林
  2. ^ 歴史群像シリーズ『江戸三百藩城と陣屋』
  3. ^ 江田郁夫『戦国大名宇都宮氏と家中』岩田書院、2014年、P190
  4. ^ 中井均著『山川MOOK 日本の城』山川出版社 2009年


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