稲留神社 歴史

稲留神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/05 22:39 UTC 版)

歴史

創建

古来の伝説によれば、鎌倉時代建久年間に原田種直の家臣が鎮祭したという[2]。種直は大宰少弐に任命されたが、平家に仕えて忠節であったため、源頼朝に召し捕られて籠居させられた。その家臣に山田という者がおり、家の没落を嘆き他家に仕えず、志摩郡火山(ひやま)の麓に一家を営み「稲留」の姓を名乗り農夫となった。家臣は小さな家屋を建て、主人の武運を天神地祇に祈った。これが稲留神社の起源となる。なお、家臣の末裔には稲留布賢という者がおり、非常に博学であったという。

沿革

祭神

祭神は次の3柱[2]。表記は掲示板によった。

地神五代の3代目。日向三代の初代。神武天皇の曾祖父。
神世七代の7代目。
神世七代の7代目。

このほか、広く神世七代・地神五代も祀っている。境内には庚申石が2体鎮座しており、猿田彦命も祀られている。また、稲留神社は菅原道真の直筆一通を蔵している。

祭祀

年間祭祀は以下の通り[2]

境内

社殿は、拝殿と天満宮(末社)からなる。境内には藤棚のそばに庚申石が2体鎮座する。

拝殿
天満宮
庚申石

  1. ^ a b c 稲留神社”. 2023年10月14日閲覧。
  2. ^ a b c d e 稲留神社”. 2023年10月14日閲覧。


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