法と正義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/16 23:47 UTC 版)
歴史
1990年5月に結成された中央同盟(PC)を前身としている。その主要メンバーだったレフ・カチンスキとドルン(Ludwik Dorn)が中心となり、2001年4月13日にPiSが結党された。同年に行われた議会選挙では、セイムで得票率9.50%、44議席を獲得した。「すべての人に公正な第4共和国」[2]をスローガンに掲げ、コマーシャルメッセージやインターネットを駆使した選挙活動を行なって支持を拡大、セイムにおいて得票率26.99%で155議席、セナトでも49議席を獲得し、第一党に躍進した。選挙後、保守政党であるポーランド家族連盟(LPR)と自衛(Samoobrona)の協力を得て、マルチンキィヴィチを首班とした連立政権を発足させた。
2006年5月からはLPRとSamoobronaの正式な連立政権が発足したが、Samoobronaの党首であるレッペル(Andrzej Lepper)の汚職問題をきっかけに、連立政権内で対立が生じ、2007年8月にPiSはLPRとSamoobronaとの連立解消を宣言、9月には民主左翼連合(SLD)が提案した議会解散決議に賛成票を投じたことで議会が解散され、総選挙が行われた。選挙では、得票率32.11%、166議席を獲得し、結党以来最多議席を獲得したが、POがセイムで200議席以上を獲得したため、POとポーランド農民党(PSL)による連立政権が発足したことで、PiSは下野することになった。
再びカチンスキを首相候補に立てて臨んだ、2011年10月の議会選挙では、得票で前回比2%減、議席数で前回比9議席減で第2党に留まり、政権を奪還することはできなかった。また選挙後、党内改革の必要性を訴えていたジョブロ欧州議員など3名が党を除名されたことに反発し、欧州議員らに同調する党所属の下院議員16名と上院議員1名が集団離党し、議員クラブ「連帯ポーランド」(SP)を結成した[3]。
2013年8月に行われた党大会で党首選挙を実施、唯一の立候補者であったヤロスワフ・カチンスキが無投票で党首に再選された[4]。
2014年5月の欧州議会議員選挙では19議席(得票率31.78%)を獲得、同じく19議席を獲得したPO(得票率32.13%)と並んだが、得票では僅差でPOに次ぐ二位となった[5]。同年7月、2015年秋に予定されている総選挙において、PiSと同じ右派政党であるSPや「ポーランドと共に」(PR)と共通の候補者リストで選挙に挑むことで合意した[6]。結果、PiSは圧勝し8年ぶりとなる政権奪還を果たした。
なお、10月13日に行われた2019年総選挙でPiSが勝っている地域は、首都ワルシャワと周辺を除く東部地域に多い。これは、ポーランドの東西地域の経済格差により、ドイツやチェコに隣接する西部地域より経済発展が遅れているため、東部地域へ補助金支給などを積極的に行うPiSへの期待の高さより、東部地域有権者が多く支持するからである[7]。
- ^ 市民プラットフォーム及び小政党の連立
- ^ 2005年の選挙では共産主義体制後の第3共和制が、格差と貧困を招いたことを批判。国家の強化と腐敗の根絶及び社会浄化促進による社会の秩序回復を主張し、旧共産党系(SLD)だけではなく、自由主義系のPOや民主党(PD)に対しても対立軸を示している。
- ^ 在ポーランド日本大使館編「ポーランド政治・社会情勢(2011年11月3日~9日)」 (PDF)
- ^ “ポーランド政治・経済・社会情勢(2013年6月27日~7月3日)”. 在ポーランド日本大使館 (2013年7月5日). 2013年8月26日閲覧。
- ^ “ポーランド政治・経済・社会情勢(2014年5月22日~5月28日)” (PDF). 外務省 (2014年5月30日). 2014年9月8日閲覧。
- ^ “ポーランド政治・経済・社会情勢(2014年7月17日~7月23日)” (PDF). 外務省 (2014年7月25日). 2014年9月8日閲覧。
- ^ 楢橋広基 (2019年10月17日). “議会総選挙で与党「法と正義(PiS)」が上下院とも勝利(ポーランド)”. 独立行政法人日本貿易振興機構(ジェトロ). 2020年3月14日閲覧。
- ^ http://www.dw.de/stoking-anti-german-sentiment-in-poland/a-16456568
- ^ Fox News 2009年11月27日 ポーランドが共産主義の標章を禁止
- ^ “ポーランド総選挙、EU懐疑派の保守野党が圧勝”. AFP通信 (2013年7月5日). 2015年10月26日閲覧。
- ^ “ポーランド侵攻から80年、復活するドイツへの戦後賠償要求の動き”. AFP (2019年9月2日). 2019年9月23日閲覧。
固有名詞の分類
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