栃東大裕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 02:25 UTC 版)
略歴
- 1976年(昭和51年) - 元関脇・栃東の次男として生まれる
- 1994年(平成6年)11月場所 - 初土俵、四股名は本名の志賀太祐
- 1995年(平成7年)3月場所 - 7戦全勝で序ノ口優勝
- 1995年5月場所 - 7戦全勝で序二段優勝
- 1995年7月場所 - 7戦全勝で三段目優勝
- 1995年9月場所 - 幕下昇進、3勝4敗で初土俵以来初の負け越し
- 1995年11月場所 - 7戦全勝で幕下優勝
- 1996年5月場所 - 新十両、改め栃東大裕
- 1996年9月場所 - 西十両3枚目で12勝3敗の十両優勝
- 1996年11月場所 - 新入幕、10勝5敗の好成績で初の三賞である殊勲賞受賞
- 1997年(平成9年)7月場所 - 新小結
- 1997年9月場所 - 新関脇
- 1998年(平成10年)3月場所 - 右肩剥離骨折のため6日目から途中休場、翌場所も公傷休場
- 2000年(平成12年)9月場所 - 右肩関節脱臼のため6日目から途中休場、翌場所も公傷休場
- 2001年(平成13年)11月場所 - 12勝3敗の直近3場所(全て関脇の地位)合計34勝で大関昇進を果たす
- 2002年1月場所 - 新大関の場所で自身初の幕内最高優勝(羽黒山以来、史上2人目の序ノ口から幕内まで全段優勝)、新大関の優勝は清國以来7人目で、若貴兄弟に続く親子幕内最高優勝でもある
- 2002年7月場所 - 左上腕骨裂離骨折のため5日目から途中休場、翌場所も公傷休場
- 2002年11月場所 - 初の角番
- 2003年(平成15年)1月場所 - 左肩関節脱臼のため6日目から途中休場、翌場所も公傷休場
- 2003年5月場所 - 2度目の角番
- 2003年7月場所 - 15日間皆勤するも負け越し(7勝8敗)
- 2003年9月場所 - 3度目の角番
- 2003年11月場所 - 2度目の幕内最高優勝(13勝2敗)
- 2004年(平成16年)3月場所 - 左肩骨折のため3日目から途中休場
- 2004年5月場所 - 4度目の角番は全休で大関陥落
- 2004年7月場所 - 関脇、10勝を挙げ大関特例復帰を果たす
- 2004年9月場所 - 大関復活、3日目の旭天鵬戦に幕内では初となるつきひざで敗れた際に右膝半月板を損傷し4日目から途中休場
- 2004年11月場所 - 5度目の角番は左肩骨折のため6日目から途中休場で2度目の大関陥落
- 2005年(平成17年)1月場所 - 関脇、11勝を挙げ2度目の大関特例復帰を果たす。現行の大関特例復帰制度で、関脇陥落場所での11勝以上と2度目の大関再昇進は共に史上初
- 2005年3月場所 - 大関再復活
- 2005年11月場所 - 3日目の雅山戦に敗れた際に右わき腹を痛め4日目から途中休場
- 2006年1月場所 - 6度目の角番は14勝1敗の好成績で13場所ぶり3度目の幕内最高優勝
- 2006年3月場所 - 綱取り場所に失敗するも12勝を挙げ、次場所へその夢を繋ぐ
- 2006年5月場所 - 2日目の朝赤龍戦で左膝半月板を損傷し7日目から途中休場
- 2006年7月場所 - 7度目の角番
- 2007年1月場所 - 怪我を押しての出場。15日間皆勤するも負け越し(5勝10敗)
- 2007年3月場所 - 8度目の角番。10日目に角番を脱出するも、12日目からは高血圧により途中休場
- 2007年5月7日 - 5月場所直前に現役引退を正式発表。年寄栃東を襲名。
- 2009年9月3日 - 年寄:14代玉ノ井を襲名。玉ノ井部屋師匠を継承。
- 2012年1月30日 - 日本相撲協会副理事に立候補し、無投票当選。
- 2017年5月場所 - スポーツニッポン専属評論家に就任[14]
注釈
- ^ 因みにこの場所の最高成績は11勝どまりであり、優勝者である武蔵丸に加えて同点者の曙、若乃花、貴ノ浪、魁皇の5人が該当する。また、この場所でもう1つ星を上積みすれば初代栃東と揃って親子で11勝4敗の優勝経験という極めて珍しい記録を達成する可能性も生まれた。
- ^ ただしモンゴル出身の旭天鵬は2004年に日本国籍を取得し、2012年5月場所で日本国籍を保持した状態で優勝している
- ^ それから約7年後の2014年3月場所中に琴欧洲勝紀が引退して「大関3年」を行使した。そもそも「大関3年」自体が先代境川の改革によって借株・年寄名跡の複数所有が禁止となった代わりに設けられた救済措置であって、現在でも借株を出来るだけ避けるという点から近親者でもある年寄(栃東の場合は先代玉ノ井)が3年以内に停年を迎える、引退時に空き名跡が10家ある(琴欧洲の場合)、など余程に確度の高い取得の見込みが無い限り理事会で承認されることはない。
- ^ 東関脇で迎えた2001年9月場所には12勝を挙げながらもこの場所で変化が多かったことで三賞の対象から外された。
- ^ 因みに敷島は栃東と5回対戦して全敗。
- ^ 右肩関節後方亜脱臼に伴う肩関節剥離骨折により6日目から途中休場
- ^ a b c d 公傷・全休
- ^ 右肩鎖関節脱臼により6日目から途中休場
- ^ 千代大海と優勝決定戦
- ^ 左上腕骨小結節裂離骨折・左肩甲下筋停止部損傷により5日目から途中休場
- ^ a b c d e f g h 大関角番(全8回)
- ^ 左肩関節脱臼により6日目から途中休場
- ^ 左肩肩峰骨折により3日目から途中休場
- ^ 関脇陥落
- ^ 大関特例復帰
- ^ 右膝内側側副靱帯及び右膝半月板損傷により4日目から途中休場
- ^ 左肩甲骨骨折により6日目から途中休場
- ^ 関脇再陥落
- ^ 大関特例再復帰
- ^ 右前鋸筋挫傷により4日目から途中休場
- ^ 左膝半月板損傷・左膝PCL損傷により7日目から途中休場
- ^ 高血圧により12日目から途中休場
- ^ 5月場所直前に引退を表明
出典
- ^ a b [元大関・栃東 玉ノ井太祐さん]脳梗塞(1)序ノ口 いきなりケガ抱える YOMIURI ONLINE yomiDr.2016年6月29日
- ^ a b c d e f g h i j 北辰堂出版『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(塩澤実信、2015年)180ページから181ページ
- ^ a b c ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』(2017年、B・B・MOOK)
- ^ [元大関・栃東 玉ノ井太祐さん]脳梗塞(2)「食べるのも稽古」と大食、高血圧要因か YOMIURI ONLINE yomiDr. 2016年7月6日
- ^ a b c [元大関・栃東 玉ノ井太祐さん]脳梗塞(3)精神的な重圧、頭痛にも YOMIURI ONLINE yomiDr. 2016年7月13日
- ^ 元栃東の玉ノ井親方「心が最も大事」自信ついた出稽古での切磋琢磨/歴代大関が語る昇進場所 日刊スポーツ 2023年7月1日8時18分 (2023年7月1日閲覧)
- ^ 日刊スポーツ 2017年6月1日
- ^ [元大関・栃東 玉ノ井太祐さん]脳梗塞(4)医師の宣告で引退決意YOMIURI ONLINE yomiDr. 2016年7月20日
- ^ 公式ブログでの発表
- ^ [元大関・栃東 玉ノ井太祐さん]脳梗塞(5)食事と運動に注意し減量YOMIURI ONLINE yomiDr. 2016年7月27日
- ^ 背伸び上等!1メートル60「爆羅騎」“盛って”合格 2012年12月27日 06:00 Sponichi Annex
- ^ 自称161センチ山名が身長検査で懸命に背伸び、パス 日刊スポーツ 2016年1月7日8時44分 紙面から (2023年3月22日閲覧)
- ^ 炎鵬、夏場所中止「仕方がない」7月へ気持ち切り替え SANSPO.COM 2020.5.4 19:41(2020年5月25日閲覧)
- ^ “元大関・栃東の玉ノ井親方が夏場所占う 稀勢は本場所までの2週間が鍵”. スポニチAnnex(2017年5月2日). 2019年2月20日閲覧。
- ^ “Rikishi in Juryo and Makunouchi” (English). szumo.hu. 2008年5月22日閲覧。
- ^ a b 元大関栃東の玉ノ井親方が忘れない「真夏の夜の夢」 松任谷由実がカラオケで歌ったあの夜 日刊スポーツ 2023年2月11日6時30分 (2023年2月11日閲覧)
- ^ 月刊『相撲』平成23年9月号掲載
- ^ 北の湖理事長急死 20日朝に入院、夕方に容体急変スポニチ 2015年11月21日記事
- ^ 【元横綱千代の富士死去】玉ノ井親方「大きな宝を亡くした」産経ニュース 2016年8月1日記事
- ^ 八角理事長「これだけ応援された横綱はいない」稀勢の里引退でコメント/初場所産経ニュース 2019年1月16日記事
- ^ 【激撮】玉ノ井部屋の朝稽古/Sumo Documentary/元栃東(元玉ノ井親方)に迫る ガガちゃんねる【GAGA CHANNEL】 2024/02/28 (2024年3月12日閲覧)
- ^ 【レジェンド降臨】玉ノ井部屋のガチちゃんこ/栃東が恐れた力士/稽古の真髄を語る ガガちゃんねる【GAGA CHANNEL】 2024/03/06 (2024年3月12日閲覧)
- 栃東大裕のページへのリンク