本多当一郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/28 01:24 UTC 版)
来歴・人物
大分県出身[4]。早稲田大学卒業[4]後、1956年に日本テレビへ入社[4][1][5]。同期に赤木孝男・志生野温夫らがいる[5]。以来、大相撲、プロレス、ボクシングなどの格闘技を中心としたスポーツ実況中継のアナウンサーとして活躍。入社2年目の1957年には、日本初のゴルフ中継として放送されたカナダカップ中継を担当した[6]。1966年には、日本テレビアナウンサー初の海外出張としてアルゼンチンから世界フライ級タイトルマッチ・海老原博幸対アカバロ戦中継の実況を担当した[7]。翌1967年には、日本テレビ初の衛星中継としてアメリカ合衆国ヒューストンのアストロドームから世界ヘビー級タイトルマッチ・アリ対ヘレル戦中継の実況を担当した[8]。1982年には、正力杯全日本学生柔道体重別選手権の実況を倉持隆夫とともに担当した[9]。
スポーツアナとして活躍する一方で1970年からはニュースキャスターも務め、『NNN日曜夕刊』[1][3]『NNN JUST NEWS』『NNN6:30きょうのニュース』『NNNライブオンネットワーク』(いずれも土曜日)『NNN昼のニュース』(土曜日・日曜日など)『読売新聞あすの朝刊』、系列CS放送の日本テレビケーブルニュース(現:日テレNEWS24)で放送の報道番組[1]で活躍した。その間、解説委員[1][3]も務めた。
1994年、同局を定年退職[10]。定年まで務めたアナウンサーは、日本テレビでは小林完吾についで2番目であった[10](人事異動で離れたアナウンサーも含めれば小川光明・倉持隆夫・山下末則・松永二三男・増田隆生などがいる)。その後はフリーアナウンサー[1]、日本テレビアナウンスカレッジ講師[1]を務めた。
2018年2月4日、死去。83歳没[2]。
- ^ a b c d e f g h i j 外部リンク『ゴルフ中継事始め異聞』のプロフィールを参照。
- ^ a b c 「事務局から」(pdf)『日本記者クラブ会報』第577号、日本記者クラブ、2018年3月10日、25頁、2018年6月25日閲覧。
- ^ a b c d 『大相撲』1986年7月号のP60-61より、日本テレビ解説委員・『日曜夕刊』キャスターとの紹介入りで、相撲放送に関して自身が相撲アナウンサーであった旨を含む本多のコメントが掲載。
- ^ a b c d 『週刊読売』1980年5月11日号(読売新聞社発行)P41掲載のTVアナウンサー・キャスター名鑑を参照。
- ^ a b 『実況! 熱きことばの伴走者たち』P215より、日本テレビの1956年の入社アナウンサーリストを参照。
- ^ 『実況! 熱きことばの伴走者たち』P215-216より、日本テレビの1957年当時のアナウンス部メモを参照。P216に担当アナウンサーのリストを明記。
- ^ 『実況! 熱きことばの伴走者たち』P219-220より、日本テレビの1966年当時のアナウンス部メモを参照。
- ^ 『実況! 熱きことばの伴走者たち』P220より、日本テレビの1967年当時のアナウンス部メモを参照。
- ^ 『実況! 熱きことばの伴走者たち』P226より、日本テレビの1982年当時のアナウンス部メモを参照。
- ^ a b 『実況! 熱きことばの伴走者たち』P241より、日本テレビの1994年当時のアナウンス部メモを参照。
- 1 本多当一郎とは
- 2 本多当一郎の概要
- 3 来歴・人物
- 4 出演番組
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