有島武郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/25 07:00 UTC 版)
主な評伝
- 亀井俊介『有島武郎 世間に対して真剣勝負をし続けて』ミネルヴァ書房・ミネルヴァ日本評伝選、2013年
- 高原二郎・福田清人編『有島武郎 人と作品』清水書院、新版2018年
- 荒木優太『有島武郎 地人論の最果てへ』岩波新書、2020年
親族
妻安子(1916年没)は陸軍大将・男爵神尾光臣の次女。2人の間に子として、行光(俳優の森雅之、森と愛人との間に愛のコリーダなどで活躍した女優の中島葵。また森の孫にミュージシャンの有島コレスケ)、敏行(翻訳家。石井好子と婚約していたと言われるが[3]、第二次世界大戦中に若くして結核で亡くなる)、行三(母方の神尾家を継ぎ男爵。次男はシンガーソングライターの平岩英子の夫でシンセサイザー奏者の有島明朗(母方の神尾から改姓))[4]。
弟に画家の有島生馬、作家の里見弴、日本油脂取締役の有島行郎(次男に創価学会初代音楽隊長で公明党代議士の有島重武)。妹シマは東京慈恵会医科大学を設立した高木兼寛の長男喜寛と結婚。妹の愛は三笠ホテル経営者の山本直良と結婚(愛の孫に指揮者で作曲家の山本直純)[4]。
逸話
- 東京都千代田区六番町にある家には落語家の3代目三遊亭圓歌が住んでいたが、晩年に転居している[5]。
- 1922年(大正11年)、大杉栄がベルリン国際無政府主義大会に参加するために密航を企図すると、密かに渡航費を大杉に渡し、後に新聞記者に対して「僕は大杉君とは立場が違うが、ああいう器局の大きい人物を、いたずらに日本のようなせせっこましい所に置いて、内輪喧嘩をさせておくのは惜しいような気がしたので、世界の大勢を見てきたほうがよかろうと考えたからである」と談話している。(大杉栄『日本脱出記』、大杉豊『日録・大杉栄伝』より)
- 有島は極端に蛇を怖がった。その一方で波多野秋子は蛇が好きで、蛇がかすかに頭をもたげて蛇腹がぐるりと指をとりまくデザインの指輪をはめていた。ただし、波多野が遺体で発見された際にはその指輪をはめていなかったことから、有島と交際するようになってからその指輪を外したとみられている。
施設
- 有島記念館(北海道ニセコ町)- 有島が当地に農場を所有していたことから、それに関する資料等が保存されている。
- 札幌芸術の森(札幌市南区)- 札幌市北区にあった有島武郎旧邸が移築保存されている。内部には有島に関する展示がある。
- 北海道開拓の村(札幌市厚別区)- 札幌市白石区にあった有島のかつての住まいが移築保存されている。
- ^ “1.有島武郎邸跡/札幌市北区”. 札幌市. 2024年5月25日閲覧。
- ^ 有島青少年文芸賞サイト(2019年7月16日閲覧)。
- ^ 石井好子著『私は私』
- ^ a b 有島武郎歴史が眠る多磨霊園
- ^ 三遊亭圓歌さん追悼秘話 最後まで寄席にこだわり“終活”、「山のあな、あな」は自らの吃音経験笑いに - ZAKZAK 2017年4月25日
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