山本直良
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 09:37 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動山本 直良(やまもと なおよし、1870年3月26日(明治3年2月25日[1]) - 1945年)は、日本の実業家。公爵岩倉具視家の元家扶、日本郵船など多くの企業の役員を務め、三笠ホテルを創業した。
経歴
小浜藩士で岩倉具視の側近だった山本直成の二男として生まれる[1]。東京帝国大学農学部卒業後、千歳海上火災再保険に入社。日本郵船監査、明治製菓役員などの要職を歴任。1897年(明治30年)丁酉銀行創立に伴い頭取に就任した[1]。また、長野県北佐久郡軽井沢町に三笠ホテルを建設したことでも有名。
家族
妻の山本愛は有島武郎の妹。息子のひとりが指揮者の山本直忠。直忠の長男が作曲家・指揮者の山本直純である。もうひとりの息子、山本直正の妻は、与謝野鉄幹と与謝野晶子の次女の七瀬[2]。
脚注
参考文献
- 人事興信所 編 『人事興信録 初版』人事興信所、1903年 。
固有名詞の分類
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