山本省三 (陸軍軍人)とは? わかりやすく解説

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山本省三 (陸軍軍人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/28 01:25 UTC 版)

山本 省三
生誕 1893年3月11日
日本 滋賀県
死没 (1949-07-08) 1949年7月8日(56歳没)
オランダ領東インド メダン
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1915年 - 1945年
最終階級 陸軍主計少将
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山本 省三(やまもと しょうぞう、1893年明治26年)3月11日[1] - 1949年昭和24年)7月8日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍主計少将。

経歴

1893年(明治26年)に滋賀県で生まれた[1]陸軍経理学校第9期を1915年(大正4年)に[2][3]、陸軍経理学校高等科を1924年(大正13年)に卒業した[3]1939年(昭和14年)3月に陸軍糧秣本廠廠員に就任し[4]1940年(昭和15年)8月に陸軍主計大佐に進級した[4]1946年(昭和16年)3月に第11軍野戦貨物廠長に就任し[4]日中戦争に出動[1]1942年(昭和17年)8月に第15師団経理部長(第13軍)に転じ[5][6]1943年(昭和18年)6月に第25軍経理部長(南方軍)に就任し[1]スマトラ島に出征[6]1945年(昭和20年)6月10日に陸軍主計少将に進級した[4]

終戦後戦犯として逮捕され[7]、オランダによってメダン裁判で裁かれた[7]。スマトラ島内の捕虜収容所で連合国軍捕虜に過酷な労働を強いて[7]、劣悪な環境で死者を多数出したことから[7]、求刑は無期であったが銃殺刑となった[8]。山本を担当した裁判長は日本軍に捕虜として収容されていたため[8]、復讐の意味があったとされる[8]1949年(昭和24年)7月8日に執行された[8]1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けている[9]

脚注

  1. ^ a b c d e 福川 2001, 775頁.
  2. ^ 伊藤 2021, 383頁.
  3. ^ a b 伊藤 2021, 384頁.
  4. ^ a b c d 外山 1981, 526頁.
  5. ^ 伊藤 2021, 386頁.
  6. ^ a b 伊藤 2021, 387頁.
  7. ^ a b c d 伊藤 2021, 388頁.
  8. ^ a b c d 伊藤 2021, 389頁.
  9. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十三年一月三十一日 仮指定者」212頁。

参考文献

  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。 ISBN 4829500026 
  • 伊藤禎 著『大東亜戦争 戦犯として処刑された陸軍将官36人列伝』展望社、2021年。 ISBN 4885464056 



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