普遍史 初期の普遍史

普遍史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/09 01:18 UTC 版)

初期の普遍史

発生

普遍史の発生は、キリスト教成立時の古代ローマまで遡ることができる。初代ローマ帝国皇帝アウグストゥスの時代にイエス・キリストが生誕し、キリスト教はティベリウス帝の代に成立し、拡大を始めた。しかしキリスト教は長く迫害の時期を過ごし、ようやく公認を得たのはコンスタンティヌス帝の313年だった。この迫害の期間、「教父」と呼ばれる教団の指導者たちは、キリスト教を擁護するために聖書の歴史的正当性を説き、これが普遍史の構築に繋がった。

聖書を権威づける活動は、最初は同様に迫害を受けていたユダヤ人の中から起こった。フラウィウス・ヨセフス(37年 - 100年)は『ユダヤ古代誌』などの著作で、旧約聖書に書かれている年代等の記述に他の情報を加えて天地創造後の経過年数を試算し、「創世紀元」または「世界年代」(Anno Mundi、A.M. 「世界の年に」の意味)を使い始めた。この中にはローマの歴史も含まれると主張してユダヤ教の護教を行った。

キリスト教では、「聖書年代学の父」ユリウス・アフリカヌス(170年? - 240年?)(en)がユダヤ人が主張する創世紀元の流れを汲む年号「ab Adam」(「アダムより」の意味)を用いて、キリスト教徒初の聖書記述の年代研究を『年代誌』に著した。これが普遍史という概念成立の端緒とされている。ただし、彼の著作は散逸し、わずかに引用などで伺うことができる程度にしか残されていない。

しかし、エウセビオス(260年? - 339年)やヒエロニムス(340 年 - 420年)が仕事を引き継ぎ、キリスト教年代学が進展した。エウセビオスが著した『年代記』は、第一部でカルデア人・ヘブライ人・エジプト人・ギリシア人・ローマ人それぞれの歴史と、聖書に記載された出来事を比較している。第二部は「カノン」という題で、アブラハム生誕を紀元とする年表を基準に第一部で述べた諸民族や国家の歴史を並べた年表を作成した。これは「七十人訳聖書」を基礎に据え、キリスト生誕前5199年前と試算した天地創造に始まり、その2242年後に大洪水が起こる聖書の歴史に各民族史が収まり、ヘブライ人の歴史を主軸に据えたキリスト教史観ですべての民族・国家の歴史を説明できる体系となっている。『年代記』はヒエロニムスによってラテン語翻訳され、この概念が中世までのヨーロッパにおける歴史観の基礎となった。

問題点

カルデアの古さの問題

普遍史は、聖書の歴史記述が他民族のそれをも説明可能であり、これを根拠に聖書およびキリスト教の優位性を示すことを目的に成立した。したがって、天地創造や大洪水よりも古い他民族の歴史を合理的に説明する必要に迫られた。紀元前3世紀頃のヘレニズムバビロニアで著述されたベロッソスの『バビロニア誌』解釈が、普遍史構築上の問題点となった。カルデアの歴史を伝える『バビロニア誌』では、天と海が分かれて世界が成り立ち、最初の王朝はアルロス(アロロス、Aloros)から始まり10代目のクシストロス時に大洪水があり滅んだとある。この王朝は120サロス=432,000年間[注釈 2]存続したとも記されており、どの聖書に基づいても天地創造と大洪水の期間よりも長かった。

これに対しエウセビオスは『年代記』にて、単純にカルデア人が単位「サロス」の計算を間違えていたと切り捨てた。それどころか逆に、クシストロスが神の予告を受けて船を建造し、大洪水の際に一族や動物たちと難を逃れ、鳥を飛ばして洪水の終息を確認したところなどを取り上げて、『バビロニア誌』にある記述はノアの大洪水を示していると解説した。成立年度から見れば『バビロニア誌』の内容が『旧約聖書』に影響したと考えるのが普通だが、エウセビオスは逆にバビロニア人が歴史を伝えるにあたり事実を劣化させてしまったものとして、聖書の真実性を裏付ける材料にした。

ウジェーヌ・ドラクロワ画、「サルダナパールの死」、ルーヴル美術館所蔵。ニヌス王に始まりサルダナパールに終わるアッシリア伝説は、近年はかなりの史実を含んでいると再評価されている。

アッシリアの問題

キリスト教成立前後の古代ギリシアやローマが認識していたアッシリアの歴史とは、ポンペイウス・トログスらが伝える、初代ニヌス王とその王妃である第二代の王セミラミスによってインドにまで進出した最初の大帝国に始まり、サルダナパールの死とともに滅亡する1200年間にわたる伝説的物語を指した。そして、このアッシリアを滅ぼし次代の広域支配を打ち立てた国がメディアだと考えていた。これは、聖書記述内容とは大きく食い違っていた。聖書が伝えるアッシリアの始祖アシュルなどローマ人は知らず、また「ダニエル書」で暗喩された4帝国が連続的に興亡するというような認識ではなかった。

この問題に対し、エウセビオスは『年代記』にて、あえて聖書記述への忠実さを放棄し、「解釈」を以って組み替えている。具体的には、ローマ人のアッシリア観を採用してこれを1番目の帝国に置き換えた。この解釈によってイスラエル王国とアッシリアが並列することになり、普遍史の第2期と第3期が重なってしまった。この問題に対する論理的説明は後世に残される課題となった。

第四世界帝国の問題

「ダニエル書」には4番目の世界帝国が滅ぶ時に終末が訪れるとあり、それはギリシア人のマケドニア王朝と明示されている。しかしエウセビオスが生きた2世紀後半から3世紀にはマケドニアは既に滅び、5番目の帝国・ローマ帝国属州マケドニア属州)となっていた。この問題に対してもエウセビオスは聖書に「解釈」を加え、メディアとペルシアを纏めて2番目の帝国と解説し、ギリシアは繰り上がり3番目の、そしてローマを4番目の帝国と読み替え対応した。このようにエウセビオスは、第四世界帝国を以下のように読み換えた。

  1. 第一帝国=アッシリア
  2. 第二帝国=メディア・ペルシア
  3. 第三帝国=ギリシア(マケドニア)
  4. 第四帝国=ローマ

この過程で、聖書に記載されたプル王(ティグラト・ピレセル3世)以降のアッシリアと、バビロン捕囚や「ダニエル書」の舞台となったカルデア(新バビロニア)が四世界帝国の座から脱落した。

エジプトの古さの問題

カルデアの歴史を上手く消化したエウセビオスだったが、同様に立ちはだかったマネトの『エジプト史』には、対応に苦慮した。マネトは、エジプトの歴代31王朝について統治年数・王の名・首都を詳細に記していた。最後の王朝がアレクサンドロス大王に征服されアレクサンドリアが建設された紀元前331年から統治年数の合計を遡ると、第1王朝の創始は紀元前5268年8ヶ月となり、エウセビオスの創世紀元よりも古くなってしまう。それどころか、人間統治の時代以前には半神や死者のが統治する11,000年間、その前には神々が支配した13,900年間があったとしており、普遍史の概念とは大きく食い違っていた。

これに対しエウセビオスは、神々の時代は一月を一年と、半神や死霊の時代は三ヶ月を一年と呼称していたと主張し、計算を経てこの期間を2206年間だったという数値を得た[注釈 3]。これを根拠に、エジプトの先王朝統治の記録は大洪水前の時代が曲解されて伝わったものと述べ、エジプト人の始祖は聖書が示す通りミツライムだと定義した。

31王朝の期間については、エウセビオスは、これらには別々の地域に同時期に並存した王朝が含まれているため、見かけ年数が多くなっていると主張し、聖書記述との矛盾は無いと説明した。ただし、『年代記』「カノン」には16王朝以降を順列で記しているのみに留まり、具体的にどの王朝が並存していたのかには触れていない。このエジプト問題は、普遍史にまつわる疑問として後世まで残った。


注釈

  1. ^ 以下は、出典『聖書vs.世界史』にて引用された日本聖書協会1955年、ヘブライ語聖書改訳版に倣う(p29)。
  2. ^ 出典『聖書vs.世界史』p34。エウセビオス『年代記』解説部分。サロス周期を18年とすれば、120サロスは2160年間と計算される。
  3. ^ 出典『聖書vs.世界史』p39。エウセビオス『年代記』解説部分。単純な太陰暦変換では、(神代)13,900×1/12×354/365.2422 + (半神・死霊)11,000×3/12×354/365.2422 = 1123 + 2690 = 3812年間となる。
  4. ^ 出典『聖書vs.世界史』p89では『東方見聞録』6-189にある「犬顔の人類」を例に挙げ、不正確な伝聞を見たように語った可能性や、マルコ・ポーロの聞き取りを行ったルスティケロ・ダ・ピサの勝手な加筆等を示唆している。
  5. ^ 出典『聖書vs.世界史』p170。ただしニュートンは世界の終わりを2060年以降だとも言及している。[1]
  6. ^ 出典『世界史とヨーロッパ』p215にある表記だが、植物学者のアントワーヌ・ローラン・ド・ジュシューは1748年生まれであり、別人と思われる。

出典

  1. ^ 大塚修「キニク氏族とアフラースィヤーブ:ペルシア語普遍史叙述の展開とセルジューク朝の起源」(「オリエント」50-1,2007)p.82
  2. ^ 真下裕之「インド・イスラーム社会の歴史書における「インド史」について」『神戸大学文学部紀要』第38巻、神戸大学文学部、2011年3月、51-107頁、doi:10.24546/81002753hdl:20.500.14094/81002753ISSN 02885808CRID 1390009224927518592  PDF-p.11
  3. ^ a b 蔀勇造『歴史意識の芽生えと歴史記述の始まり』(第一版第一刷)山川出版社、2004年、064-066頁。ISBN 4-634-34570-6 
  4. ^ 聖書 新共同訳 ダニエル書”. 日本聖書協会. 2009年7月1日閲覧。
  5. ^ 2008年8月号「永遠の都」”. 日本メノナイト足寄キリスト教会. 2009年7月1日閲覧。
  6. ^ 弓削達『地中海世界』(第三版第四刷)講談社現代新書、1996年、154頁。ISBN 4-06-115712-4 
  7. ^ Catalan Atlas (facsimile), detail: Asia (カタロニア図、アジア部分)” (英語). 2009年7月1日閲覧。
  8. ^ アザール『ヨーロッパ精神の危機 1680-1715』を読む、第3章 リシャール・シモンと聖書釈義”. 京大人文研「啓蒙の運命」共同研究 森本淳生 (2005年5月20日). 2009年7月1日閲覧。
  9. ^ 岡崎『聖書vs.世界史』p220
  10. ^ 李均洋 (1995年10月17日). “雷神思想の源流と展開-日・中比較文化考-”. 国際日本文化研究センター. 2009年7月1日閲覧。

出典2

  1. ^ ギャリー・ウイルズ、志渡岡理恵訳『アウグスティヌス』、2002年、岩波書店、p1,82。
  2. ^ 増田義郎『新世界のユートピア』、研究社、1971年
  3. ^ 『新世界のユートピア』p16
  4. ^ 大場正史訳『東方旅行記』平凡社・東洋文庫
  5. ^ 『クリストバル・コロンの四回の航海』大航海時代叢書 第1期第1巻、岩波書店、p69以下より
  6. ^ 『新世界のユートピア』p56
  7. ^ 染田秀藤『大航海時代における異文化理解と他者認識』渓水社、1995年、p26
  8. ^ 原二郎訳『エセー』岩波文庫、第1巻31章
  9. ^ 『新大陸自然文化史』大航海時代叢書 第1期第1巻
  10. ^ 大航海時代叢書 第1期第6巻
  11. ^ 後藤末雄『中国思想のフランス西漸』東洋文庫、平凡社、p29以下
  12. ^ 『中国思想のフランス西漸』p1-30
  13. ^ 津田譲訳『パンセ』新潮文庫、下、p29
  14. ^ 山下正夫訳『ライプニッツ著作集』第10巻、1991年
  15. ^ ホースレイ版全集第5版
  16. ^ 『The Choronology of Ancient Kingdoms Amended』埼玉大学所蔵
  17. ^ プリンキピア』第3編命題29問題10
  18. ^ 『プリンキピア』第3編命題29問題95
  19. ^ 松原千秋訳ヘロドトス『歴史』、岩波文庫
  20. ^ ホースレイ版全集5-467
  21. ^ 大野忠男訳『ケインズ全集』第10巻、東洋経済新報社
  22. ^ 『ケインズ全集』第10巻、p364
  23. ^ 『ケインズ全集』第10巻、p370
  24. ^ 丸山熊雄訳『ルイ十四世の世紀』岩波文庫
  25. ^ 安斎和雄訳『歴史哲学』法政大学出版局
  26. ^ 今西錦司『人類の誕生』河出書房、1969年、p38
  27. ^ H.J.エガース、田中琢・佐原真訳『考古学研究入門』岩波書店、1988年、p53
  28. ^ 八杉竜一『ダーウィンの生涯』岩波新書、1983年、p215





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