日月神示 その他エピソードなど

日月神示

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/02 15:31 UTC 版)

その他エピソードなど

  • 天明が知人である高田集蔵の誘いで、昭和19年6月10日に千葉県印旛郡公津村台方(現:成田市台方)を訪れたのはその近くに「どぶろく」を造っている家が在り、そこに行けば「どぶろく」を飲めるということが最初の理由だったらしい。当時は戦時中でもありには不自由していた時代であった。天明自身は酒がかなり好きだったといわれる。しかし、先方の都合で結局、酒は飲めなかったという[41]
  • 天之日津久神社に参拝し、自動書記も終えて無人の社務所で休んでいた時に籠を背負った農家風の老婆が現れ天明と親しくなり、社務所にあった御神酒を2人で平らげてしまったという。老婆はまるでここの主でもあるかのように、遠慮もなく酒瓶を持ち出して来て、天明に酒を飲むように勧めたという。その雰囲気は天明にお酌し勧めながら、そしてまた自分も共に飲むといった感じで、自然で上手だったと天明は後に語っている。その後も、上機嫌となった老婆は「私の家はこの近くだから案内する。何かとお話を伺いたい。」と天明を誘い、神社近くの老婆の裕福そうな家でたらふく御馳走になったという。
  • この2年後に天之日津久神社近くに天明は住むことになるが、この老婆にまず、挨拶しようと老婆の家を探したが家もなく老婆もおらず(天明の後の述懐によれば、そこに家があったと思われる痕跡すらなかったという)[42]、近所の人に聞いても分からず、浦島太郎になったような釈然としない不思議な気持ち(天明の言葉によれば、「今浦島のような気持ち」)だったという。
  • 岡本三典によると天明は神示が降ろされてからも、しばらくの間はそれを全くと言っていいほど読む事も出来ず内容も解らなかったため、下級霊の仕業に依るものだと思っていたらしい。そのために書記された原文も放って置いたり、中には捨ててしまったものさえあったという。神示の重要性を最初に気付き天明に知らせたのは、「大本」時代からの知り合いである「矢野新(矢野シン)」(海軍大佐の矢野祐太郎の妻)[43]だったと言われている。この矢野新は優れた霊能者であり天明から原文を見せられた時に、即座にその重大性を直感、認識し「これは正真正銘の太神様の御真筆ですよ」と顔色を変えて答えたという。
  • この後、矢野が呼びかけ幾人かの霊能者や神典研究家が集まり神示の解読を目的とした研究会が誕生[44]。神示は少しずつ解読されていったという。
  • 上記の矢野以外で早い時期(三典の著書では矢野が原文を見せられる前だった可能性が高い)に神示の重要性に気付いた、もう一人の人物が天明と同じく鳩森八幡神社で留守神主を務めていた「法元辰二(ほうがたつじ)」だったという。法元も大正天皇侍従武官まで務めた年配の(元)陸軍大佐であり、軍人達の中(特に陸軍内)に日月神示を知っている者が多かったのは、この法元という人間の存在が大きな理由のひとつだったと思われる。また、神示が散逸せずに無事に残ったのもこの法元のおかげであったと三典は自著で記している。
  • おそらく法元は八幡神社で勤務していた時に、天明が自動書記で神示を書かされる場面を垣間見たことがあり、その姿や雰囲気(多分、書記している時の天明の表情と書記されていく速度の猛烈な速さ)に大きく感銘を受け心を動かされたものと思われる。軍人でありながら留守神主の一人に任命されていることからも法元自身が、こうしたことを目の当たりにしても、それを冷静に観察し受け入れて認められるだけの相当な神道知識と素養(ある程度の霊能力も併せ持っていた可能性がある)を持っていたと考えられ、また、書記後の天明の別人のような神示の無雑作でぞんざいな扱いぶりを心配し、自身が神示の保存と保管に非常に心を配ったと考えられる。(元)陸軍大佐という立場にもあったため、陸軍内における発言力や影響力もある程度大きく、この神示の重大性を上層部や仲間の軍人達に報告、進言し神示が軍内に知られる大きなきっかけになったであろうことも同じく推測される。
  • その後に天明自身も神示の重要性に気付き書記されたものを清書したりしていたが、清書した神示のいくつかは、神前に供えていたところ霊化して消えてなくなってしまったという。(清書したものが消えて、原文は残っていたと思われる。)
  • 天明自身はもともと、かなりの小食家だったが神示が降りる前にはさらに少なくなり、1日に1個やリンゴ1個しか食べない日が続いたという。それでも本人は元気で気分は至って爽快だったらしい。
  • 神示の中で「天明は神示うつす役、書かす御役」(極め之巻第十帖)(参11)「天明は神示書かす御役ぞ、陰の役ぞ」(地つ巻第二十九帖)(参12)、また、「夜明けの巻」第十三帖でも「天明は神示書かす役ぞ。アホになれと申してあろが、まだまだぞ」などと書記されているが、神霊も天明に懸かるのが難しい時や苦労した場合もあったらしい。それに関して次のように神霊が述べている帖がある。「天明阿房(あほう)になりて呉れよ、我すてて呉れよ、神かかるのに苦しいぞ。」(地つ巻第十二帖)。「テンメイかいしん(改心)まだまだのまだであるぞ。」(黄金の巻第二十五帖)(参10)[45]
  • 国常立尊の姿については、「下つ巻」第三帖(参6)「この神のまことの姿見せてやる積りでありたが、人に見せると、びっくりして気を失ふもしれんから、石にほらせて見せておいたのにまだ気づかんから木の型をやったであろうがな、それが神の或る活動の時の姿であるぞ、神の見せ物にしてはならんぞ。」や「天つ巻」第四帖(参13)でも「この方は元の肉体のままに生き通しであるから、天明にも見せなんだのぞ。」また、「水の巻」第十帖(参19)でも「此の方の事何れ判りて来るぞ。今はまだ知らしてならん事ぞ。知らす時節近づいたぞ。」と書記されているが、天明自身も若い頃に所属していた「大本」の「出口王仁三郎」によると、その姿は光明に輝き、切れ長の深いまなじりに光をたたえた、「八握の神剣」を腰に帯刀した白髪の老神だったという。(出口和明『(実録 出口王仁三郎伝)大地の母3巻 地獄の釜』)(参14)。また、同じ「大本」の「出口なお」も霊夢で見た国常立尊の姿は純白の衣冠束帯で剣も白金の光芒を射放つ、眩いばかりの神だったという。(出口和明『(実録 出口王仁三郎伝)大地の母4巻 立春の光』)(参15)
  • 神示によると世の中が乱れたのは人間界(現界)からではなく、神界からなのだという。「んめの巻(梅の巻)」第十帖で(参16)「世は神界から乱れたのであるぞ、人間界から世建直して地の岩戸人間が開いて見せると云ふ程の気魄なくてならんのざぞ、その気魄幸はふのざぞ、岩戸ひらけるぞ。」、また「|三の巻(ウミの巻)」第十三帖でも「此の世を乱したのは神界から、此の世乱した者が、此の世を直さねばならんのざぞ、この道理判るであろがな、建直しの御用に使ふ身魂は此の世乱した神々様であるぞ。」と述べられ、人間界側からの努力が大切なのであると語られている。そして、「んめの巻(梅の巻)」第二十四帖では「人民も磨けば神に御意見される程に身魂に依ってはなれるのであるぞ、地の日月の神と栄えるのざぞ、何より身魂磨き結構。」とも書記させている。

  1. ^ 二日んの巻(ジシンの巻)は全19帖その全てが抽象的な絵のみで書記されている。
  2. ^ 平成19年現在、これらの13巻は未だ発表されていない。また、発表されている巻の中にも「星座の巻」第二十四帖のように未発表で欠帖の部分が有る。
  3. ^ 「|三の巻」(ウミの巻)第十五帖、「龍音の巻」第十二帖。
  4. ^ 東京の千駄ヶ谷に在った八幡神社(鳩森八幡神社)で氏子総代を務めていた高井是空が設立した日本古代史を研究していたグループ。東京の原宿にあり、科学畑の人物が多かったといわれる。
  5. ^ 霊媒に懸かった霊を判定する役割の人間。神の名を語る下級霊が懸かってくる場合も多いため、それらを見分ける幅広く深い霊的知識が必要とされる。
  6. ^ 天明を訪れた将校は「陸軍の一部ではこの神示をガリ版にして配っているほど有名で信用されているのだ。」と天明に語ったという。
  7. ^ 1879年明治12年)10月1日-1960年(昭和35年)10月10日岡山県生まれ。宗教家、思想家。社会主義、社会運動家の「九津見房子」は高田の元妻である。
  8. ^ 「天之日津久神社」が千葉県印旛郡公津村台方に在る事は扶乩実験後、数日後に実験の参加者の一人がいろいろ調べて天明に知らせたという。また、天明自身に自動書記が起こるようになってからも最初の頃は自分みたいなつまらぬ人間に懸かる神霊だからさして格の高い神だとは思っていなかったという。
  9. ^ 「上つ巻」第十四帖で「身魂の洗濯とは心の洗濯とは、魂ばかりの洗濯でないぞ」、また、「ア火ハの巻(アホバの巻)」第十五帖でも「ミタマとは身と霊であるぞ。」と述べられている。
  10. ^ 「天つ巻」第四帖で「今度は世界中、神神様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、そんなチヨロコイ事ではないのざぞ。」や「富士の巻」第二十帖でも「日本ばかりでないぞ、世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな、神にすがりて神の申す通りにするより外には道ないぞ。」と述べられている。
  11. ^ 「至恩之巻」第十三帖で「死ぬか生るかは人民ばかりでないぞ、神々様も森羅万象の悉く(ことごとく)が同様であるぞ、しばらくの生みの苦しみ。」と書記されている。また、「紫金之巻」第五帖でも「大地震、ヒ(火)の雨降らしての大洗濯であるから、一人のがれ(逃れ)ようとて、神でものがれることは出来んぞ、天地まぜまぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ」と語られている。
  12. ^ 「富士の巻」第二十帖で「臣民ばかりでないぞ、神々様さへ今度は無くなる方あるぞ。」や「松の巻」第二十二帖でも「世変りたら生命長くなるぞ。今迄上にあがりて楽してゐた守護神は大峠越せん事になるぞ。」と書記されている。
  13. ^ 「日の出の巻」第十三帖では「此れまでの仕組みや信仰は方便のものでありたぞ。今度は正味の信仰であるぞ、神に真直ぐに向ふのざぞ。日向と申してあろうがな。」と語っている。
  14. ^ いわゆる、この世とあの世を含めたすべての世界のことである。
  15. ^ 「ゑらぐ」は文法上の動詞で「楽しそうに笑う。楽しんで笑う。」の意味。
  16. ^ 腹一杯食べてはならん、死に行く道ぞ、二分を先づ神にささげよ。流行病は邪霊集団のしわざ、今にわからん病、世界中の病はげしくなるぞ。」(五葉之巻第十四帖)、「みなみな気つかん理、気つかん病になってゐるぞ。ツキモノがたらふく食べてゐることに気づかんのか。食物節すればツキモノ改心するぞ。」(冬の巻補帖)
  17. ^ 一般には聞きなれない名称だが、同じく第四帖で「陽霊人とは人民の中の悪人の如く、陰霊人とは善人の如き性をもってゐるぞ。」と語っている。
  18. ^ 「龍音之巻」第十帖で「肉体霊、外部霊、副守護霊などの想念は、時によって動物的、幽界的となるものであるから、それと同一波長の動物的霊が感応する、感応はするが肉体の内部までは入り込めない、しかし、感応の度が強ければ入ったと同様に見える状態となるのである。先祖霊も大体同様であるぞ。」と語っている。
  19. ^ 「二日んの巻(ジシンの巻)」第六帖で「地上人に於ても、その内的真実のものは額でのみ見得るものであって、目に見え、目にうつるものは、地上的約束下におかれ、映像された第二義的なものである。故に、地上人の肉眼に映じたままのものが霊界に存在するのでない」と述べられている。
  20. ^ 「龍音の巻」第十八帖で「正神には奇跡はない、奇跡ないことが大きな奇跡であるぞ、奇跡するものは亡びる。高級霊は態度が立派であるぞ。わかりたか。」と述べている。
  21. ^ 「龍音之巻」第六帖で「科学を馬鹿にしてはならん。幽界の霊であっても高度のものともなれば、神界の高級神霊と区別することが六ヶ敷しい(難しい)ぞ。」と述べている。
  22. ^ 「日の出の巻」第二十一帖でも「悪の大将の神憑は、神憑と分らんぞ、気つけて呉れよ」と述べられている。
  23. ^ 神懸りについては「磐戸(一八十)の巻」第九帖で「㋹(神)が誰にでも懸かりて、すぐ何でも出来ると思うていると思いが違うから気つけておくぞ。神懸かりに凝る(こる)とロクなことないからホドホド(程々)にしてくれよ。この道は中行く道と申してあろがな。」と述べられている。
  24. ^ 偶然の事については「星座之巻」第一帖でも「偶然と申すのは、宇宙世界、星の世界の必然からのものであって偶然ではないぞ。」とも述べられている。
  25. ^ 「二日んの巻(ジシンの巻)」第七帖で「地上には、地上の順序があり、法則がある。霊界には、霊界の順序があり、法則がある。霊界が、原因の世界であるからと云って、その秩序、法則を、そのまま地上にはうつし得ず、結果し得ないのである。また地上の約束を、そのまま霊界では行い得ない。しかし、これらの総ては大神の歓喜の中に存在するが故に、歓喜によって秩序され、法則され、統一されているのである。」と述べられている。
  26. ^ 天明の妻である岡本三典によると、最初にこのお告げが下った時は天明自身その理由が分からず「何か粗相がございましたらどうか、お許し下さい」と、ひたすらお詫びをし許しを請うたが、許しが出なかったのだという。3日目に遂に天明は覚悟を決め、神前にお供えの「」をわざと落としその責任を取るという形で自ら留守神主の職を辞して鳩森八幡神社を去った。この事件で正神主が不在の間、天明とともに留守を預かっていた正神主の家族全員は即死だったという。
  27. ^ 日月神示の原文には記号が多いが、この㋹はその中でも最も多く出てくる記号のひとつである。読み方としては神や光、身魂を磨いて神霊(高級神霊)がどっしりと鎮まった人間のことだとされる。また、真ん中で中心といった意味もあるとされる。ここでは日本のことを指していると考えられている。
  28. ^ 神示の中では随所に出てくるが、今後に到来する理想世界のことだと言われている。また、神の国、神の世とも書記されている。
  29. ^ 日月神示に先立って国常立尊が大本の「出口なお」に懸かって自動書記させたといわれる「大本神諭」でも、同様な事を述べている部分が有り、「天の巻」第1輯(集)、書記日、明治二十五年旧正月で「世界国々所々に、世の立替へを知らす神柱は、沢山現はれるぞよ。皆艮金神(うしとらこんじん)、国常立尊の仕組で、世界へ知らして在るぞよ。」と述べられている。
  30. ^ 同様なことは「一八(いは)の巻」第十帖でも「人民には見当取れん大きな大きな大望(たいもう)ざから、その型だけでよいからと申しているのぢゃ、型して下されよ。改心の見込みついたら、世の元からの生き神が、おのおのにタマ(魂)入れてやるから、力添え致してやるから、せめてそこまで磨いて下されよ。悪は伸びるのも早いが、枯れるのも早いぞ。いざとなればポキンぞ。花のまま枯れるのもあるぞ。」と述べられている。
  31. ^ 同様なことを述べている帖はいくつか有り、「 上つ巻」第二十一帖と「下つ巻」第四帖で「世の元の大神の仕組といふものは、神々にも分らん仕組であるぞ、この仕組分りてはならず分らねばならず、なかなかに六ヶ敷(むずかしい)仕組であるぞ、知らしてやりたいなれど、知らしてならん仕組ぞ。」「この仕組知らさなならず、知らしてならんし神もなかなかに苦しいぞ、世の元からの仕組ざから、いよいよ岩戸開く時来たぞ。」また、「日月の巻」第三十六帖でも「今度の愈々(いよいよ)の仕組は臣民の知りた事ではないぞ、神界の神々様にも判らん仕組ざから、兎や角申さずと、神の神示腹に入れて身魂磨いて素直に聞いてくれよ。それが第一等ざぞ。」などで語られている。
  32. ^ 「下つ巻」第十四帖で「早う身魂みがいてく呉れよ、みがけただけの神をつけて、天晴れ後の世に残る手柄立てさすぞ。小さいことはそれぞれの神にきいて呉れよ、一人ひとり、何でもききたいことは、病直すことも、それぞれの神がするから、サニワでお告げうけて呉れよ、この方の家来の神が知らせるから何でもきけよ。病も直してやるぞ、その神たよりたなら、身魂みがけただけの神徳あるぞ。この世始まってない今度の岩戸開きざから、これからがいよいよぞ。」と述べられている。
  33. ^ 「世は七度の大変りと知らしてあろう。」(黄金の巻第二十六帖)、「世はグルグルと七変り、改心の為世界の民皆、今度は引上げ一旦みなあるぞ。」(黄金の巻第七十一帖)、また、「世は七度の大変り、いよいよの段階に入ったら、何が何だか、われよしの人民にはいよいよ判らなくなり、あせればあせる程ふかみに落込むぞ。」(月光の巻第四十帖)とそれぞれ述べている。
  34. ^ 「松の巻」第八帖で「今度の建替は、此の世始まってない事であるから、戦ばかりで建替出来んぞ。世界隅々まで掃除するのであるから、どの家もどの家も、身魂も身魂も隅々まで生き神が改めるのざから、辛い人民沢山出来るぞ。」と述べられている。
  35. ^ 同様なことを「大本神諭」でも国常立尊が今までの立替について次のように述べている。「昔から立替は在りたなれど、臭い物に蓋をした様な事ばかりが仕(し)て有りたので根本からの動きの取れん立替は致して無いから、何に付けても大望であるぞよ。」(「天の巻」第1輯(集)。書記日、大正四年旧十二月二日)。
  36. ^ この「元のキの道」については、「んめの巻(梅の巻)」第二十一帖で「途中からの神は途中からの神、途中からの教は途中からの教、今度の御用は元のキの道ざぞ、世の元からの神でないと判らんぞ、出来はせんぞ、生れ赤児の心とは、途中からの心、教すっかり捨てて了へと云ふ事ざぞ。」と述べられている。また、「一八(いは)の巻」第二帖でも「この方等が天地自由にするのぢゃ。元のキの道にして、あたらしき、キの光の道つくるのぢゃ。あらたぬし(楽し)、世にするのぢゃと申してあること愈々(いよいよ)ざ、人民、臣民勇んでやりて下され。神々様守護神どの、勇め勇め。」と書記されている。
  37. ^ 神示には、この北の国はロシアであるとはっきり記されている。「日の出の巻」第七帖で「おろしやにあがりておりた極悪の悪神、愈々(いよいよ)㋹の国に攻め寄せて来るぞ。北に気つけと、北が愈々のキリギリざと申して執念(くどく)気つけてありた事近ふなりたぞ。」と書記されている。また、同じ第七帖で「ろしあの悪神の御活動と申すものは神々様にもこれは到底かなはん思ふ様に激しき御力ぞ。」と述べている。これ以外でも「北から来るぞ。神は気もない時から知らして置くから、よくこの神示、心にしめて居れよ。」(上つ巻第二十五帖)、「オロシアの悪神と申すは泥海の頃から生きてゐる悪の親神であるぞ。北に気つけて呉れよ。」(日の出の巻第二十帖)と書記され北(ロシア)からの攻撃があるらしい事が複数の帖で述べられている。
  38. ^ 一般的には「宵の明星」は金星を指すが、ここでは金星ではない他の未知の天体を指していると考えられる。「大本」の出口王仁三郎もその口述著書である霊界物語第1巻で「ミロクの世」の到来に先立って、前兆として未知の天体が出現して、世の人が驚嘆するらしい様子を次のように語っている。「天に王星の顕はれ、地上の学者知者の驚嘆する時こそ、天国の政治の地上に移され、仁愛神政の世(みろくの世、ミロクの世)に近づいた時なので、これがいはゆる三千世界の立替立直しの開始である。」(霊界物語 第1巻霊主体従 子の巻)で語り記させており、近未来にこの今まで未知であった天体が出現し誰の目にも目撃されるであろう事は、ほぼ確実だと思われる。また、「王星」という表現がされていることから巨大で極めて大きな特徴を持つ天体だと考えられる。
  39. ^ この「八のつく日」については「五葉之巻」第十二帖で「八のつく日に気つけてあろうが、八とはひらくことぞ。今が八から九に入る時ぞ、天も地も大岩戸ひらき、人民の岩戸ひらきに最も都合のよい時ぞ、天地の波にのればよいのぢゃ、楽し楽しで大峠越せるぞ、神は無理申さん、やればやれる時ぞ、ヘタをすると世界は泥の海、神々様も人民様も心の目ひらいて下されよ、新しき太陽は昇ってゐるでないか。」と述べられている。
  40. ^ 「上つ巻」第一帖で「日本はお土があかる、外国はお土がさかる。」と書記され外国の中には海に沈む所もあると述べている。
  41. ^ 天明はこの日を何より楽しみにしていた。天明はこの日は公休を取り、切符も手配し(当時は戦時中で切符を買うにも2日がかりだったという)、お弁当の「おにぎり」まで自分で作っていたほど酒が飲めることを心待ちにしていたという。しかし、こうした準備も全て終えた行く前日の夜になって高田が鳩森八幡神社の天明を訪れ、「先方から手紙が来て今回は待ってほしいと言ってきた(その手紙の文面は少し前に不意の来客があり「どぶろく」をふるまったために、2人に飲んでもらうだけの十分な量の「どぶろく」がなくなってしまったので、あと半月ほど待って欲しいとの内容だったという)」と今回の印旛郡公津村台方行きが急遽、中止、延期になった事を天明に告げたという。これを聞かされた天明はこの上もなく非常に残念だったと当時の心境を後に語っている。それでも結局行ったのは、この2か月前の扶乩(フーチ)実験の時に現れた神霊を祀る「天之日津久神社」がこの近くに在るという不思議な偶然さと、実験では神霊が出てきてくれたおかげで天明自身の面目が立ち、非常に助かった(そもそも、修史協翼会のメンバーに扶乩(フーチ)実験を行うことを提案したのは天明だった)ということで、この神霊に「御礼」と「感謝」の気持ちを伝えたいということで天明は1人で千葉県印旛郡公津村台方(現:成田市台方)に訪れた。なお、この話には後日談があり、この2年後に「天之日津久神社」の近くに移り住んだ天明は、しばらくしてから2年前に訪れる予定だった「どぶろく」を造っている家の主人の「小川源一郎」から「天明さん1人が飲むぐらいなら当時でも十分にあった。」と聞かされたという。なお、小川はこの当時、公津村の村長を務めており、地元では名士だったという。
  42. ^ 天明によるとその場所は本殿左側奥にある大杉を右手にして少し行った所だったという。しかし、挨拶しようと訪れた時には熊笹や雑草が茂っていて小径(小道)さえなく、家がそこに在ったとはとても思えないような場所だったという。
  43. ^ 1886年明治19年)-1972年昭和47年)。北海道小樽生まれ。
  44. ^ 「一二㋹(ひつくのかみ)奉讃会」。「一二神示拝読会」。
  45. ^ 「地つ巻」第二十一帖でも「臣民からは阿房(あほう)に見えても、素直な人には神がかかり易いのであるから、早う素直に致して呉れよ。」と述べている。






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