敦賀発電所
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発電設備
原子炉形式 | 主契約者 | 定格電気出力 | 定格熱出力 | 運転開始日 | 設備利用率 (2009年度) |
現況 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1号機 | 沸騰水型軽水炉 | GE | 35.7万kW | 107万kW | 1970年3月14日 | 30.5% | 廃炉(2015年4月27日[3]) |
2号機 | 加圧水型軽水炉 | 三菱重工業 | 116万kW | 342.3万kW | 1987年7月25日 | 91.6% | 定期点検中 |
3号機 | 改良型加圧水型軽水炉 | 三菱重工業 | 153.8万kW | 446.6万kW | 未定 | - | 建設準備中 |
4号機 |
3、4号機は、三菱重工業が世界で初めて開発する改良型加圧水型軽水炉が導入される予定。また、敦賀発電所で想定される地震の強さは800Gal、津波の高さは2.8m[4]。
各発電設備の売電割合は次の通り[5]。
- 1号機 - 関西電力:50%、中部電力:40%、北陸電力:10%
- 2号機 - 北陸電力:34%、関西電力・中部電力:各33%
敦賀1号炉と大阪万博
日本最古の軽水炉と知られる敦賀1号炉は大阪万博の開会式の日に営業運転を開始し、万博会場へ初送電したことでも知られる。開会式のときには「原子力の灯がこの万博会場へ届いた」とアナウンスされ日本の原子力へのパイオニアとなった[6]。これは日本とGEの技術者が万博へ原子力の灯を送りたいとの想いがあったとされる[7]。初臨界を達成したのち、スクラムなどの様々な試験を行った後、1970年の3月10日午前12時より連続100時間全力試運転を行い、3月14日午前4時に営業運転の条件である100時間全出力運転の目標を達成、大阪万博に間に合わせる形でそのまま営業運転に入った[8]。このとき、原発中の何人かの職員が中央制御室に集まり、目標達成したとき万歳三唱の後皆が涙を流したという[7]。
この後、また美浜発電所1号炉も追いかける形で8月に大阪万博へ電気を送った。8月8日に1万kW発電を行い、万博会場へ初の送電。このときも電光掲示板に「美浜発電所からの原子力の灯が会場に届いた」と表示、またアナウンスされ話題となっている。その後様々な試験を行い、11月に営業運転に入っている。
なお敦賀、美浜両機とも、沸騰水型(敦賀)、加圧水型(美浜)とそれぞれ炉形式上の日本最古の軽水炉となっていたが、敦賀の1号機は2015年4月27日に廃炉された。
リスク
敦賀発電所1、2号機の敷地内には破砕帯(古くもろい断層)が、少なくとも約160本存在する。また、活断層の浦底―柳ケ瀬山断層帯(浦底断層)が通っている[9]。また、2号機の真下にある亀裂も活断層である可能性があり、原子力安全・保安院は調査を求めた。なお、国の原子力発電所の耐震設計指針によると、活断層の真上に重要設備の設置は認められていない。すなわち、この亀裂が活断層と確定すれば、2号機は廃炉とされる可能性がある[10]。
2012年後半から敦賀原発の敷地の地層を調査していた原子力規制委員会の専門家チームは12月1日、浦底断層について「非常に活動的」との見方でほぼ一致した[11]。
2012年12月10日、原子力規制委員会の専門家調査団が原子炉直下にある断層(破砕帯)を活断層の可能性が高いと判定した、[12][13]。
2013年5月15日、原子力規制委員会の専門家調査団は2号機直下にある断層(破砕帯)は「活断層である」と断定する評価報告書を正式にまとめた。2号機は廃炉に向かう可能性が濃厚となった[14]。
2015年4月27日、1号機を運転停止し、法的に正式に廃止とする方針が発表された[3]
- ^ “原発40年制限:例外規定で形骸化も 「公正な検査を」”. 毎日新聞. (2012年1月6日). オリジナルの2012年1月8日時点におけるアーカイブ。 2016年8月9日閲覧。
- ^ 関電、美浜2基の廃炉決定 日本原電の敦賀1号機も - 日本経済新聞
- ^ a b c “老朽原発:4基が27日廃止…美浜原発など、40年ルール”. 毎日新聞. 2015年4月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月9日閲覧。
- ^ 『新潮45別冊 日本の原発』 - 新潮社(2011年) 46ページ記載。
- ^ 『北陸電力50年史』 - 北陸電力(2001年発行)
- ^ “用語解説「原子の灯」”. 原子力規制委員会. 2016年8月9日閲覧。
- ^ a b “9基の原発始動<3> 読売新聞が見つめた 福井50年”. 読売新聞福井支局. 2003年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月9日閲覧。
- ^ 発電諸事情
- ^ 中日新聞:敦賀の活断層 全原発で見直すべきだ:社説[リンク切れ] 中日新聞、2012-4-26
- ^ “敦賀原発の地下に活断層の可能性”. NHK. 2012年4月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月9日閲覧。
- ^ “敦賀原発活断層「非常に活動的」…規制委専門家”. 読売新聞. 2012年12月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月9日閲覧。
- ^ “敦賀発電所敷地内破砕帯の調査に関する有識者会合 評価会合”. 原子力規制委員会 (2012年12月10日). 2016年8月9日閲覧。
- ^ “敦賀原発 原子力規制委員長「現状では再稼働できず」”. 産経デジタル. 2013年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月9日閲覧。
- ^ 敦賀原発2号機直下、活断層と断定…廃炉濃厚に[リンク切れ]
- ^ “原子力安全年報 昭和58年版 付録 日本原子力発電株式会社敦賀発電所の放射性廃液漏洩事故について”. 原子力安全委員会. 2011年9月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月9日閲覧。
- ^ 敦賀発電所における放射性廃棄物処理施設からの放射性廃液漏洩事故の概要 (Report). 日本原子力研究開発機構. May 1998. 2020年4月25日閲覧。
- ^ 『原発国民世論 -世論調査に見る原子力意識の変遷-』 柴田鐵治、友清裕昭 ERC出版 1999年 ISBN 4900622168
- ^ 「事故隠し」については、『原発国民世論』の中で著者が「この敦賀原発事故は、終わってみれば「敦賀原発事故隠し事件」とでも呼んだ方が正確かも知れない」と厳しく批判している。なお、事故隠しについては原子力発電の事故隠し・データ改ざん一覧を参照のこと
- ^ 失敗事例 > 敦賀発電所2号機化学体積制御系配管からの一次冷却水漏えい
- ^ 失敗事例 > 敦賀発電所1号機動作不良制御棒22-23の点検に伴う原子炉停止について
- ^ 『原子力市民年鑑 2013』 - 七ツ森書館(2013年) 239ページ記載
- ^ 失敗事例 > 敦賀発電所1号機シュラウドサポートのひび割れについて
- ^ 失敗事例 > 敦賀2号機加圧器逃し弁管台溶接部からの漏洩事故
- ^ a b 2011年1月25日付朝日新聞37面
- ^ “敦賀原発2号機が運転停止へ 1次冷却水で放射能濃度上昇”. 産経新聞. (2011年5月2日). オリジナルの2011年5月4日時点におけるアーカイブ。 2016年8月9日閲覧。
- ^ “敦賀発電所2号機 1次冷却材中の放射能濃度の上昇について(原子炉手動停止について)” (PDF). 日本原子力発電 (2011年5月6日). 2016年8月9日閲覧。
- ^ “敦賀発電所2号機 排気筒ガスモニタの一時的な指示上昇について”. 日本原子力発電 (2011年5月9日). 2016年8月9日閲覧。
- ^ “敦賀2号、配管33カ所に穴 87年の稼働後、点検せず”. 共同通信. (2011年6月3日). オリジナルの2013年7月19日時点におけるアーカイブ。 2016年8月9日閲覧。
固有名詞の分類
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