戦史叢書
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巻目
巻番号 | 書名 | 執筆者名 | 発行年月 |
---|---|---|---|
1 | マレー進攻作戦 | 不破博 | 1966年(昭和41年)10月 |
2 | 比島攻略作戦 | 島貫武治、高山実 | 1966年(昭和41年)10月 |
3 | 蘭印攻略作戦 | 松木秀満 | 1967年(昭和42年)1月 |
4 | 一号作戦(1)河南の会戦 | 長尾正夫 | 1967年(昭和42年)3月 |
5 | ビルマ攻略作戦 | 不破博 | 1967年(昭和42年)5月 |
6 | 中部太平洋陸軍作戦(1)マリアナ玉砕まで | 福重博 | 1967年(昭和42年)7月 |
7 | 東部ニューギニア方面陸軍航空作戦 | 松田正雄 | 1967年(昭和42年)8月 |
8 | 大本営陸軍部(1)昭和十五年五月まで | 島貫武治 | 1967年(昭和42年)9月 |
9 | 陸軍軍需動員(1)計画編 | 高崎正男 | 1967年(昭和42年)10月 |
10 | ハワイ作戦 | 角田求士 | 1967年(昭和42年)12月 |
11 | 沖縄方面陸軍作戦 | 伊藤常男 | 1968年(昭和43年)1月 |
12 | マリアナ沖海戦 | 坂本金美 | 1968年(昭和43年)2月 |
13 | 中部太平洋陸軍作戦(2)ペリリュー・アンガウル・硫黄島 | 福重博、林之一 | 1968年(昭和43年)2月 |
14 | 南太平洋陸軍作戦(1)ポートモレスビー・ガ島初期作戦 | 近藤新治 | 1968年(昭和43年)3月 |
15 | インパール作戦 ビルマの防衛 | 不破博 | 1968年(昭和43年)4月 |
16 | 一号作戦(2)湖南の会戦 | 長尾正夫 | 1968年(昭和43年)5月 |
17 | 沖縄方面海軍作戦 | 川原利寿 | 1968年(昭和43年)7月 |
18 | 北支の治安戦(1) | 森松俊夫 | 1968年(昭和43年)8月 |
19 | 本土防空作戦 | 宮辻秀雄、栗田正忠 | 1968年(昭和43年)10月 |
20 | 大本営陸軍部(2)昭和十六年十二月まで | 島貫武治 | 1968年(昭和43年)11月 |
21 | 北東方面陸軍作戦(1)アッツの玉砕 | 幸村健一郎 | 1968年(昭和43年)12月 |
22 | 西部ニューギニア方面陸軍航空作戦 | 松田正雄 | 1969年(昭和44年)1月 |
23 | 豪北方面陸軍作戦 | 松木秀満 | 1969年(昭和44年)2月 |
24 | 比島・マレー方面海軍進攻作戦 | 名越有幸、角田求士 | 1969年(昭和44年)3月 |
25 | イラワジ会戦 ビルマ防衛の破綻 | 不破博 | 1969年(昭和44年)4月 |
26 | 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦 | 佐々木正雄 | 1969年(昭和44年)5月 |
27 | 関東軍(1)対ソ戦備・ノモンハン事件 | 西原征夫 | 1969年(昭和44年)7月 |
28 | 南太平洋陸軍作戦(2)ガダルカナル・ブナ作戦 | 近藤新治 | 1969年(昭和44年)7月 |
29 | 北東方面海軍作戦 | 坂本金美 | 1969年(昭和44年)8月 |
30 | 一号作戦(3)広西の会戦 | 長尾正夫 | 1969年(昭和44年)10月 |
31 | 海軍軍戦備(1)昭和十六年十一月まで | 末国正雄、高野庄平 | 1969年(昭和44年)11月 |
32 | シッタン・明号作戦 ビルマ戦線の崩壊と泰・仏印の防衛 | 不破博、栗田正忠 | 1969年(昭和44年)12月 |
33 | 陸軍軍需動員(2)実施編 | 高崎正男 | 1970年(昭和45年)1月 |
34 | 南方進攻陸軍航空作戦 | 岡本武義、堀川龍己 | 1970年(昭和45年)3月 |
35 | 大本営陸軍部(3)昭和十七年四月まで | 島貫武治 | 1970年(昭和45年)6月 |
36 | 沖縄・台湾・硫黄島方面陸軍航空作戦 | 三浦正治 | 1970年(昭和45年)7月 |
37 | 海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで | 吉松正博 | 1970年(昭和45年)8月 |
38 | 中部太平洋方面海軍作戦(1)昭和十七年五月まで | 佐藤百太郎 | 1970年(昭和45年)10月 |
39 | 大本営海軍部・聯合艦隊(4)第三段作戦前期 | 吉松吉彦 | 1970年(昭和45年)11月 |
40 | 南太平洋陸軍作戦(3)ムンダ・サラモア | 近藤新治 | 1970年(昭和45年)12月 |
41 | 捷号陸軍作戦(1)レイテ決戦 | 松木秀満 | 1970年(昭和45年)12月 |
42 | 昭和二十年の支那派遣軍(1)三月まで | 長尾正夫 | 1971年(昭和46年)2月 |
43 | ミッドウェー海戦 | 角田求士 | 1971年(昭和46年)3月 |
44 | 北東方面陸軍作戦(2)千島・樺太・北海道の防衛 | 川田久四郎 | 1971年(昭和46年)3月 |
45 | 大本営海軍部・聯合艦隊(6)第三段作戦後期 | 野村実 | 1971年(昭和46年)4月 |
46 | 海上護衛戦 | 岸野博光 | 1971年(昭和46年)5月 |
47 | 香港・長沙作戦 | 赤阪幸春 | 1971年(昭和46年)7月 |
48 | 比島捷号陸軍航空作戦 | 春成兼正 | 1971年(昭和46年)8月 |
49 | 南東方面海軍作戦(1)ガ島奪回作戦開始まで | 竹下高見 | 1971年(昭和46年)9月 |
50 | 北支の治安戦(2) | 森松俊夫 | 1971年(昭和46年)10月 |
51 | 本土決戦準備(1)関東の防衛 | 伊藤常男 | 1971年(昭和46年)11月 |
52 | 陸軍航空の軍備と運用(1)昭和十三年初期まで | 松田正雄 | 1971年(昭和46年)12月 |
53 | 満洲方面陸軍航空作戦 | 生田惇 | 1972年(昭和47年)2月 |
54 | 南西方面海軍作戦 第二段作戦以降 | 佐々木正雄 | 1972年(昭和47年)3月 |
55 | 昭和十七・八年の支那派遣軍 | 高山実 | 1972年(昭和47年)5月 |
56 | 海軍捷号作戦(2)フィリピン沖海戦 | 吉松正博 | 1972年(昭和47年)6月 |
57 | 本土決戦準備(2)九州の防衛 | 多比良長好 | 1972年(昭和47年)7月 |
58 | 南太平洋陸軍作戦(4)フィンシュハーヘン・ツルブ・タロキナ | 近藤新治 | 1972年(昭和47年)8月 |
59 | 大本営陸軍部(4)昭和十七年八月まで | 島貫武治 | 1972年(昭和47年)10月 |
60 | 捷号陸軍作戦(2)ルソン決戦 | 松木秀満 | 1972年(昭和47年)11月 |
61 | ビルマ・蘭印方面第三航空軍の作戦 | 岡本豊 | 1972年(昭和47年)12月 |
62 | 中部太平洋方面海軍作戦(2)昭和十七年六月以降 | 佐藤百太郎 | 1973年(昭和48年)2月 |
63 | 大本営陸軍部(5)昭和十七年十二月まで | 島貫武治、福重博 | 1973年(昭和48年)3月 |
64 | 昭和二十年の支那派遣軍(2)終戦まで | 長尾正夫 | 1973年(昭和48年)3月 |
65 | 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯(1) | 原四郎 | 1973年(昭和48年)5月 |
66 | 大本営陸軍部(6)昭和十八年六月まで | 今岡豊 | 1973年(昭和48年)6月 |
67 | 大本営陸軍部(7)昭和十八年十二月まで | 不破博 | 1973年(昭和48年)8月 |
68 | 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯(2) | 原四郎 | 1973年(昭和48年)9月 |
69 | 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯(3) | 原四郎 | 1973年(昭和48年)10月 |
70 | 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯(4) | 原四郎 | 1974年(昭和49年)5月 |
71 | 大本営海軍部・聯合艦隊(5)第三段作戦中期 | 杉本広安 | 1974年(昭和49年)3月 |
72 | 中国方面海軍作戦(1)昭和十三年四月まで | 市来俊男 | 1974年(昭和49年)3月 |
73 | 関東軍(2)関特演・終戦時の対ソ戦 | 西原征夫 | 1974年(昭和49年)6月 |
74 | 中国方面陸軍航空作戦 | 杉本清士、三浦正治 | 1974年(昭和49年)7月 |
75 | 大本営陸軍部(8)昭和十九年七月まで | 不破博 | 1974年(昭和49年)8月 |
76 | 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯(5) | 原四郎 | 1974年(昭和49年)8月 |
77 | 大本営海軍部・聯合艦隊(3)昭和十八年二月まで | 坂本金美 | 1974年(昭和49年)9月 |
78 | 陸軍航空の軍備と運用(2)昭和十七年前期まで | 松田正雄、生田惇 | 1974年(昭和49年)11月 |
79 | 中国方面海軍作戦(2)昭和十三年四月以降 | 後藤新八郎 | 1975年(昭和50年)1月 |
80 | 大本営海軍部・聯合艦隊(2)昭和十七年六月まで | 角田求士、西深志 | 1975年(昭和50年)2月 |
81 | 大本営陸軍部(9)昭和二十年一月まで | 高崎正男 | 1975年(昭和50年)2月 |
82 | 大本営陸軍部(10)昭和二十年八月まで | 幸村健一郎、福重博 | 1975年(昭和50年)3月 |
83 | 南東方面海軍作戦(2)ガ島撤収まで | 竹下高見 | 1975年(昭和50年)8月 |
84 | 南太平洋陸軍作戦(5)アイタペ・ブリアカ・ラバウル | 近藤新治 | 1975年(昭和50年)8月 |
85 | 本土方面海軍作戦 | 桑原茂樹、松谷安明、 一来俊男、小澤正利 |
1975年(昭和50年)6月 |
86 | 支那事変陸軍作戦(1)昭和十三年一月まで | 森松俊夫 | 1975年(昭和50年)7月 |
87 | 陸軍航空兵器の開発・生産・補給 | 名和田雄、高瀬七郎 | 1975年(昭和50年)8月 |
88 | 海軍軍戦備(2)開戦以後 | 高野庄平、末岡正雄 | 1975年(昭和50年)10月 |
89 | 支那事変陸軍作戦(2)昭和十四年九月まで | 伊藤常男 | 1976年(昭和51年)2月 |
90 | 支那事変陸軍作戦(3)昭和十六年十二月まで | 赤阪幸春、山下義之 | 1975年(昭和50年)11月 |
91 | 大本営海軍部・聯合艦隊(1)開戦まで | 野村実 | 1975年(昭和50年)12月 |
92 | 南西方面陸軍作戦 マレー・蘭印の防衛 | 多比良長好 | 1976年(昭和51年)1月 |
93 | 大本営海軍部・聯合艦隊(7)戦争最終期 | 吉松正博 | 1976年(昭和51年)3月 |
94 | 陸軍航空の軍備と運用(3)終戦まで | 松田正雄、生田惇 | 1976年(昭和51年)5月 |
95 | 海軍航空概史 | 角田求士(編纂) | 1976年(昭和51年)6月 |
96 | 南東方面海軍作戦(3)ガ島撤収後 | 野村実、竹下高見、 坂本金美、末国正雄、 後藤新八郎 |
1976年(昭和51年)8月 |
97 | 陸軍航空作戦基盤の建設運用 | 岸武、松田正雄、生田惇 | 1979年(昭和54年)4月 |
98 | 潜水艦史 | 坂本金美、森茂夫 | 1979年(昭和54年)6月 |
99 | 陸軍軍戦備 | 高崎正男 | 1979年(昭和54年)7月 |
100 | 大本営海軍部 大東亜戦争開戦経緯(1) | 内田一臣、末国正雄、中村悌次 | 1979年(昭和54年)8月 |
101 | 大本営海軍部 大東亜戦争開戦経緯(2) | 内田一臣、末国正雄、中村悌次 | 1979年(昭和54年)9月 |
102 | 陸海軍年表 付・兵器・兵語の解説 | 末国正雄、伊藤常男 | 1980年(昭和55年)1月 |
- ^ 宗像和広『戦記が語る日本陸軍』 p15
- ^ 『歴史学研究』1977年12月号P52、57
- ^ 「戦史部における戦史研究のあり方」P93
- ^ 福重博「「戦史叢書」編さん当時の思い出」P83-84
- ^ 「戦史部における戦史研究のあり方」P92
- ^ a b 福重博「「戦史叢書」編さん当時の思い出」P84
- ^ a b c 「戦史部における戦史研究のあり方」P75
- ^ a b 「戦史部における戦史研究のあり方」P78
- ^ a b 加賀谷貞司「「戦史叢書」刊行30 周年に寄せて」
- ^ 近藤新治(土門周平)「戦史部の回想」
- ^ 4 プロジェクト検討について(1)国際紛争史プロジェクト。『戦史研究年報 第13号(2010年3月)』P137-138
- ^ 「戦史部における戦史研究のあり方」P73
ただし自衛隊幹部の教育および研究の基礎資料に役立てるため、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東戦争は戦史が作成されている旨も座談会で指摘されている。 - ^ 「戦史部における戦史研究のあり方」P65
- ^ 波多野澄雄「市ヶ谷台の戦史部と戦史叢書」
- ^ a b 「「戦史叢書」全面改訂へ、新事実盛り電子版も」『読売新聞』2003年8月12日15時31分配信
- ^ 「3 平成21年度戦史史料編さんについて(3)戦史叢書のデジタル化」『戦史研究年報 第13号』(2010年3月)P137
- ^ 戸部良一 「「戦史叢書」との出会い」『戦史研究年報 第13号』(2010年3月)P102
- ^ 戸部良一 「「戦史叢書」との出会い」『戦史研究年報 第13号』(2010年3月)P101-102
- ^ Japanese army operations in the South Pacific Area 豪日研究プロジェクトウェブサイト
- ^ http://www.cortsstichtingen.nl/en/projects/senshi-sosho
- ^ 「戦史部における戦史研究のあり方」P74-75、82
- ^ 福重博も審議過程で事実の削除訂正があり、執筆者として納得できない点があった旨を指摘している
福重博「「戦史叢書」編さん当時の思い出」P84 - ^ 藤原は『海上護衛戦』を例に同名の大井篤の書籍の方が記述が「詳しく取り上げている」と述べている。
『歴史学研究』1977年12月P52 - ^ 藤原は兵器、経理、軍医の各部は「その存在すら忘れられているほど記述されていない」としている
- ^ 藤原は具体的例として、総力戦へ向かう各過程での動員数や、兵役法、その施行規則への言及、徴集の実態などが取り上げられていないことを挙げている
『歴史学研究』1977年12月P53 - ^ 藤原は具体例として「壮烈」「果敢」「白刃」「肉弾」等の表現を「戦時中の報告か新聞記事と見間違えるほど」と述べている。ただし、執筆者が原資料の記述に引きずられた可能性や、自衛隊教育と言う性格にも言及しており、また、藤原は書評の冒頭で旧軍の戦史に比べて無味乾燥さや形式主義が後退し、多面的で具体的な事実を記述している旨を評価していることを付記しておく。
『歴史学研究』1977年12月P51-P52 - ^ 藤原は『沖縄方面陸軍作戦』について、「一般島民の軍への協力」という項に8行しか充てておらず、被害数字には何ら言及がないことや、『本土防空作戦』でも空襲被害を経済安定本部や内務省の統計を挙げただけで済ませたことを例示している。
- ^ 『歴史学研究』1977年12月P53
- ^ 『歴史学研究』1977年12月号刊行当時に刊行されていた分が対象であり、当時刊行準備中であった補備6巻は含まれていない。記事中には96巻だけが列挙されている。
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