戦争と平和 (オペラ) 戦争と平和 (オペラ)の概要

戦争と平和 (オペラ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 16:08 UTC 版)

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概要

作曲当時に開始した独ソ戦と、原作に描かれるナポレオンのロシア侵攻を重ねあわせて書かれた[1]グランドオペラを思わせるスタイルの記念碑的な大作である[2][3]1941年に作曲がはじめられ、10年以上上演のための改訂を繰りかえしたにもかかわらずプロコフィエフの生前に完全な上演は行われなかったが、第二次世界大戦以降のオペラでレパートリーに残った数少ない作品の一つであり[4]、「プロコーフィエフのオペラの傑作[4]」「最も優れたソヴィエト・オペラの一つ[5]」と評される[注釈 1]

作曲、初演

複数の改訂が行われており、作曲者は計5つの稿を作成している。

一人目の妻であるリーナ(Lina)によると、プロコフィエフはソビエト連邦帰国前の1935年の時点ですでに『戦争と平和』をオペラ化する着想を抱いていた。1941年4月、二人目の妻であるミーラが『戦争と平和』を朗読するのを聞いていたプロコフィエフは、ナターシャが負傷したアンドレイのもとを訪れる場面(原作第3巻第3部、最終稿第12場)に触発され、各場面の構想を立てはじめた[4]

  • 第1稿……1941年6月にドイツがソ連へ侵攻したことで構想は急速に具体化し、8月から翌年の4月にかけ疎開先のナリチクトビリシで作曲が行われ、全11場からなる形(最終稿からエピグラフと第2、10場を欠く)で完成した。芸術問題委員会による審査[注釈 2]の結果すぐに第2稿が作られることになりこの稿は長らく演奏されずにいたが、2010年、リタ・マカリスター(Rita McAllister)による復元でグラスゴーにおいて初演された[7]
  • 第2稿……委員会からの意見では、作品の英雄的な面をさらに強調することと、声楽のスタイルをさらに抒情的にすることが求められていた[8]。そこでプロコフィエフは1943年にかけ、おなじアルマ=アタに滞在していたセルゲイ・エイゼンシュテインと相談しつつ改訂を進め、レチタティーヴォのかわりにアリオーソの配分を増やすとともに、エピグラフや終結部の合唱を追加し、さらにクトゥーゾフの性格をより英雄的にした[4]ボリショイ劇場で予定されていた初演は首席指揮者のサムイル・サモスードが辞職することになって中止され、1944年10月16日、モスクワ俳優クラブ(Moscow Actor's Club)においてピアノ伴奏による演奏会形式で初演が行われた[9]
  • 第3稿……プロコフィエフの擁護者だったサモスードがマールイ劇場芸術監督に就任したことで初演は現実的になったが、作品の規模が大きすぎたため、サモスードは作品をさらに長くして2夜に分けて上演することを提案し、最終稿における第2、10場が追加されてエピグラフと全13場の形となった。独立して1946年6月12日に初演された第1部は大成功をおさめ、翌1947年シーズンにかけて105回の上演を記録する[4]。しかし第2部はドレスリハーサルまで進んだ時点で「歴史的コンセプトの誤り」を理由に上演が差し止めとなった[10]
  • 第5稿……第4稿での削除部分をプロコフィエフはすべて復活させ、さらに新たな挿入をくわえて1952年に最終稿を完成させた[注釈 4]。この稿が初演されたのは作曲者の死後の1955年だったがこの際は多数のカットが行われ、初めてほぼ完全な形での演奏が行われたのは1959年12月15日のことだった[4]

音楽

第10場、クトゥーゾフのアリア冒頭

初稿の段階ではプロコフィエフのほかのオペラと同様にレチタティーヴォを重視した書きかたがとられ、「トルストイのスタイルと言語をそのまま保つように」[13]されていたが、改訂によって合唱の役割が増やされ、またアリオーソやアリアが多くなり、表情豊かで明解な旋律が大きな比重を持つこととなった[14][15]。この結果「彼はその狭い、オペラへの自然主義的な考えを克服しつつあった」と評される[16]こともあれば、「一種のアナクロニズムを出ない」作品とされる[2]こともある。

音楽的な構成については、さまざまなライトモティーフが全曲を通して用いられている[17]ほか、最後の2つの場では、それまでに登場した音楽が集中的に回想される[18]。ナターシャやアンドレイといった中心人物については、性格的なレチタティーヴォと旋律的なアリオーソ、管弦楽の効果を動員してその性格が生き生きと描かれている一方で、ナポレオンの陣営やドーロホフの書斎の場面では、プロコフィエフの初期のオペラを思わせる神経質なオスティナートやせわしないレチタティーヴォが用いられ対比が作られている[19]

また、スラヴ系オペラの特徴に従って本作では筋の緊密さが弱く場面が並列的に接続されている[注釈 5]が、それとともに、場面に応じて様々な様式を取りいれ[20]、ロシアオペラの伝統とみごとに共鳴するかたちで対比が活用されている[18]。第1部の音楽はピョートル・チャイコフスキーの「スペードの女王」や「エフゲニー・オネーギン」を思わせ[注釈 6]、第2部のいくつかの場面はモデスト・ムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」など歴史ものの系列につながっている[18][11]

個別の楽曲では、第10場のクトゥーゾフによるアリア[注釈 7]や、第2幕のワルツが親しまれている[21]


  1. ^ 『オックスフォードオペラ大事典』によると、ボリショイ劇場1842年以降オペラシーズンの幕開けにかならず「皇帝に捧げた命」を上演していたが、本作ははじめてその慣例を破る作品となった[6]
  2. ^ 1942年5月の試演を担当したのはアナトリー・ヴェデルニコフスヴャトスラフ・リヒテルだった[4]
  3. ^ プロコフィエフは本作を自分のもっとも代表的な、満を持した作品と考えており、ミラ・メンデリソンによれば、晩年には毎日のように上演の可能性について話していた[11]
  4. ^ 1958年に出版されている。
  5. ^ 第1部と第2部の分離についても指摘されるが、タラスキンは、第1部におけるナターシャ/アナトーリ/アンドレイ/ピエールと、第2部におけるロシア/フランス/人民/クトゥーゾフの関係が対応すると分析している[18]
  6. ^ マースは第2場の四拍子のポロネーズと、「スペードの女王」第2幕の四拍子のサラバンドとの関係を指摘している。また第5稿で追加された第1場の二重唱は、「スペードの女王」第1幕の二重唱でチャイコフスキーが用いたのと同じヴァシーリー・ジュコーフスキーの詩を取りあげている[11]
  7. ^ 映画「イワン雷帝」のため書かれた旋律が転用された。他にもオペラ内では、1937年に劇付随音楽として書かれたが演奏されなかった「エヴゲーニイ・オネーギン」の音楽も転用されている。
  8. ^ 新たな作品番号は与えられていない。
  1. ^ マース 2006, pp. 540.
  2. ^ a b 長木誠司 (2015). オペラの20世紀: 夢のまた夢へ. 平凡社. p. 307-311 
  3. ^ 田辺佐保子 (2002). “プロコフィエフ”. オペラ・ハンドブック 新版. 新書館. p. 50 
  4. ^ a b c d e f g h Taruskin 2006, pp. 384-387.
  5. ^ 伊藤 1995, p. 229.
  6. ^ ジョン・ウォラック、ユアン・ウエスト (1996). オックスフォードオペラ大事典. 大崎滋生、西原稔 監訳. 平凡社 
  7. ^ Ian MacKenzie (2010年1月29日). “Prokofiev's "War and Peace" original critical hit”. uk.reuters.com. 2018年5月25日閲覧。
  8. ^ マース 2006, pp. 541-543.
  9. ^ Nestyev 1961, p. 364.
  10. ^ マース 2006, pp. 509.
  11. ^ a b c マース 2006, pp. 544-545.
  12. ^ Richard, Taruskin (1992). “War and Peace”. In Sadie, Stanley. The New Grove dictionary of opera. 4. Macmillan. pp. 1103 
  13. ^ セルゲイ・プロコフィエフ (2010). プロコフィエフ: 自伝/随想集. 田代薫 訳. 音楽之友社. pp. 210-211 
  14. ^ マース 2006, pp. 541-542.
  15. ^ Nestyev 1961, p. 445-446.
  16. ^ Nestyev 1961, p. 446.
  17. ^ Nestyev 1961, p. 447-448.
  18. ^ a b c d Taruskin 2006, pp. 389-390.
  19. ^ Nestyev 1961, p. 451-452.
  20. ^ Nestyev 1961, p. 448-449.
  21. ^ 日本ロシア音楽家協会 (2006). ロシア音楽事典. 河合楽器製作所出版部. p. 191 
  22. ^ Taruskin 2006, pp. 383-384.
  23. ^ a b 永竹由幸『オペラ名曲百科 下』音楽之友社、1984年、438-445頁。
  24. ^ Taruskin 2006, pp. 388-389.
  25. ^ The Oxford Dictionary of Music (Sixth ed.). Oxford University Press. (2013). p. 905 
  26. ^ Christopher Palmer (1992). Prokofiev: Symphonic Suite from "War and Peace" etc (PDF). Philharmonia Orchestra, Neeme Järvi. Chandos. CHAN10538。


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