成田新幹線 運行計画

成田新幹線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/01 19:58 UTC 版)

運行計画

東京 - 成田空港間を速達型の列車で最速30分(最高時速250キロメートル、標準時速130キロメートル)[15]、千葉ニュータウン駅停車の各駅停車型の列車では35分で運転することが予定されていた。2018年現在、空港第2ビル駅までは東京駅から成田エクスプレスで50分、日暮里駅からスカイライナーで36分で、成田空港駅までは東京駅から成田エクスプレスで53分、日暮里駅からスカイライナーで38分で結んでいる[注 5]

列車編成は開業当初は荷物車1両を含んだ6両編成で運行し、将来は12両編成まで対応することを検討していた[15]

計画ルート

成田新幹線の路線計画は、線形が最急勾配15‰(一部19.8‰)で、最小曲線半径が基本4000メートル(地形上やむを得ない場合300メートル)となるよう、以下のルートが選定された[6]

東京駅

将来の新宿方面への延伸を考慮し、東海道本線鍛冶橋通りが交差する地点(東京駅 - 有楽町駅間のほぼ中間)の地下に、成田新幹線用の駅施設が計画された。国鉄により通路の一部が建設されたが、乗り場部分の実際の掘削工事には着手されないまま、1983年の工事凍結を迎えた[37][38]。予定していた地下空間は後にJR東日本により京葉線の駅施設の空間として転用され、プラットホームその他施設が新規に設計・建設された。建設済の通路は京葉線の乗り換え通路として転用された。

東京駅 - 越中島貨物駅付近

成田新幹線用に検討された用地を活用する形で京葉線が建設された[6]。このためこの区間のルートは現在の京葉線とほぼ同一である。ただし、用地を流用しただけであり、京葉線用のシールドトンネルは新規に掘られたものである。

越中島貨物駅付近 - 原木中山駅付近

総武本線越中島貨物駅の西側で地上に出て東方向へほぼ直進し、荒川を渡ったあたりから原木中山駅付近まで東京メトロ東西線に並行する予定であった。行徳駅付近の東西線にぴったり張り付くような線形とする記載もある[15]が、日本鉄道建設公団は千葉県に対して、成田新幹線は東西線に沿って高架で浦安町にはいり、東西線の南側50mを東進、京葉道路をまたぐと示している[39]。富川進・市川市長(当時)は、「新幹線は、東西線と並行に走るため、東西線と新幹線にはさまれた区画整理の土地は、騒音と振動公害に悩まされ買い手がなくなる[40]」とコメントしている。「成田新幹線の遺構」とも言われることがある東西線の市川市内の側道は、東西線建設にあわせて実施された区画整理によって作られたもの[41]であり、成田新幹線とは関係ない。

原木中山駅付近 - 武蔵野線交差部

武蔵野線交差部。橋脚が武蔵野線の線路や側道に対して斜めになっており、成田新幹線のルートに合わせていることが窺える。

原木中山駅の北側で東西線から少し離れ、現在の千葉県船橋市本郷町付近から中山競馬場の南東側まで長さ1.8kmの地下トンネルを通り、トンネルを抜けた直後に武蔵野線の高架下(行田)をくぐる予定であった[42]

原木中山駅付近
原木中山駅の北側にある真間川の両岸で用地買収が行われている。右岸の用地は以前、日本国有鉄道清算事業団の宿舎があったが、現在は民間企業のビルが建っている。左岸の用地は2008年時点で駐車場であったが、“工”字の境界標が今も残る[15]
武蔵野線交差部
武蔵野線西船橋 - 船橋法典間のほぼ中間の線路施設は、成田新幹線を下に通すことを考慮し、比較的スパンの長い鋼製の架道橋(小金線中山架道橋)が設けられている[15]。1973年にこの交差部で工事が行われているのを発見した反対派住民団体が抗議活動を行っている[7]

武蔵野線交差部 - 千葉ニュータウン駅付近

北東方向へほぼ一直線に進み、新京成電鉄新京成線三咲駅付近を通って現在の北総鉄道北総線小室駅千葉ニュータウン中央駅のほぼ中間で北総線に合流する予定であった[15]

千葉ニュータウン駅付近 - 印旛日本医大駅付近

千葉ニュータウン中央駅に隣接し、新幹線駅建設予定跡地が残る

千葉県が確保した鉄道用地を使用する予定であった。千葉県は千葉ニュータウンの造成工事の際、ニュータウンを東西に横断する複々線分の鉄道用地と北千葉道路の用地を確保し、当初の計画では新鎌ヶ谷 - 小室間で北総開発鉄道(現・北総鉄道北総線の第一種鉄道事業区間)と千葉県営鉄道北千葉線(未成線、2002年3月31日免許廃止)を並行して整備し、小室(実際は小室 - 千葉ニュータウン中央間のほぼ中間) - 印旛日本医大間では、成田新幹線と北千葉線(現・北総鉄道北総線の第二種鉄道事業区間)を並行して建設することになっていた[15]

北総鉄道北総線の北側に並行して、成田新幹線用の敷地が空き地のまま残っていたが、2017年(平成29年)に大規模太陽光発電所(ソーラーパネル)が10.5kmに渡って開設された[43]千葉ニュータウン中央駅に隣接して、成田新幹線の千葉ニュータウン駅(東京駅起点37.7km地点)が設けられる予定であった[42]

印旛日本医大駅付近 - 成田市土屋付近

印旛日本医大駅の北側から、現在の京成成田空港線成田高速鉄道アクセス)と、並走するようなルートをとる計画であった。印旛沼の東側(八代付近)には、車両基地(成田総合車両基地)の設置が予定されていた。現在の京成成田空港線成田湯川駅以東の単線にあたる区間は、成田新幹線では、ほぼ直線で土屋付近に到達する予定であった。

成田市土屋付近 - 成田空港駅

1983年(昭和58年)の工事凍結までに、成田市土屋地区から成田空港まで高架・地下トンネルによる路盤が完成している[注 6]。成田開港に千葉港からの航空燃料パイプラインの敷設が間に合わなかったため、1983年に完成するまで燃料中継基地が土屋地区に置かれ、市原鹿島からのジェット燃料輸送用の貨物列車の受け入れを行っていた(暫定輸送。土屋 - 成田空港間はパイプライン輸送)。パイプラインが稼働を開始して燃料輸送の役目を終えた後、施設はしばらくの間放置されていたが、1991年平成3年)に開業した成田空港高速鉄道線に転用された。

脚注


注釈

  1. ^ a b 鉄道アナリストの川島令三は、「七〇年代後半は新幹線=悪と言われていた時代だったんです。新幹線が公害の一番の攻撃対象だった。実際にはその後の技術改良で騒音は少なくなったんだけど、時代が悪かったとしか言いようがない。ただ、原因はもう一つあって、過激派というか左翼側の反対も大きかった。成田新幹線は成田空港の象徴。セットみたいなものなんです。政府としても空港を開港させるのがやっとで、新幹線までは手が回らなかった」と述べている[8][信頼性要検証]
  2. ^ ただし、友納はその後の著書でも高速鉄道の必要性を認めており、知事在任中に国鉄副総裁であった磯崎叡から「成田空港が開港になれば、遠くて時間のかかることを政治家が必ず指摘すると思うので、そのときに新高速の話をもち出さないとうまくいかないと思う。官僚があまり早く打ち出すと失敗します」と言われたとしている。友納は日本航空が開発していた吸引式リニアモーターカー(HSST)に先見性があったとして、「国内線の羽田空港と、国際線の成田空港を結ぶリニアモーターカーを早く実現させるべく努力しなければならないと思うものである」と述べている[10]
  3. ^ 上告審では棄却。最高裁はここで運輸省による鉄建公団に対する認可を行政体間でなされる内部的な行為と認定することにより取消訴訟の対象には当たらないと判示しており、行政法における重要判例となっている[14]
  4. ^ 厳密には現在の京葉線乗換通路のみ。詳細は#東京駅を参照。
  5. ^ いずれも最速所要時間。
  6. ^ トンネル工事では、日本国土開発が開発したプレライニングサポート工法が初めて採用された[44]

出典

  1. ^ a b c 安藤 2008, pp. 68–73.
  2. ^ a b c d e 菊池 1989, p. 18469.
  3. ^ 西田 1970, p. 6775.
  4. ^ a b c 中井 1974, p. 9651.
  5. ^ a b 中井 1974, p. 9652.
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 交通協力会 2015, pp. 348–350
  7. ^ a b c 『千葉県の民主運動 : いのちとくらしを守る県民の運動の記録 (1970年代から80年代へ)』千葉県自治体問題研究所、1982年6月23日、138-144頁。 
  8. ^ 安藤 2008, p. 71.
  9. ^ 友納武人『望雲』千葉日報社、1974年5月、116-118頁。 
  10. ^ 友納武人『疾風怒濤 : 県政二十年のあゆみ』社会保険新報社、東京、1981年10月、214-215頁。doi:10.11501/9773996OCLC 673358043 
  11. ^ 参議院会議録情報 第080回国会 交通安全対策特別委員会 第6号”. 国会会議録検索システム (1977年5月11日). 2018年10月3日閲覧。
  12. ^ a b c d e f g h i j 岸田法眼 (2021年10月15日). “幻の「成田新幹線」、その波瀾万丈の歴史とは”. ダイヤモンド・オンライン. 2021年12月6日閲覧。
  13. ^ 千葉市中央図書館 (2017年6月23日). “千葉市中央112”. レファレンス協同データベース. 国立国会図書館. 2022年5月1日閲覧。 “・「新幹線50年史」348ページから成田新幹線の概略が書かれている。昭和47年4月に江戸川区、四つの土地区画整理組合及び土地所有者8名から国に対し認可取り消しを求める訴訟が行われたことが書かれている。”
  14. ^ 芝池義一『行政法読本』(第4版)、2016年。ISBN 978-4-641-13194-1OCLC 945626591 
  15. ^ a b c d e f g h i 草町 2008.
  16. ^ 昭和47(行ウ)52”. 裁判所. 2022年5月1日閲覧。
  17. ^ 昭和47(行コ)95”. 裁判所. 2021年9月3日閲覧。
  18. ^ 昭和49(行ツ)8”. 裁判所. 2021年9月3日閲覧。
  19. ^ 開業までの道のり”. www.nra36.co.jp. 成田高速鉄道アクセス. 2019年1月16日閲覧。
  20. ^ a b c 杉山淳一 (2008年11月7日). “どうなる、こうなる首都圏の鉄道網--(最終回)成田新線・新交通編”. Business Media 誠. https://www.itmedia.co.jp/makoto/articles/0811/07/news125.html 2017年4月21日閲覧。 
  21. ^ 鉄道ピクトリアル』1975年8月号、電気車研究会
  22. ^ 『鉄道ピクトリアル』1976年10月号、電気車研究会
  23. ^ 『鉄道ピクトリアル』1977年9月号、電気車研究会
  24. ^ e-Gov法令検索) (1986年12月4日). “日本国有鉄道改革法”. 2018年10月1日閲覧。 第24条第1項第2号
  25. ^ 日本国有鉄道改革法等施行法 抄”. e-Gov法令検索 (1986年12月4日). 2018年10月1日閲覧。 附則第32条第2項
  26. ^ 小倉 1994, p. 22220.
  27. ^ 斉藤 1964, p. 3505.
  28. ^ 御船 et al. 1994, p. 22769.
  29. ^ a b c 山本博之 1982, p. 14347.
  30. ^ 浅野 1998, p. 50.
  31. ^ 成田新幹線の建設工事として施行した空港駅施設等について | 昭和57年度決算検査報告”. report.jbaudit.go.jp. 会計検査院. 2021年12月6日閲覧。
  32. ^ 鉄道ジャーナル』第21巻第1号、鉄道ジャーナル社、1987年1月、121頁。 
  33. ^ 第107回国会 参議院 本会議 第7号 昭和61年10月29日”. 国会会議録検索システム. 国立国会図書館. 2020年7月8日閲覧。 “確かに国鉄が資本費を負担することを前提として鉄建公団が建設を進めてまいりました鉄道施設の中には、成田新幹線や京葉線の一部の区間などのように、社会経済情勢の大幅な変化などにより工事を凍結しておるものがあります。これらの鉄道施設の建設をもしそのまま継続するとすれば、これが将来さらに大幅な経営収支の悪化をもたらすことは予想されることでありまして、このようなことから、これらの鉄道施設については工事凍結はやむを得ないものと考えておりまして、工事の再開、継続は困難と考えております。これらの施設に係る債務については、再建監理委員会の『意見』に沿いまして、施設とともに清算事業団が承継し、事業団によって処理することと考えております”
  34. ^ a b 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』1970年8月号
  35. ^ 鉄道ジャーナル社『鉄道ジャーナル』1978年4月号
  36. ^ a b 小林拓矢 (2018年5月13日). “東京駅の「京葉線ホーム」があんなに遠いワケ”. 東洋経済オンライン. 2022年5月1日閲覧。
  37. ^ 草町 2011, pp. 23–27.
  38. ^ 『週刊鉄道データファイル』 デアゴスティーニ・ジャパン File8-064 「鉄道の歴史 北陸新幹線東京駅改良工事完成」
  39. ^ 『朝日新聞』 (1972年2月4日). “成田新幹線 広まる反対の声 浦安、市川、船橋でも”
  40. ^ 『サンケイ新聞』 (1972年5月4日). “大詰め迎えた成田新幹線 沿線市町長 近く県に建設中止を要請”
  41. ^ 『記念誌 区画整理のあゆみ』  市川市南行徳第二土地区画整理組合 1974年
  42. ^ a b 白土 1996, p. 310.
  43. ^ 幻の成田新幹線「日本最長」メガソーラーに…千葉ニュータウンで開所式”. レスポンス(Response.jp) (2017年7月18日). 2022年5月2日閲覧。
  44. ^ 日本国土開発株式会社 (1981). 三十年の歩み -躍進の10年-. ダイアモンド社. p. 153 


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