成田新幹線
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参考文献
書籍
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雑誌記事
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注釈
- ^ a b 鉄道アナリストの川島令三は、「七〇年代後半は新幹線=悪と言われていた時代だったんです。新幹線が公害の一番の攻撃対象だった。実際にはその後の技術改良で騒音は少なくなったんだけど、時代が悪かったとしか言いようがない。ただ、原因はもう一つあって、過激派というか左翼側の反対も大きかった。成田新幹線は成田空港の象徴。セットみたいなものなんです。政府としても空港を開港させるのがやっとで、新幹線までは手が回らなかった」と述べている[8][信頼性要検証]。
- ^ ただし、友納はその後の著書でも高速鉄道の必要性を認めており、知事在任中に国鉄副総裁であった磯崎叡から「成田空港が開港になれば、遠くて時間のかかることを政治家が必ず指摘すると思うので、そのときに新高速の話をもち出さないとうまくいかないと思う。官僚があまり早く打ち出すと失敗します」と言われたとしている。友納は日本航空が開発していた吸引式リニアモーターカー(HSST)に先見性があったとして、「国内線の羽田空港と、国際線の成田空港を結ぶリニアモーターカーを早く実現させるべく努力しなければならないと思うものである」と述べている[10]。
- ^ 上告審では棄却。最高裁はここで運輸省による鉄建公団に対する認可を行政体間でなされる内部的な行為と認定することにより取消訴訟の対象には当たらないと判示しており、行政法における重要判例となっている[14]。
- ^ 厳密には現在の京葉線乗換通路のみ。詳細は#東京駅を参照。
- ^ いずれも最速所要時間。
- ^ トンネル工事では、日本国土開発が開発したプレライニングサポート工法が初めて採用された[44]。
出典
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- ^ 安藤 2008, p. 71.
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- ^ 芝池義一『行政法読本』(第4版)、2016年。ISBN 978-4-641-13194-1。OCLC 945626591。
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- ^ a b 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』1970年8月号
- ^ 鉄道ジャーナル社『鉄道ジャーナル』1978年4月号
- ^ a b 小林拓矢 (2018年5月13日). “東京駅の「京葉線ホーム」があんなに遠いワケ”. 東洋経済オンライン. 2022年5月1日閲覧。
- ^ 草町 2011, pp. 23–27.
- ^ 『週刊鉄道データファイル』 デアゴスティーニ・ジャパン File8-064 「鉄道の歴史 北陸新幹線東京駅改良工事完成」
- ^ 『朝日新聞』 (1972年2月4日). “成田新幹線 広まる反対の声 浦安、市川、船橋でも”
- ^ 『サンケイ新聞』 (1972年5月4日). “大詰め迎えた成田新幹線 沿線市町長 近く県に建設中止を要請”
- ^ 『記念誌 区画整理のあゆみ』 市川市南行徳第二土地区画整理組合 1974年
- ^ a b 白土 1996, p. 310.
- ^ “幻の成田新幹線「日本最長」メガソーラーに…千葉ニュータウンで開所式”. レスポンス(Response.jp) (2017年7月18日). 2022年5月2日閲覧。
- ^ 日本国土開発株式会社 (1981). 三十年の歩み -躍進の10年-. ダイアモンド社. p. 153
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