成田新幹線 参考文献

成田新幹線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/01 19:58 UTC 版)

参考文献

書籍

  • 日本国有鉄道、日本鉄道建設公団[編] 編『成田新幹線調査報告書 : 東京・成田間』日本国有鉄道、1971年。 NCID BA60644275 
  • 安藤健二『封印されたミッキーマウス : 美少女ゲームから核兵器まで抹殺された12のエピソード』洋泉社、2008年5月22日。ISBN 9784862482617 [信頼性要検証]
  • 浅野明彦『鉄道考古学を歩く : 古レールから成田新幹線まで、遺跡・遺物が語る鉄道物語』JTB〈JTBキャンブックス〉、1998年4月。ISBN 4533029760 
  • 草町義和『鉄道未完成路線を往く : 生まれなかった幻の鉄道路線』講談社ビーシー、講談社 (発売)、2011年8月。ISBN 9784062171311 
  • 白土貞夫『ちばの鉄道一世紀』崙書房出版、1996年7月。ISBN 4845510278 
  • 『新幹線50年史』交通協力会、2015年。ISBN 978-4-330-56715-0OCLC 909331154 

雑誌記事

  • 小倉迪郎「国鉄清算事業団の基盤整備事業の経過と現況」『JREA』第37巻第1号、日本鉄道技術協会、1994年1月、22214-22220頁、ISSN 04472322 
  • 菊池正「成田空港アクセス鉄道について」『JREA』第32巻第5号、日本鉄道技術協会、1989年5月、18468-18471頁、ISSN 04472322 
  • 草町義和「幻の成田新幹線をたどる」『鉄道ファン』第568号、交友社、2008年8月、110-117頁。 
  • 斉藤俊彦「日本鉄道建設公団発足す」『JREA』第7巻第7号、日本鉄道技術協会、1964年7月、3505-3507頁、ISSN 04472322 
  • 中井善人「全国新幹線鉄道網の建設」『JREA』第17巻第1号、日本鉄道技術協会、1974年1月、9650-9654頁、ISSN 04472322 
  • 西田正之「新幹線網の計画」『JREA』第13巻第4号、日本鉄道技術協会、1970年4月、6775-6779頁、ISSN 04472322 
  • 御船直人、由川透、吉田孝登志、五十嵐晃「新幹線30年の歩み」『JREA』第37巻第10号、日本鉄道技術協会、1994年10月、22768-22782頁、ISSN 04472322 
  • 延原陽「成田新幹線の建設計画」『電気車の科学』第25巻第4号、電気車研究会、1972年4月、36-37頁。 
  • 内藤清治「成田新幹線の計画」『東工』第25巻第1号、日本国有鉄道第一東京工事局、1974年3月、41-55頁。 
  • 山本博之「設計」『JREA』第22巻第6号、日本鉄道技術協会、1982年6月、14347-14349頁、ISSN 04472322 

注釈

  1. ^ a b 鉄道アナリストの川島令三は、「七〇年代後半は新幹線=悪と言われていた時代だったんです。新幹線が公害の一番の攻撃対象だった。実際にはその後の技術改良で騒音は少なくなったんだけど、時代が悪かったとしか言いようがない。ただ、原因はもう一つあって、過激派というか左翼側の反対も大きかった。成田新幹線は成田空港の象徴。セットみたいなものなんです。政府としても空港を開港させるのがやっとで、新幹線までは手が回らなかった」と述べている[8][信頼性要検証]
  2. ^ ただし、友納はその後の著書でも高速鉄道の必要性を認めており、知事在任中に国鉄副総裁であった磯崎叡から「成田空港が開港になれば、遠くて時間のかかることを政治家が必ず指摘すると思うので、そのときに新高速の話をもち出さないとうまくいかないと思う。官僚があまり早く打ち出すと失敗します」と言われたとしている。友納は日本航空が開発していた吸引式リニアモーターカー(HSST)に先見性があったとして、「国内線の羽田空港と、国際線の成田空港を結ぶリニアモーターカーを早く実現させるべく努力しなければならないと思うものである」と述べている[10]
  3. ^ 上告審では棄却。最高裁はここで運輸省による鉄建公団に対する認可を行政体間でなされる内部的な行為と認定することにより取消訴訟の対象には当たらないと判示しており、行政法における重要判例となっている[14]
  4. ^ 厳密には現在の京葉線乗換通路のみ。詳細は#東京駅を参照。
  5. ^ いずれも最速所要時間。
  6. ^ トンネル工事では、日本国土開発が開発したプレライニングサポート工法が初めて採用された[44]

出典

  1. ^ a b c 安藤 2008, pp. 68–73.
  2. ^ a b c d e 菊池 1989, p. 18469.
  3. ^ 西田 1970, p. 6775.
  4. ^ a b c 中井 1974, p. 9651.
  5. ^ a b 中井 1974, p. 9652.
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 交通協力会 2015, pp. 348–350
  7. ^ a b c 『千葉県の民主運動 : いのちとくらしを守る県民の運動の記録 (1970年代から80年代へ)』千葉県自治体問題研究所、1982年6月23日、138-144頁。 
  8. ^ 安藤 2008, p. 71.
  9. ^ 友納武人『望雲』千葉日報社、1974年5月、116-118頁。 
  10. ^ 友納武人『疾風怒濤 : 県政二十年のあゆみ』社会保険新報社、東京、1981年10月、214-215頁。doi:10.11501/9773996OCLC 673358043 
  11. ^ 参議院会議録情報 第080回国会 交通安全対策特別委員会 第6号”. 国会会議録検索システム (1977年5月11日). 2018年10月3日閲覧。
  12. ^ a b c d e f g h i j 岸田法眼 (2021年10月15日). “幻の「成田新幹線」、その波瀾万丈の歴史とは”. ダイヤモンド・オンライン. 2021年12月6日閲覧。
  13. ^ 千葉市中央図書館 (2017年6月23日). “千葉市中央112”. レファレンス協同データベース. 国立国会図書館. 2022年5月1日閲覧。 “・「新幹線50年史」348ページから成田新幹線の概略が書かれている。昭和47年4月に江戸川区、四つの土地区画整理組合及び土地所有者8名から国に対し認可取り消しを求める訴訟が行われたことが書かれている。”
  14. ^ 芝池義一『行政法読本』(第4版)、2016年。ISBN 978-4-641-13194-1OCLC 945626591 
  15. ^ a b c d e f g h i 草町 2008.
  16. ^ 昭和47(行ウ)52”. 裁判所. 2022年5月1日閲覧。
  17. ^ 昭和47(行コ)95”. 裁判所. 2021年9月3日閲覧。
  18. ^ 昭和49(行ツ)8”. 裁判所. 2021年9月3日閲覧。
  19. ^ 開業までの道のり”. www.nra36.co.jp. 成田高速鉄道アクセス. 2019年1月16日閲覧。
  20. ^ a b c 杉山淳一 (2008年11月7日). “どうなる、こうなる首都圏の鉄道網--(最終回)成田新線・新交通編”. Business Media 誠. https://www.itmedia.co.jp/makoto/articles/0811/07/news125.html 2017年4月21日閲覧。 
  21. ^ 鉄道ピクトリアル』1975年8月号、電気車研究会
  22. ^ 『鉄道ピクトリアル』1976年10月号、電気車研究会
  23. ^ 『鉄道ピクトリアル』1977年9月号、電気車研究会
  24. ^ e-Gov法令検索) (1986年12月4日). “日本国有鉄道改革法”. 2018年10月1日閲覧。 第24条第1項第2号
  25. ^ 日本国有鉄道改革法等施行法 抄”. e-Gov法令検索 (1986年12月4日). 2018年10月1日閲覧。 附則第32条第2項
  26. ^ 小倉 1994, p. 22220.
  27. ^ 斉藤 1964, p. 3505.
  28. ^ 御船 et al. 1994, p. 22769.
  29. ^ a b c 山本博之 1982, p. 14347.
  30. ^ 浅野 1998, p. 50.
  31. ^ 成田新幹線の建設工事として施行した空港駅施設等について | 昭和57年度決算検査報告”. report.jbaudit.go.jp. 会計検査院. 2021年12月6日閲覧。
  32. ^ 鉄道ジャーナル』第21巻第1号、鉄道ジャーナル社、1987年1月、121頁。 
  33. ^ 第107回国会 参議院 本会議 第7号 昭和61年10月29日”. 国会会議録検索システム. 国立国会図書館. 2020年7月8日閲覧。 “確かに国鉄が資本費を負担することを前提として鉄建公団が建設を進めてまいりました鉄道施設の中には、成田新幹線や京葉線の一部の区間などのように、社会経済情勢の大幅な変化などにより工事を凍結しておるものがあります。これらの鉄道施設の建設をもしそのまま継続するとすれば、これが将来さらに大幅な経営収支の悪化をもたらすことは予想されることでありまして、このようなことから、これらの鉄道施設については工事凍結はやむを得ないものと考えておりまして、工事の再開、継続は困難と考えております。これらの施設に係る債務については、再建監理委員会の『意見』に沿いまして、施設とともに清算事業団が承継し、事業団によって処理することと考えております”
  34. ^ a b 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』1970年8月号
  35. ^ 鉄道ジャーナル社『鉄道ジャーナル』1978年4月号
  36. ^ a b 小林拓矢 (2018年5月13日). “東京駅の「京葉線ホーム」があんなに遠いワケ”. 東洋経済オンライン. 2022年5月1日閲覧。
  37. ^ 草町 2011, pp. 23–27.
  38. ^ 『週刊鉄道データファイル』 デアゴスティーニ・ジャパン File8-064 「鉄道の歴史 北陸新幹線東京駅改良工事完成」
  39. ^ 『朝日新聞』 (1972年2月4日). “成田新幹線 広まる反対の声 浦安、市川、船橋でも”
  40. ^ 『サンケイ新聞』 (1972年5月4日). “大詰め迎えた成田新幹線 沿線市町長 近く県に建設中止を要請”
  41. ^ 『記念誌 区画整理のあゆみ』  市川市南行徳第二土地区画整理組合 1974年
  42. ^ a b 白土 1996, p. 310.
  43. ^ 幻の成田新幹線「日本最長」メガソーラーに…千葉ニュータウンで開所式”. レスポンス(Response.jp) (2017年7月18日). 2022年5月2日閲覧。
  44. ^ 日本国土開発株式会社 (1981). 三十年の歩み -躍進の10年-. ダイアモンド社. p. 153 


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