忌部色夫知 忌部色夫知の概要

忌部色夫知

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/26 05:10 UTC 版)

 
忌部色夫知
時代 飛鳥時代
生誕 不明
死没 大宝元年6月2日701年7月11日
別名 色弗、色布知
官位 正五位上従四位上
主君 天武天皇持統天皇文武天皇
氏族 忌部宿禰
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672年壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)の側についた。690年持統天皇が即位する儀式で神璽の剣と鏡を差し出す役を務めた。

経歴

日本書紀』の壬申の乱のくだりに兄・子人の活動が記されるものの、色夫知の名は見えないが、死亡記事から色夫知も何かの活躍をしたことが知れる。

天武天皇9年(680年)忌部首(忌部子人)に連姓が与えられた。首は弟の色弗と共に喜び、天皇を拝した[1]。天武天皇13年(684年八色の姓の制定に伴い、忌部連など連姓の50氏族が宿禰姓を与えられた[2]

持統天皇4年(690年皇后として称制していた鸕野讚良皇女が即位した(持統天皇)際、物部麻呂(石上麻呂)が大盾をたて、中臣大島が天神寿詞を読み、その後に忌部色夫知が神璽上奏した[3]

大宝元年(701年)6月2日卒去。最終位階は正五位上であった。があって、壬申の乱における功労により従四位上の贈位がなされた。

脚注

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参考文献


  1. ^ 『日本書紀』天武天皇9年正月8日条
  2. ^ 『日本書紀』天武天皇13年12月2日条
  3. ^ 『日本書紀』持統天皇4年正月1日条


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