彦根藩 歴代藩主井伊家

彦根藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/17 03:48 UTC 版)

歴代藩主井伊家

譜代 18万石→15万石→20万石→25万石→30万石(35万石格)→20万石→23万石(1600年 - 1871年)
  1. 直政 18万石
  2. 直継 →安中藩へ (歴代に数えない場合も多い)。
  3. 直孝 15万石→20万石→25万石→30万石(35万石格)
  4. 直澄
  5. 直興
  6. 直通
  7. 直恒
  8. 直治のち直該 5代・直興が再封
  9. 直惟
  10. 直定
  11. 直禔
  12. 直定
  13. 直幸
  14. 直中
  15. 直亮
  16. 直弼
  17. 直憲 30万石→20万石→23万石

諸説ある歴代の数え方

『新修彦根市史2巻 通史編近世』(2008年)66頁では、井伊直継を2代藩主としている。しかし、直継は安中藩初代であることから、それまで慣習的に彦根藩主には数えてこなかった。そのため、彦根城博物館では、「当主」という表現を使い、直継を数えない代数を使っている(例;井伊直弼 13代当主)[3]

彦根新田藩

彦根新田藩(ひこねしんでんはん)は、江戸時代中期の正徳4年(1714年)より享保19年(1734年)まで存した彦根藩の支藩である。直興の十四男・直定が1万石を分与され立藩した。享保17年(1732年)、直定は奏者番に就任している。直定が兄で9代藩主の直惟の養嗣子となったため廃藩となった。直定はその後、彦根藩の10代・12代(再封)藩主となっている。

家臣

  • 実線は実子、点線は養子、太字は当主。

幕末の領地

上記のほか、明治維新後に千島国択捉郡および日高国沙流郡の一部を管轄した。また、蒲生郡7村、神崎郡1村(以上は大津県に編入)、愛知郡21村(うち11村を大津県に編入)、坂田郡5村、浅井郡24村(うち19村を朝日山藩に編入)、伊香郡13村(大津県に編入)の幕府領を預かり、他の藩・県に編入された村以外は本藩に編入された。


  1. ^ 小宮山敏和「井伊直政家臣団の形成と徳川家中での地位」および「近世初期における譜代大名〈家中〉の成立」(所収:小宮山『譜代大名の創出と幕藩体制』(吉川弘文館、2015年) ISBN 978-4-642-03468-5
  2. ^ 深井雅海『江戸城-本丸御殿と江戸幕府』(中公新書 2008年)P24
  3. ^ 井伊家系図”. 彦根城博物館. 2016年11月10日閲覧。


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