幸田露伴 家族・親族

幸田露伴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/06 03:46 UTC 版)

家族・親族

露伴は幸田成延、猷夫妻の四男である。長兄の成常は実業家で相模紡績専務などを務めた。次兄の成忠(しげただ)は海軍軍人、探検家で、郡司家へ養子に出された。弟は歴史家の成友(しげとも)で、妹の(のぶ)はピアニストヴァイオリニスト(こう)はヴァイオリニストである[2]

幸田家は法華宗を宗旨としていたが、罷免された成延が延の学友である岩城寛と植村正久の勧めによりキリスト教へ改宗、他の家族も入信させた。余市の赴任から帰京した露伴も植村に改宗を勧められたが、これを拒絶している。そのため父母兄弟の中で露伴だけがキリスト教徒ではない。

数え年29歳の時に山室幾美(きみ)と結婚。よき理解者であり、長女歌、次女、長男成豊(しげとよ)が生まれた。幾美は1910年(明治43年)にインフルエンザで亡くなり、その2年後の1912年(大正元年)に歌が若くして亡くなる[2]。この年キリスト教徒の児玉八代(やよ)と再婚している。文は八代の計らいでミッション系の女子学院へ通った。1926年(大正15年)、成豊が肺結核で亡くなる[注 2]。八代は1933年(昭和8年)から別居し、1945年(昭和20年)に亡くなった[2]

文は、露伴の死の直前に随筆を寄稿し[13]、さらに露伴没後には父に関する随筆で注目を集め、その後小説も書き始め作家となった 。文の一人娘青木玉も随筆家、またその子青木奈緒はドイツ文学畑のエッセイストである。

その他

  • 1897年(明治30年)から約10年間住んでいた「向島蝸牛庵」(東京府南葛飾郡寺島村)は、博物館明治村に移設保存されており、登録有形文化財(建造物)である[14][15]
  • 未来学者としての一面も持ち合わせており、1911年に発表された『滑稽御手製未来記』では無線送電動く歩道モノレール電気自動車等が記されていた。
  • 露伴は趣味人で、囲碁将棋の他にも、釣り・料理・写真などに、その真価を発揮した。特に将棋は、十二世名人小野五平、十三世名人関根金次郎、十四世名人木村義雄に師事し、更に、将棋史の研究にも励み、雑誌『太陽』に「将棋雑考」「将棋雑話」といった論文を寄稿している。1916年小野名人から初段、1917年井上義雄八段から二段、1922年関根名人から四段の免状を授かった(何れもアマ段位)。また、1957年、露伴の十回忌には日本将棋連盟から六段が追贈されている[16]

主な作品

露伴全集』は生前に弟子の漆山又四郎を中心に編まれた。没後は塩谷賛等により2度にわたり全集(岩波書店、第2次版(全44巻)は増補巻を追加し1978年から80年にかけ刊)が編まれた。

小説
  • 露団々(1889年、金港堂)
  • 風流仏(ふうりゅうぶつ)(1889年9月「新著百載」。1889年、吉岡書籍店)
  • 雪紛々(1889年11月 - 12月「読売新聞」に連載。1901年、春陽堂
  • 縁外縁(1890年1月、「日本之文華」に掲載。6月「対髑髏(たいどくろ)」と改題して短篇集『葉末集』に収録)
  • いさなとり(1891年前編、1892年後編、青木嵩山堂
  • 五重塔(1892年、青木嵩山堂『小説 尾花集』収録)
  • 風流微塵蔵(ふうりゅうみじんぞう)(1893年 - 1895年「国会」に連載。未完。第1巻1895年12月刊、第2巻1896年2月刊、第3巻4月刊、第4巻8月刊)
  • ひげ男(1896年、博文館
  • 新羽衣物語(1897年8月、村井兄弟商会) - たばこの新製品の景品として公刊された。
  • 天うつ浪(1903年1月 - 05年1月、春陽堂)(未完)
  • 滑稽御手製未来記 (1911年)
  • 雪たたき(1939年、『日本評論』)
  • 連環記(1941年8月『幻談』所収。『日本評論』1941年4月-7月)
史伝
  • 二宮尊徳翁(1891年、博文館)
  • 頼朝(1908年、東亜堂)
  • 運命(1919年、雑誌『改造』4月創刊号)
    建文帝永楽帝に追われて、何十年も潜伏して生活していたという伝説について書かれた話、他にも中国を舞台にした文語体作品が多数ある。
  • 蒲生氏郷
  • 平将門
随筆・評論
右翼団体国本社の会誌『国本』創刊号目次
  • 一国の首都(1899年 - 1901年、雑誌『新小説』)
  • 水の東京(1901年、雑誌『文芸倶楽部』)
  • 潮待ち草(1906年、東亜堂)
  • 蝸牛庵夜譚(1907年11月、春陽堂)
    「遊仙窟」を収録
  • 小品十種(1908年6月、成功雑誌社)
  • 普通文章論(1908年10月、博文館) - 「文章は楽しく書くべきである」など初学者向けの文章指南。
  • 努力論(1912年、東亜堂)
  • 変更も保存も(1921年、国本社
俳諧評釈
  • 冬の日記抄(1924年9月、岩波書店)
  • 春の日・曠野抄(1927年6月、岩波書店)
  • ひさご・猿蓑抄(1929年12月、岩波書店)
  • 炭俵・続猿蓑抄(1930年1月、岩波書店)
  • 評釈 芭蕉七部集(1947年完成)。岩波書店7巻組、復刻1983年、1993年
紀行・日記
  • 枕頭山水(1893年9月、博文館)
  • 蝸牛庵日記(1949年8月、中央公論社
戯曲
  • 名和長年
校歌
  • 東京都立墨田川高等学校校歌

注釈

  1. ^ 家をもたないカタツムリに擬した命名。度々引っ越しを余儀なくされた自宅を指す。(小林勇『蝸牛庵訪問記』)
  2. ^ のち幸田文が小説『おとうと』として発表した

出典

  1. ^ 紀田順一郎『現代人の読書』71頁(三一書房、1964)。
  2. ^ a b c d e f 青木玉 『記憶の中の幸田一族』 講談社文庫、2009年、略系図、「母を語る」「祖父のこと、母のこと」など
  3. ^ 『ちくま日本文学023 幸田露伴』 年譜
  4. ^ 「窓」『日本経済新聞』昭和26年7月16日3面
  5. ^ 「露伴の出世咄」、『思い出す人々』(内田魯庵、岩波文庫)所収。
  6. ^ 受賞者の業績と略歴『大阪毎日新聞』(昭和12年4月27日)『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p655 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  7. ^ 岩波書店版『幸田文全集 第23巻』 年譜
  8. ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)138頁
  9. ^ 『市川の幸田露伴一家と水木洋子脚色の〈おとうと〉』市川市文学プラザ 2008年
  10. ^ 「寂しい中に首相 露伴翁の葬儀」『朝日新聞』昭和22年8月3日
  11. ^ 大田の史跡めぐり 1997, p. 17-18.
  12. ^ 露伴児童遊園”. じゃらん. 2020年7月20日閲覧。
  13. ^ 雑誌「藝林閒歩」1947年(昭和22年)「露伴先生記念号」。ただし、雑誌発行は露伴の没した直後であった
  14. ^ 『新潮日本文学アルバム 幸田文』新潮社
  15. ^ 国指定文化財等データベース 「明治村幸田露伴住宅蝸牛庵」
  16. ^ 春原千秋『将棋を愛した文豪たち』1994年、メディカル・カルチュア社、「幸田露伴」の項。


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