大達茂雄 大達茂雄の概要

大達茂雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/12 08:27 UTC 版)

大達 茂雄
おおだち しげお
参議院議員時代
生年月日 1892年1月5日
出生地 日本島根県那賀郡浜田町
(現:浜田市
没年月日 (1955-09-25) 1955年9月25日(63歳没)
死没地 東京都文京区 東京大学医学部附属病院
出身校 東京帝国大学法科大学政治学科
所属政党 自由党
称号 正三位[1]
勲一等旭日大綬章
勲一等瑞宝章

第70代文部大臣
内閣 第5次吉田内閣
在任期間 1953年5月21日 - 1954年12月10日

選挙区 島根県選挙区
当選回数 1回
在任期間 1953年4月24日 - 1955年9月25日

第60代内務大臣
内閣 小磯内閣
在任期間 1944年7月22日 - 1945年4月7日

在任期間 1943年7月1日 - 1944年7月22日

初代昭南特別市市長
在任期間 1942年3月7日 - 1943年7月1日
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注釈

  1. ^ 辞任の直接の原因は、1936年(昭和11年)9月に関東軍司令官植田謙吉大将名で出された「満洲帝国協和会の根本精神」と題した小冊子に大達が抗議してのものだった。この小冊子は関東軍参謀辻政信大尉の筆によるもので、石原莞爾らが創設した官民一体の国民教化組織・満洲国協和会を満洲国政府をも指導しうる機関と一方的に規定したり、関東軍司令官を「哲人」と表現したりしていて大問題となった。大達の辞任を受けて関東軍もこの小冊子を必死に回収するという騒動に発展した( 古海忠之『忘れ得ぬ満州国』、経済往来社、1978年、 P147)。

出典

  1. ^ 『官報』第8629号93頁 昭和30年10月5日号
  2. ^ 『日本官僚制総合事典』東京大学出版会、2001年11月発行、214頁
  3. ^ 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年、137頁。
  4. ^ 『官報』第4555号、昭和17年3月18日。
  5. ^ 近衛・木戸ら九人に追加逮捕命令(昭和20年12月7日 毎日新聞(東京))『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p343-p344
  6. ^ 第23回国会 参議院 本会議 第1号 昭和30年11月22日
  7. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  8. ^ a b 『官報』第4632号 付録「辞令二」1942年6月20日。


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