和泉町 (安城市) 和泉町 (安城市)の概要

和泉町 (安城市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/28 03:29 UTC 版)

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和泉町
丈山苑
日本
都道府県  愛知県
市町村 安城市
面積
 • 合計 3.78 km2
人口
(2023年4月30日時点)[2]
 • 合計 5,195人
 • 密度 1,400人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
444-1221[3]
市外局番 0566(刈谷MA[4]
ナンバープレート 三河

地理

高浜川水系の半場川流域に位置する[5]。江戸時代に油ヶ淵が湖沼化する前は、衣浦湾に面する入り江となっていた[6][5]国道23号愛知県道299号南中根小垣江線が町域を縦断している。

歴史

中世以前

弥生時代中期の中本郷貝塚、弥生時代中期・後期の八斗蒔遺跡(はっとまきいせき)や惣山古墳などがあったが、いずれも後に壊滅した[6][5]

鎌倉時代の13世紀初頭には伊勢神宮の神領地に指定され、泉御園と呼ばれたことが名称の由来の一説である[5]石川丈山邸の藪の中に湧き出ていた泉が由来とされることもある[5]江戸時代には一文字で泉と表記されることも多かった[5]

近世

文人の石川丈山
用水の開削を計画した都築弥厚

元和4年(1618年)には五ケ野原をめぐって桜井村と争いを起こし、和泉村の久津名七右衛門が殺されたとされる[5]。この頃には五ケ野原が桜井村、小川村、和泉村、城ケ入村、中根村の5か村による入会地となる慣例が確立したとされる[6][5]。寛永20年(1643年)から元禄13年(1700年)にかけても城ケ入村との間で土地の帰属を巡る争いが起こった[5]

江戸時代の初めは甘縄藩領であり、元禄16年(1703年)に旗本の松平万次郎と江戸幕府相給村となった[5]松平氏の知行は明治維新期まで存続したが、天領分は宝永7年(1710年)に刈谷藩領となった[6][5]。寛政2年(1790年)に刈谷藩領で寛政一揆が発生したことで領地替えの処罰を受け、寛政4年(1792年)には刈谷藩領分が福島藩領となった。1869年(明治2年)にはこの福島藩飛び地が重原藩領として独立した。

村高は『寛永高附』によると573石余、『元禄郷帳』によると622石余、『天保郷帳』や『旧高旧領』によると774石余だったが、油ヶ淵に近かったことから水害による損害も大きかった[5]。17世紀後半には綿作が発展し、延宝8年(1680年)以後の年貢割付状には木綿畑が登場する[6]。18世紀初頭には畑高の半分以上が綿畑高だった[6]

和泉村の豪農としては都築弥厚がおり、文化9年(1812年)からは松平家の代官を務めた[5]。都築弥厚は天保3年(1833年)には石高2070石、酒造株4160石余を有していたが、天保年間の和泉村には9軒以上の酒造家があったうえ、特産品として和泉そうめんがあった[5]

近代

1888年(明治21年)の町村制施行に伴い、1889年(明治22年)には碧海郡和泉村が発足した[5]。1891年(明治24年)の戸数は312、人口は1601だった[5]

1906年(明治39年)5月1日、米津村西端村、東端村、根崎村城ヶ入村榎前村の一部が合併して淵辺村が発足し、5月7日には明治村に改称した。明治村の大字として和泉が設置されている[5]

現代

太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)1月13日には三河地震が起こり、明治村和泉にあった約400戸のうち約300戸が倒壊、83人の死者を出す甚大な被害があった。合同葬の最中に空襲警報が発令されたことで、火葬できずに埋葬したとされる。

1955年(昭和30年)4月1日、明治村が分割されて安城市碧南市西尾市に編入され、この地は安城市に編入された[5]。安城市の大字として和泉が設置されている[5]。1956年(昭和31年)には安城市に和泉町が設置された[5]。1968年(昭和43年)の和泉町の世帯数は534、工場数は25、商店数は24である[5]。1970年(昭和45年)の世帯数は566、人口は2,908である[5]

施設

安城市立丈山小学校

  1. ^ 愛知県安城市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2023年5月16日閲覧。
  2. ^ 人口・世帯数 - 町別世帯及び人口”. 安城市 (2023年5月7日). 2023年5月16日閲覧。
  3. ^ 郵便番号”. 日本郵便. 2023年5月16日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2023年5月16日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年、pp.147-148
  6. ^ a b c d e f g h 『日本歴史地名大系 23 愛知県の地名』平凡社、1981年
  7. ^ 本龍寺とは 本龍寺


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