南海北島支線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/03 13:25 UTC 版)
概要
もともとはこちらが加太線の本線で、紀ノ川駅経由の現路線は松江線(まつえせん)という貨物線として、重量貨物列車運転のために戦時中に開業したものであった。
しかし1950年(昭和25年)には旅客列車も紀ノ川駅経由に運転系統が変更された。その直後の9月3日、ジェーン台風の襲来で紀ノ川橋梁が被災し、電動機の数を4個から2個に減らした電車で徐行運転で通過するようになった[1]。さらに1953年(昭和28年)7月18日の水害で橋脚が傾斜して不通となり[2]、9月15日に和歌山市 - 北島間は休止許可を得た[3]。1955年(昭和30年)には廃止された。この時に松江線が加太線に編入された。盲腸線となった残る北島 - 東松江間は北島支線と改称され、1966年(昭和41年)に廃止された。
なお、旧紀ノ川橋梁は道路となり、二輪車と徒歩でのみ通行可能な河西橋として現存しているが、老朽化により橋の架け替えが決定。工事が2014年(平成26年)から始まることとなった[4]。
2022年(令和4年)中に、一部が仮設橋に切り替わった。
路線データ
- 路線距離(営業キロ):2.6km(和歌山市 - 北島間0.8km、北島 - 東松江間1.8km)
- 軌間:1067mm
- 駅数:4駅(和歌山市駅、東松江駅含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:全線電化(直流600V[注釈 1])
- 閉塞方式:
運行形態
北島支線として分離後は、1両編成の電車が北島 - 東松江間を折り返し運転するだけとなり、『交通公社の時刻表』にも掲載されず、存在があまり知られていない路線となっていた。
歴史
- 1912年(明治45年)6月16日 加太軽便鉄道が和歌山口(のちの北島) - 中松江 - 加太間を開業。和歌山口駅(初代)・島橋駅開業[5]。
- 1914年(大正3年)
- 1930年(昭和5年)
- 1942年(昭和17年)2月1日 南海鉄道に合併、加太線となる。和歌山口駅を和歌山市駅に統合。
- 1944年(昭和19年)6月1日 関西急行鉄道と合併し近畿日本鉄道となる。
- 1947年(昭和22年)6月1日 旧・南海鉄道の路線が南海電気鉄道に分離譲渡。
- 1950年(昭和25年)
- 1953年(昭和28年)
- 1955年(昭和30年)2月15日 和歌山市 - 北島間が廃止。紀ノ川 - 加太間を加太支線(1994年頃から加太線)、北島 - 東松江間を北島支線に変更。
- 1966年(昭和41年)12月1日 北島支線北島 - 東松江間が廃止。
注釈
出典
- ^ a b 和田康之「回想の南海電車」『鉄道ピクトリアル臨時増刊号』第807号、電気車研究会、2008年8月、136 - 141頁。
- ^ a b 武内雅人「河西橋-その歴史と構造(1)」『和歌山地方史研究』、和歌山地方史研究会、2018年7月、56 - 69頁。
- ^ a b 青木栄一「南海電気鉄道の歩み 戦後編 路線網の整備と地域開発」『鉄道ピクトリアル臨時増刊号』第615号、電気車研究会、1995年12月、101 - 114頁。
- ^ 『100年前にできた「河西橋」架け替えへ』わかやま新報(2013年8月15日)
- ^ a b 宮脇俊三(編著)『鉄道廃線跡を歩くII』日本交通公社、1996年。ISBN 4-533-02533-1。
- ^ 今尾 (2008)
- ^ 南海加太線むかしむかし - (財)和歌山社会経済研究所
固有名詞の分類
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