八幡神社 (奈良市東九条町)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 15:44 UTC 版)
祭神
大安寺の鎮守であるが、安産に効ありとの信仰も集めており、そのために子安八幡宮とも称される。本殿下に土製の鳩が無数に並ぶが、それらは安産祈願に参詣した者が奉納したものという[5]。
境内
- 本殿 - 至徳2年(1385年)に室町幕府第3代将軍足利義満により再建されたものという。方3間の流造で屋根は檜皮葺。
- 拝殿
- 中門(奈良市指定有形文化財) - 室町時代の建立。江戸時代の初期に改造されている。瓦葺の四脚門であるが、左右に翼廊が連なるため割拝殿のようにも見える[5]。
- 翼廊(奈良市指定有形文化財)
- 若宮神社 - 祭神:仁徳天皇
- 武内神社 - 祭神:武内宿祢命
- 菅原神社 - 祭神:菅原道真公
- 厳島神社 - 祭神:市杵島姫命
- 稲荷神社2社 - 祭神:保食神
- 猿田彦神社 - 祭神:猿田彦命・天照皇大神
- 金刀比羅神社 - 祭神:金刀比羅大神
- 春日神社 - 祭神:天児屋根命・大物主命
- 命婦神社 - 祭神:豊玉姫命・玉依姫命
- 加茂神社 - 祭神:伊邪奈岐命
- 祓殿神社 - 祭神:瀬織津比売命
- 宮玉神社 - 祭神:宮玉大神
- 社務所
- 表門
若宮神社と武内神社は本殿前左右に並び、加茂と祓殿の両神社を除く他の末社は本殿の三方を囲むように配されている。なお、加茂神社は1910年(明治43年)に遷祀の形で合祀された神社で、1891年(明治24年)の「神社調査書」は祭神を伊邪奈岐命としているが、合祀直前の1907年(明治40年)「添上郡祭神由緒調」(県立奈良図書館行政資料)は武雷神を祭神としている。
文化財
奈良市指定有形文化財
八幡神社
八幡神社 | |
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所在地 | 奈良県奈良市東九条町 |
位置 | 北緯34度39分28.0秒 東経135度48分46.1秒 / 北緯34.657778度 東経135.812806度 |
主祭神 | 誉田別命 |
創建 | 1954年(昭和29年) |
大安寺八幡宮の南方およそ1キロメートル、東九条公民館前に鎮座する。
祭神
- 主祭神 - 誉田別命(応神天皇)
歴史
鎮座地付近の大安寺八幡宮の氏子が、隔たった氏神を遙拝するために1954年(昭和29年)にその分霊を祀る小祠を営んだもの[5]。
- ^ 辰市4箇郷は、八条郷(現八条町)、東九条郷(現東九条町)、西九条(さいくじょう)郷(現西九条町)、辰市郷(現杏(からもも)町一帯)の4郷(『角川日本地名大辞典』)。
- ^ 『七大寺巡礼私記』は大江親通著。
- ^ 『角川日本地名大辞典』。
- ^ 『七大寺日記』は作者不明。『続群書類従』所収、釈家部巻第792。
- ^ a b c d e f g h 『奈良市史 社寺編』。
- ^ 『大乗院寺社雑事記』明応元年 (1492年) 8月28日条。同記は興福寺大乗院の門跡、尋尊の長禄3年 (1459年) から永正5年 (1508年) の50年間にかけての日記(1部門嗣である経尋のものを含む)。
- ^ 『大乗院寺社雑事記』同年5月19日条。
- ^ 『奈良県の地名』。
- ^ 『朝野群載』巻第16仏事上、天永4年4月日付「興福寺大衆牒」、及び同月18日付「石清水八幡宮護国寺牒」。
- ^ 『多聞院日記』文明10年 (1478年) 8月14日条に、舞殿に敷く薄縁(うすべり)の配分を廻って八条郷と東九条郷で相論が生じ、闘争に発展しそうであったために予定されていた猿楽を省いたとの記録がある。
- ^ a b c d e 『奈良市史 民俗編』。
- ^ 左座は仲野、武野、市川姓の家、右座は坂井、大西姓の家(『奈良市史 民俗編』、『奈良県史 民俗(上)』)。
- ^ a b 『奈良県史 民俗(上)』。
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