全日本プロレス 全日本プロレスの概要

全日本プロレス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/13 16:40 UTC 版)

オールジャパン・プロレスリング株式会社
ALL JAPAN PRO-WRESTLING Co., Ltd.
種類 株式会社
略称 全日本
全日
AJPW
AJP
本社所在地 日本
113-0034
東京都文京区湯島3丁目14番9号
湯島ビル8階[1]
設立 2014年7月1日[1]
業種 サービス業
法人番号 5020001106442
事業内容 プロレス興行
関連企画の運営
代表者 代表取締役社長 福田剛紀[1]
関係する人物 ジャイアント馬場(創業者)
馬場元子
三沢光晴
武藤敬司
秋山準
外部リンク http://www.all-japan.co.jp/
特記事項:
1972年9月9日、全日本プロ・レスリング株式会社を設立。
2012年11月1日、全日本プロレスリングシステムズ株式会社に業務継承。
2014年7月1日、オールジャパン・プロレスリング株式会社に業務継承。
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注釈

  1. ^ この発表の席上、日本テレビの運動部長であった松根光雄(後に全日本プロレス社長となる)は「日プロの幹部は常識のある社会人かと思ったが、子供みたいな感覚しかない。こちらが馬鹿負けしたので中継から手を引きました」と痛烈に日プロ幹部をこき下ろしている。日本テレビは打ち切り後の当面は力道山、馬場、猪木などの過去の名勝負集などでつなぎ、7月から刑事ドラマである『太陽にほえろ!』を同枠でスタートさせた。
  2. ^ 日本テレビは日プロ中継打ち切り後は、猪木が旗揚げした新日本プロレスの中継に動いていたともされており、新日本は馬場とも関係のあった元日本プロレス専務の岩田弘(三ツ矢乳業社長)をフロントとして迎え入れるなどの準備もなされていた。このような背景も馬場の独立を促したとされている[6]
  3. ^ 日本プロレスはフリッツ・フォン・エリックら大物外国人選手やアメリカのプロモーターに対し、全日本プロレスへの協力をしないよう圧力をかけ、実際にエリックは日プロ最末期のシリーズ(「アイアンクロー・シリーズ」)に特別参加したため、ダラスルートからの招聘が一時不可となったり、日本プロレスのブッキングを担当していたミスター・モトも当初は全日本への協力を約束していたものの、直前になり全日本への協力を断るなどしたが、馬場がアメリカでの武者修行時代に選手やプロモーターとの信頼関係が構築出来ていたことや、日本テレビが全面的にバックアップする姿勢を見せたたこと、そしてアメリカでも発言力の強かったドリー・ファンク・シニアが協力する姿勢を示したため招聘ルートの妨害は失敗している。エリックも日プロの最終シリーズに参戦して義理を果たした後に、全日本に参戦している。
  4. ^ 会場使用の問題も日本テレビがバックアップし、日本テレビが借りた会場で全日本プロレスを招聘する形にしたため、こちらも失敗している。
  5. ^ 参戦していた選手の中では肥後宗典(当時のリングネーム:本郷篤)が馬場の目に留まり、そのまま全日本に移籍を果たしたほか、当時は前座選手だった鶴見も、馬場からレスリングセンスやファイトが評価を受けていて、国際プロレス崩壊後、海外遠征などを経た後に全日本にフリーで定着参戦を果たしている。
  6. ^ 1978年11~12月を境に、国際は徐々に交流先を全日本から新日本へシフトし、翌1979年2月5日のの新日本・国際両団体主導による「日本レスリング・コミッション」設立[8]で、全日本と国際の決裂が決定的となった。一説では馬場と吉原の代表同士の間で、何らかの金銭的なトラブルがあったことも原因とされる[9]
  7. ^ 大木金太郎、高千穂明久(後のザ・グレート・カブキ)、上田馬之助、グレート小鹿松岡巌鉄ミツ・ヒライ桜田一男(後のケンドー・ナガサキ)、羽田光男(後のロッキー羽田)、伊藤正男の9名。
  8. ^ 小鹿によれば、大木は本気で「対等合併」と信じ切っており、日プロ社長であった芳の里淳三といった関係者やレスラーからも「(実態は)吸収合併」であることを大木に進言する者はなかったとしている。
  9. ^ あからさまに差をつけられた事に対しての不満があったほか、上田によれば最終参戦となった蔵前国技館大会で、元日プロレフェリーの沖識名の引退セレモニーが行われたが、全日本サイドが売上から沖に餞別を一切渡さなかった事への義憤(代わって上田や松岡が沖に餞別を渡したとされる)も離脱の契機になったとしている(上田馬之助_(プロレスラー)#人物も参照)。
    全日本所属末期にはほぼ交代で試合を干されるようになっていた上田と松岡は、助っ人参戦していた知己のあるマティ鈴木に今後の身の振り方を相談し、かつて参戦していたアメリカオクラホマ州へ移る事を模索していたという。上田と松岡は日本テレビとの3年契約が残っていたため、その間は日本の他団体に参戦することができず、日本プロレスリングコミッション事務局長であった門茂男の伝手を頼り、国内で新団体設立も画策したが資金的な面で頓挫したことで、アメリカに活路を求める形となった[10]
    しかし、ほどなく上田と松岡の間に亀裂が生じ、上田はビル・ワットの伝手を頼って家族を帯同して渡米し、オクラホマ州、ルイジアナ州ミシシッピ州などへ拠点を移して長期間活動し、その後フリーランスとして日本マットへ復帰した。一方の松岡はノースカロライナ州などで活動した後にプロレスラー廃業に追い込まれている[12][10]
  10. ^ 大木はその後、猪木との対戦を要求して1974年10月から新日本に参戦し、日プロ以来の因縁のある猪木や坂口との対決を実現させた[13]。さらに1975年からは今度は馬場との対戦を要求し、同年10月には馬場との一騎打ちが実現した[14]後も愛弟子のキム・ドク(タイガー戸口)と組み、馬場&鶴田組との「日韓師弟タッグ対決」は、当時の全日本でも看板カードの一つとなった。
    大木は1979年頃まで全日本に参戦した後、1980年2月から一時国際プロレスに所属したが、11月に国際離脱後は再び全日本に戻り、1982年のセミリタイアまで活動している。
  11. ^ 先にクーデター騒動で新日本を離脱していた初代タイガーマスク(佐山聡)のマネージャーであるショウジ・コンチャが、初代タイガーマスク(佐山)の全日本参戦に向けて馬場と接触していたが、ギャラが高額だったことも支障となり、その後コンチャと佐山の関係が決裂して、佐山は(第1次)UWFに参戦した事から全日本参戦は立ち消えとなっていた。馬場が大塚との雑談でこの話が出たことで、大塚側が「2代目タイガー」の全日本登場を提案し、話が進んだとされている[20]
  12. ^ ほかに栗栖正伸保永昇男仲野信市新倉史祐。さらに新人で新日本でデビューしたばかりの笹崎伸司も加わっている。
  13. ^ ジャパンプロレス勢は全日本・日本テレビとそれぞれ契約をしており、事実上は全日本の傘下団体という扱いであった。また、1985年からジャパンプロレスを介する形で全日本に参戦していたスーパー・ストロング・マシーンヒロ斎藤高野俊二の「カルガリー・ハリケーンズ」もジャパンプロレスと同様に全日本・日本テレビと契約していた。
  14. ^ その後「カルガリー・ハリケーンズ」参戦の影響で選手層が余剰となったため、「国際血盟軍」のうち木村と鶴見五郎以外の3名(剛竜馬・アポロ菅原・高杉正彦)は整理解雇されている。剛らの解雇には冗員整理のほかに、剛らが全日本のファイトスタイルを否定するような振舞いをしばしば行った事で、馬場らの心証を損ねたことも遠因とされている。
  15. ^ 二人が活動拠点としていたカナダ・カルガリーに、WWF(当時、新日本と提携していた)が進出して来た事に不満を持ったうえでの移籍としているが、実際の背景として、カルガリーに定着し日本マットとのブッキング役となっていたミスター・ヒト(安達勝治)が、これまで海外修行先などで提携してきた新日本に対する待遇の不満から関係が悪化し、ドリー・ファンク・ジュニアを経由して全日本に接近したうえでの引き抜きであったとされる[21]
  16. ^ 田上は大相撲廃業直後にプロレス入りの意向を示したことで、日本相撲協会との更なる関係悪化に配慮した馬場がジャパンプロレスに入団させる形でクッションを設けた。既に田上の転向時点でジャパンプロレスは事実上興行機能は失っていたため、あくまで名義上の所属で実質全日本の所属選手と変わらなかった。その後、1987年10月にジャパンプロレスが正式に解散した事により、田上も翌1988年1月より全日本のマットでデビューとなった。
  17. ^ ただし、タイガーを含めて所属選手の怪我が続出したことなどで目立った成果を上げることなく、馬場の「全然決起していない」という鶴の一声により、結成から僅か1年で解散させられている[26]
  18. ^ NWA加盟時代の全日本プロレスの王座は、選手権試合宣言の中で「NWAが認可し、PWFが認定する」という明文がなされ、認定者もNWAとPWFの会長連名とされていたが、脱退後はNWAの認可明文がなくなり「PWFが認定する」に変わっている。
  19. ^ 馬場の存命時には1990年4月の新日本・全日本・WWF合同興行の「日米レスリングサミット」でも、馬場をはじめ所属選手の数名が東京ドームに参戦している。
  20. ^ 後に川田は馬場亡き後、全日本にはフリーとして上がっており専属契約はしていないことを告白しているが、2004年までは全日本の役員に名を連ねていた。
  21. ^ 武藤の入団には馳浩の勧誘もあったとされている。新日本側の余波として、武藤移籍の引責の形で現場責任者であった長州力の解任や、馬場元子から引き抜きを持ちかけられたとして、新日本の企画宣伝部長であった永島勝司が猪木の不興を買う形で新日本からの退社に追い込まれている。武藤らの全日本移籍の余波は、その後の長州、永島らによるWJプロレス旗揚げへの伏線にもなっている。
  22. ^ 後の調査で河野真幸、稔、MAZADAは暴行に関わっていないことが明らかになったため、6月30日付で出場停止処分は解除された。
  23. ^ その後負傷による長期療養から復帰しないまま、同年末をもって退団。
  24. ^ その後、全日本と白石との関係は事実上清算されており、約10年後の2023年7月に、新規の仮想通貨発行への出資名目で美術品販売会社から1億5000万円を詐取した詐欺容疑で、白石など3名が警視庁捜査二課に逮捕されている[46]
  25. ^ このほか、1998年5月1日の全日本・東京ドーム大会では武輝道場北尾光司が参戦し、田上明との対決が予定されていたが、カード発表直後にキャンセルとなっている。
  26. ^ 2020年のチャンピオン・カーニバルにも参戦が発表されていた(当時はフリーランス)ものの、新型コロナウイルス感染症の世界的流行により来日中止(のち大会自体も中止)となった。
  27. ^ 馬場の没後は三沢が代表取締役社長代理を務めて5月から代表取締役社長に就任している。

出典

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  2. ^ 知っていれば楽しさ倍増!日本のプロレスの歴史を簡単チェック”. 【SPAIA】スパイア (2016年12月16日). 2020年11月15日閲覧。
  3. ^ 『日本プロレス70年史 昭和編』P125より。
  4. ^ 竹内宏介『プロレス醜聞100連発!!』P104・105より。
  5. ^ 日本テレビぶちぎれ!日プロの裏切り行為でプロレス中継打ち切り【坂口征二連載#20】 - 東スポnote 2022年12月21日
  6. ^ ベースボール・マガジン社『日本プロレス事件史』Vol.22 P16-P23より。
  7. ^ 『昭和40年男10月号増刊 昭和プロレス大全』18Pより
  8. ^ 『日本プロレス70年史 昭和編』P206より。
  9. ^ 『Gスピリッツ Vol.16』P75より。
  10. ^ a b c d e ベースボール・マガジン社『日本プロレス事件史』Vol.22 P35-P42より。
  11. ^ 全日本プロレスが日本プロレスを吸収合併…馬場がリストラしたかった3人のレスラー - 伊賀プロレス通信24時 2021年11月21日
  12. ^ 『プロレス醜聞100連発!!』140Pから141Pより
  13. ^ 竹内宏介『プロレス醜聞100連発!!』P130・131より。
  14. ^ 竹内宏介『プロレス醜聞100連発!!』P134・135より。
  15. ^ ジャンボ鶴田VSアントン・ヘーシンクこそ“リアル格闘技オリンピック”だった - スポーツ報知 2021年7月30日
  16. ^ 『Gスピリッツ Vol.33』P9(2014年、辰巳出版、ISBN 477781372X
  17. ^ 幻の全日本プロレス・クーデター事件~1972 サムソン・クツワダの新団体構想 - 1970年生まれ 男のロマンBlog 2022年5月5日
  18. ^ 『G SPIRITS Vol.42』(辰巳出版・ISBN 9784777818129)p.34
  19. ^ ベースボール・マガジン社『日本プロレス事件史』Vol.2 P58-P61より。
  20. ^ a b ベースボール・マガジン社『日本プロレス事件史』Vol.22 P4-P13より。
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  24. ^ 元横綱輪島が見守る中で相撲を取るジョン・テンタ 全日入団めぐり角界が横ヤリ、馬場も怒った! - 東スポWEB 2024年1月21日
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  47. ^ 全日本プロレス運営会社変更・事務所移転のご案内 - 全日本プロレス公式Facebook 2014年6月30日
  48. ^ 馬場イズム継承の秋山全日本が門出「二大メジャーの看板を取り戻す」 - スポーツナビ 2014年7月4日
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