任那日本府 参考文献

任那日本府

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/10 02:21 UTC 版)

参考文献

  • 井上秀雄『古代朝鮮』日本放送出版協会〈NHKブックス〉、1972年。 
    • 井上秀雄『古代朝鮮』講談社〈講談社学術文庫〉、2004年10月。ISBN 4-06-159678-0 
  • 奥田尚「任那日本府と新羅倭典」、大阪歴史学会 編『古代国家の形成と展開』吉川弘文館、1976年。 
  • 国史大辞典編集委員会 編『国史大辞典』 11巻、吉川弘文館、1990年9月。ISBN 4-642-00511-0 
  • 国史大辞典編集委員会 編『国史大辞典』 13巻、吉川弘文館、1992年4月。ISBN 4-642-00513-7 
  • 鈴木靖民、鬼頭清明ほか『伽耶はなぜほろんだか 日本古代国家形成史の再検討』大和書房、1991年2月。ISBN 4-479-84015-X 
    • 鈴木靖民、鬼頭清明ほか『伽耶はなぜほろんだか 日本古代国家形成史の再検討』(増補改訂版)大和書房、1998年3月。ISBN 4-479-84047-8 
  • 請田正幸「六世紀前期の日朝関係――任那「日本府」を中心として(日本における朝鮮史像(特集))」『朝鮮史研究会論文集』第11号、朝鮮史研究会、1974年3月、pp. 39-49。 
  • 田中俊明 編『朝鮮の歴史 先史から現代』昭和堂、2008年4月。ISBN 978-4-8122-0814-4 
  • 田中俊明『古代の日本と加耶』山川出版社〈日本史リブレット 70〉、2009年1月。ISBN 978-4-634-54682-0 
  • 朴天秀『加耶と倭 韓半島と日本列島の考古学』講談社〈講談社選書メチエ 398〉、2007年10月。ISBN 978-4-06-258398-5 
  • 森公章『「白村江」以後 国家危機と東アジア外交』講談社〈講談社選書メチエ 132〉、1998年6月。ISBN 4-06-258132-9 
  • 山尾幸久『日本古代王権形成史論』岩波書店、1983年4月。 
  • 吉田晶『古代国家の形成(新岩波講座・日本歴史2)』岩波書店、1975年6月。 
  • 吉田孝『日本の誕生』岩波書店〈岩波新書〉、1997年6月。ISBN 4-00-430510-1 
  • 沈仁安『中国からみた日本の古代』ミネルヴァ書房、2003年。ISBN 978-4623039050 

  1. ^ 日韓共同歴史研究会「日韓共同歴史研究報告書」(第1分科会、2010年)https://www.jkcf.or.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/10/1-allj.pdf
  2. ^ 鄭大均『日本のイメージ』中央公論社中公新書1439〉、1998年10月、177頁。ISBN 978-4121014399 
  3. ^ 田中(2008)
  4. ^ a b 田中(2009)
  5. ^ 室谷克実『日韓がタブーにする半島の歴史』(新潮社、2010年)p. 213. ISBN 978-4106103605
  6. ^ a b c d 井上2004年 pp.106-107.また井上秀雄『任那日本府と倭』(東出版、1973年)
  7. ^ 請田(1974年)
  8. ^ 吉田晶『古代国家の形成(新岩波講座・日本歴史2)』(岩波書店、1975年6月)
  9. ^ 『日本書紀』巻第十七『継体天皇六年十二月』の条「冬十二月。百済遣使貢調。別表請任那国上哆唎・下哆唎・娑陀・牟婁四県。(中略)依表賜任那四県」。このことは同巻第十九『欽明天皇元年九月己卯』の条でも再説されている。
  10. ^ 『三国史記』巻第四 新羅本紀第四『法興王十九年』の条「金官國主金仇亥 與妃及三子(中略)以國帑寶物來降 王禮待之 授位上等 以本國爲食邑」
  11. ^ 『日本書紀』巻第十九『欽明天皇二三年正月』の条「二十三年春正月。新羅打滅任那官家」という表記も見られる。
  12. ^ 吉田孝『日本の誕生』(岩波書店、1997年6月)
  13. ^ 沈 2003, p. 382.
  14. ^ 沈 2003, p. 381.
  15. ^ 沈 2003, p. 384.
  16. ^ a b 沈 2003, p. 385.
  17. ^ 宮脇淳子『世界史のなかの満洲帝国』PHP研究所PHP新書 387〉、2006年2月。ISBN 978-4569648804 
  18. ^ a b 鬼頭(1991)
  19. ^ 森(1998)、pp.66-68.
  20. ^ 日本経済新聞』2002年4月10日朝刊
  21. ^ a b c 毎日新聞』2015年08月11日 東京朝刊
  22. ^ a b 日韓歴史研究報告書の要旨アーカイブされたコピー”. 2015年9月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月1日閲覧。
  23. ^ 「ヤマトの痕跡を消せ! 前方後円墳まで「整形」」(『歴史通』2014年1月号ironna)姜仁求教授によると、全長66メートル、後円径37・5メートル、前方部が若干丸みを帯びているが、円墳2基ではなく前方後円墳であるという。後円部上に石材が露呈するが、それは鳥居龍蔵が1914年に発掘した竪穴式石室の一部である。 『韓国の古代遺跡 2百済・伽耶篇』中央公論社ISBN 978-4120016912
  24. ^ 沈奉謹編『固城松鶴洞古墳群 第1号墳 発掘調査報告書』(東亜大学校博物館、2005年)
  25. ^ 「ヤマトの痕跡を消せ! 前方後円墳まで「整形」」(『歴史通』2014年1月号ironna森浩一によると、1983年(昭和58年)に訪ねた際はダブルマウンドが丘陵上に造営されており、前方後円墳であることに躊躇なく、その後鳥居龍蔵が戦前に撮影した側面写真が発見されたことで確認できたが、その後、現在の形が近年の変形であるという噂話があったが、その噂話が意図的に流されていると感じていたという。 松鶴洞古墳の発掘は、「発掘もある種の遺跡の破壊」という考古学の事例であり、近年の変形を示す兆候は存在しないが、原形がダブルマウンドなのかの前提を抜いて、円墳連続説が発掘開始直後から提出され、結論ありきの結果が流布されており、「これは学問の手順として明らかに間違っているし、学問の名において文化財を変形・改変することになる」と批判している。
  26. ^ 「ヤマトの痕跡を消せ! 前方後円墳まで「整形」」(『歴史通』2014年1月号ironna
  27. ^ 朴天秀(2007)
  28. ^ a b c d e f g h i j k l m 諸田正幸「任那日本府は存在したのか」『争点日本の歴史2 古代編I』(1990年)pp.137-139
  29. ^ 井上秀雄『任那日本府と倭』(東出版、1973年
  30. ^ 金鉉球『大和政権の対外関係研究』(吉川弘文館1985年
  31. ^ 奥田尚「『任那日本府』と倭典」『古代国家の形成と展開』(吉川弘文館、1976年
  32. ^ 大山誠一「所謂『任那日本府』の成立について」(『古代文化』260・262・263号、1980年
  33. ^ https://www.rekihaku.ac.jp/outline/publication/ronbun/ronbun8/pdf/179014.pdf
  34. ^ 諸田正幸「任那日本府は存在したのか」(『争点日本の歴史2 古代編I』1990年)pp.140-141
  35. ^ 日韓共同歴史研究会『日韓共同歴史研究報告書』(第1分科会、2010年)https://www.jkcf.or.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/10/1-allj.pdf
  36. ^ “韓国はポルトガルの植民地だった!?”. 朝鮮日報. (2009年2月15日). オリジナルの2009年2月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090217092757/http://www.chosunonline.com/article/20090215000001 
  37. ^ “「21世紀版独立運動」ネットの韓国史わい曲訂正に奔走”. 中央日報. (2004年8月23日). オリジナルの2021年8月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210826214510/https://japanese.joins.com/JArticle/55089?sectcode=700&servcode=700 
  38. ^ 『朝鮮日報』2006年8月9日[2]
  39. ^ “中외교부, 임나일본부說 그대로 소개”. 朝鮮日報. (2004年7月22日). オリジナルの2021年8月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210828235001/https://www.chosun.com/site/data/html_dir/2004/07/22/2004072270559.html 
  40. ^ ““중 교과서 ‘고조선=야만, 삼국=신라·백제·가야’””. ハンギョレ. (2007年3月20日). オリジナルの2021年12月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20211229101627/https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/197569.html 





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「任那日本府」の関連用語

任那日本府のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



任那日本府のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの任那日本府 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS