日本府に関する諸説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 07:36 UTC 版)
上述の1. - 5.の性格から帰納法的に推論して、「任那日本府」はヤマト王権のものではなく、別の存在であるという説もあらわれている。 井上秀雄 … 日本府はヤマト王権のものではなく、加羅諸国の在地豪族の合議体であるという説。 金鉉球 … 百済が加羅諸国を支配するために置いた機関とする説。 奥田尚 … 加羅諸国が対倭外交のために設置した機関とする説。 大山誠一 … ヤマト王権の代表と加羅諸国の首長層の合議体であるとする説。 これらはいずれも、日本府がヤマト王権とは直接関係のない機関であったのに、『日本書紀』がヤマト王権の機関であるかのように書き換えたものだという理解の上に立ったものだということができる。言い換えれば、『日本書紀』の記述のうち、3.4.5.をきわめて重視する立場であり、1.は無視した結果であるとみなすことができる。ただし、ここでは「任那復興会議」そのものと「日本府」とが同一視され、「任那復興会議」への参加者をそのまま「日本府」の構成員とみなしているのであり、それが妥当であるかは検討を要する。 「任那復興会議」は百済王や加羅諸国の代表者たち、それに「日本府」の官人によって構成されているのであり、『日本書紀』の論法では加羅諸国はすでに日本府の統制下にあるので、加羅諸国の首長を中心に構成される復興会議はいきおい日本府の下部機構とならざるをえない。 『日本書紀』が日本府と「任那復興会議」が実質的に同じものであるような書き方をしているのはそのためであるが、しかし、実際には日本府とは別個の存在であるので、「任那復興会議」の性格から「日本府」の性格を導き出すのは誤りといわなければならない。
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